ここまで来れた一つの想い|CAFE THE GROVE 由比ヶ浜 秀嗣

いつも見ていた親の姿

出身は長野市です。小学校の時に松本市に引っ越しました。その後、大学進学を機に神奈川へ行き、大学卒業後は二年ぐらいイギリスへ行っていました。
イギリスから長野へ戻ってきたタイミングが、ちょうど冬季オリンピックの時だったので、オリンピックのお伝いをしたりしていました。それから飲食の世界に入った流れです。
もともと親が今、お店をやっている場所でラーメン屋をやっていたので、飲食には小さい頃から馴染みがありました。その為、親の姿を見ていたからなのか、飲食に対しては構えるものは無かった記憶があります。

自分が好きなこととは

大学卒業後は、親のラーメン屋を継ぐつもりは全く無くて、サラリーマンするつもりでした。
就職活動はちゃんとしてはいましたが、「自分は何をしたいのだろう。」を整理していった時にサラリーマンになることに違和感を覚えたことも確かです。
そこで大きな影響を受けたのはイギリスへ行った経験でした。

イギリスへ行く目的は、英語を覚えることでした。
ですが、生活している中で、イギリスは見たことのない様々なお店があって、「こういう店カッコ良いな。将来的にこんなお店を持てたら良いな。」と漠然と思うようになっていました。
こういった気持ちを感じていた中で、「何したいのかな。」といろいろ考えた時に、「人との繋がりが自分は好きだな。」と感じていました。人と話したりといったことです。
実際に、いろんなものを見て、経験することで気持ちの変化が起きてきました。
最終的には、自分でお店を開いても面白いのかなという気持ちはどこかにあったと思います。親を見ていてというのもありますけど。
その中で、「最終的な目標が見えているのならば、最初からやっても良いのではないか。」という想いが出てきました。
これが飲食に飛び込むきっかけです。

一番幸せな手段

この人の繋がりを感じたのは、大学時代のアルバイトです。
レストランや、ホテルの配膳の仕事の飲食関係やお土産屋さん、ガソリンスタンドも経験していました。
“人の繋がり”だけを考えた時に、極端な話、飲食でなくても良かったかもしれません。
ガソリンスタンドでも人と関わることが出来て、どうコミュニケーションとるかを考えながらやることに楽しみを感じていました。
そう考えると、売っているものが違うだけで、接客という意味では同じです。

それでもなぜ飲食なのか。自分自身が食べるのが好きだったし、とにかくコーヒーが好きだった。人と繋がる仕事を考える中で、「どうせなら好きなことをツールに仕事にしたい。」と思うようになりました。
より自分が楽しめる。

飲食人生の第一歩

実は、親のラーメン屋を一度継いでいます。飲食をやるにしても経験がないといけない。そこで親のラーメン屋を継ぎました。

さらに、もう一店舗出す時に自分のやりたいコーヒー屋をやろうと決めていましたが、結局コーヒー屋をやるにしても、自分はずっとラーメンを作り続けなければならないし、「これはダメだ!」と。(笑)
コーヒーのアイデアはどんどん出てきたけど、ラーメンのアイデアは出てこなくなってしまった時期でした。
とはいっても、お客様からお金は頂いているので、このような気持ちでお店を続けるのは、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
自分で作ったものを潰すのは良いですが、親が作ったものを潰すことはしたく無い。
であれば、惜しまれつつ閉店という形を取りました。

しかし、その当時は大人という大人に猛反対されました。

開店までの大きな壁

「せっかくお客さんが入っているのにどうしてコーヒー屋にするの?」
「コーヒー屋なんて儲かるはずがない。」
会計士、銀行、両親、周りの人から猛反対です。
銀行の人にはコーヒー屋をやらない方が良い理由のレポートも出されたりして。(笑)
それは結構きつかったです。(笑)
でも、そのままでは悔しいので、次の日にはどうしてやりたいのかというレポートを銀行に返しました。(笑)
その当時は仕事しながら、銀行を説得して、会計士さんを説得してと、走り回っていました。

でも、ある時から「こういう事出来ますか?」「できますよ。こういう事も出来ますよ」のように、自分がボールを投げたら2つ3つになって返ってくるようになってきました。そうなると自分の中で導かれているのではないかと感じる部分もあって、根拠のない自信、勘違いとも言うんですが、、。(笑)
上手くいく気が何となくしていました。
でも、今、同じことをやろうと思ったら本当に嫌です。(笑)

辛くてもやり続けられた理由

やっぱり、「ただただ、コーヒーが好きだった。」
これにつきます。
コーヒーは子どもの頃から好きでした。コーヒー牛乳から始まって、次は、ミルク、砂糖を入れてと、ずっとコーヒーは好きで飲んでいました。
これは、親の影響もあります。親がコーヒー好きで家に常にコーヒーがある状態だった為です。
コーヒーが好きで調べていくと、いろいろ見えてくるものがあって、「コーヒーって奥深い」「面白い」と感じるようになりました。

コーヒーから生まれた違和感

ある時からただ、コーヒーを飲むだけではなくなりました。

単純に飲み物として面白いし、視点を変えてみると、生産国からは稼ぐ重要なモノになる。
当時、フェアトレードという言葉を良く聞く時代でした。
なんとなく自分の中で、それはチャリティーと同じ感覚があって、言葉自体に違和感を覚えていました。オープンしてからも考えていたことの1つです。

ある時に出会ったのが、コーヒーハンターと呼ばれる川島良彰さんの記事でした。
その記事を読んだ時に、「これだ。」と思うものがありました。
その記事には、「フェアトレードは一過性の側面が強く、お金持ちの国が貧しい国を支える構図が見える。そうなると、常に生産国は貧しくないとならないよね?」という問いでした。これを読んだ時に、モヤモヤが取れて、この記事が自分の想いがうまく言語化されていると気付きました。
美味しいモノを作っている生産国にはちゃんと対価を払わなければならない。
そして、最終的にコーヒーをカップにした時に、お客様が「美味しい」と飲んでもらう。中間業者、焙煎業者、消費者も泣くことが無く、コーヒーを通してみんながハッピーになる。こういった持続可能な世界が作れれば、みんながハッピーになれるよねと。
フェアトレードはもちろん良いと思っています。ですが、1つのきっかけにしかならないと感じていて、より一歩進んだ時にそれが持続可能になればよりハッピーになれると思います。生産国を貧しく位置づける必要は全くないと思いますし。

お店に散りばめられたこだわり

このお店は、以前のログハウスのラーメン屋がベースになっています。
店づくりのコンセプトは、男の人も気軽に来れるお店です。


カフェは女性が行く場所というイメージが少なからずあると思っていて、そうではなくて男の人も気軽に行ける場所が作れればと思っています。
“木”“レザー”“鉄”をキーワードにして、男ぽっさをアピールしたいと思っています。

例えば、お店の入口も鉄骨を使っていて、この色にはすごいこだわりました。
イメージの色味を出すために一回酸のプールにつけなければならなくて、関西に鉄骨を持っていって作ってもらいました。(笑)
そういったこだわりが店内に散りばめられています。
床もあえて隙間を空けているように、洗練されているよりも、武骨な感じを作りながら、隙がある不完全さを出しています。

隣には、ビーンズショップがあって、土蔵を使っています。
もともと祖父が管理していた建物で、よく言っているのは家の形をしたゴミ箱状態でした。当時、祖父がなんでも入れてしまっていたので。(笑)
それを1人で分別して、ごみを捨てに行ってというのを続けて、お店に使えるようになりました。
松本は蔵の街で色んな場所に残っていますが、うちの蔵は雰囲気が全く違います。
外見は当時のままですが、中を完全に洋風に振って、内と外にどれだけのギャップを作れるかを意識して作っています。蔵なのにシャンデリアがあります。(笑)

お客様の物語を感じる

オープンして12年目になります。
12年間お店をやっていると、結婚してなかった人が結婚しました。子どもが生まれました。といったようにお客さんの物語がどんどん進んでいて、一緒に共有できるというのは面白いと感じています。お店も成長していきますが、お客さんと一緒に歩んでいるんだなと実感しています。なので、お店としてもどれだけお客さんの傍らにいれるのかというのは同時に考えます。
入籍した日にお店でご飯を食べてくれた人が、毎年結婚記念日に来てくれたりして、そういうことがあるとやっぱり嬉しいです。
新しい出会いがあれば、転勤でいなくなってしまうお客さんもいますが、お客さんの物語を、お店をやりながら感じています。
今日も子連れの家族が来店してくださいましたが、「次は子どもが1人で来れるまで続けられたら良いな。」とか思いますね。

私の逸品

今までいろんなコーヒーの種類を扱ってきてそれぞれに思い入れはありますが、その中でも特にタンザニアに思い入れがあります。

それは、自分が一番好きなコーヒーだからです。人間って正直で自分が好きなコーヒーを淹れていると、普段より勝手に力が入ると言うか、「この豆のもっと良いところ引き出してやろう。」と無意識に思ってしまいます。
もちろん全部の豆をそう思っているのですが。(笑)
コーヒーの仲間を作っていて、他の焙煎業者の方にもタンザニアは好評なので、是非飲んでもらえたらと思います。

私のプライベート

バイクに18歳の時から乗っています。ずっと直しながら、同じバイクを20年間乗り続けています。湘南爆走族読んでいました。(笑)
今の時期だとビーナスラインが気持ち良いですね。
普段、お客さんとお話しさせていただいているので、休みの日は一人の時間を大切にしています。多くこういった時間をとれるわけではないですが、意識してとるようにしています。
バイクは一人で行って、走ってとすごく良い時間になっています。

最後に一言

「コーヒーを通して、生産者からお客様まで皆がハッピーに!」

この願いを込めて、カフェ、ビーンズショップともに営業しています!
是非、足を運んでください!

世界中の人に会える場所|Healthy Penguin Cafe ルーニーマイケル/ルーニー千春

松本で生活した理由

喋るのへたくそだからな、、、。(笑)
無理だよ、、、。(笑)

もともと料理がすごい好きで家でよく料理を作っていました。
「カフェを開きたい。」という思いはもともと持っていて、松本に来てから4か月ほどカフェで働いていました。
でも、実際は、松本に来てから4か月後にオープンするなんて思ってもなかったよね。(笑)
当時は「いつか開く。」ぐらいに思っていました。(笑)たまたま良い物件が空いていたのです。

私はオーストラリア出身ですが、オーストラリアでの仕事に飽きてきて、新しいことをしたいと思っていました。それが松本に来た一番のきっかけです。少し日本語を勉強したことがあるので、日本語を覚えたかったこともあり、ワーホリで日本へ行きました。
そこで今の妻に連絡をしたんです。
妻は、学生時代にワーホリでオーストラリアに来ていた経験があり、そこで出会いました。それからはずっとお友達の関係でいたのですが、私が日本へ行く時に、妻以外お友達がいなかったので、当時、会った以来に連絡をしました。
その後、付き合って、結婚して、、、。(笑)

それから、日本でまずは二人で長く定住する場所を探していました。
私は、スノーボードが好きで、最初、新潟や北海道のスキー場で働いていた経験があります。長野はスノーボードも出来て、妻の実家である神奈川にも近い。
オーストラリア人の友達が松本に住んでいて、「すごい良いところだよ。」ということも言われていました。
実際に住んでみると環境的にも東京よりも人が少なくて、ゆったりとしたペースが良い。
松本のことがすごい好きになりました。

店名に込められたエピソード

妻にプロポーズをする時に、オリジナルなプロポーズで伝えたいと思っていました。
そう考えた時にペンギンのプロポーズの仕方がすごい可愛くて、そのようにプロポーズをしました。
オスペンギンがプロポーズの時に、メスペンギンに小石を渡すんです。
メスペンギンがその石を拾い上げたら、結婚成立です。(笑)
本当です!!(笑)

なので、私は、プロポーズの時にフォトアルバムと石をあげました。
そこから「ヘルシーペンギンカフェ」という名前が付けられています。
あとは、ヘルシーはカフェの象徴的な言葉なので、覚えやすい名前かなとも思います。
それから、友達からも親からもペンギンにまつわるプレゼントをもらうようになりました!(笑)

カフェを通して私たちが出来ること

カフェは去年の12月にオープンしたので、半年を過ぎたくらいになります。
お店のこだわりは、100%植物性原材料を使用していて、卵や乳製品などの動物性の食材は一切使っていないこと。
どんな人でも楽しめるというのは私たちのやりたかったことです。様々な食事制限がある人がいるとは思うのですが、この場所に来れば誰でも楽しく食べることが出来るというのが良いかなと思いました。
環境問題や、野菜、果物の持つパワーを意識していて、このお店にきて「体の調子が良いな。」と思ってくれれば、良いかなと思いました。
私達も普段から食にすごい気をつけているので、その想いを反映しています。

このようなカフェの形になったのは、自分でビジネスをするのならば、社会や環境問題、自然に貢献できるようなビジネスをしたいと思っていたからです。
オーストラリアには健康や、環境問題に配慮したカフェはとても多くあります。
例えば、ストローをステンレスにしてプラスチックは使わないことや、ラップを使わないといったことです。
私達もこのようなビーガンカフェがすごい好きで通っていたのですが、松本にはこういったお店がないと思っていました。
ただ、良い空間、美味しい料理を提供するだけではなく、環境問題などを考えなければならない時代かなと考えています。
今、子どもがいて、将来のことを考えるとすごい大切な問題かなと思います。
ビジネスとなるとこういったことに目を向けるのは難しかったりするのですが、意識してお店づくりをしています。

世界中の人に会える場所

お店をオープンしてから半年以上経ちましたが、オープン当初思っていたよりやることが多いと感じています。(笑)
そういった大変な部分もありますが、お客様から「美味しかったよ」「また、来ます」といった言葉をたくさん頂けることがすごくうれしく思っています。

また、お店をやっていて好きなところが海外のお客様がたくさん来店してくださると言うところです。松本市は東京みたいな大都会ではないのに、世界中の人の会えるんですよ!
旅人に会えて、いろんな旅の思い出を聞かせてくれて、自分も旅をしているような気分にしてもらえる。ヨーロッパ、南米、北米、アジア、世界中から来店されます。
特に、私はスコットランド人であり、オーストラリア人であるので、同じ故郷の方が来るのは地元の話ができて嬉しいです。
これは想定していない本当にうれしい誤算でした。
松本には、すごく良いコミュニティーがあります!
結構外国人通しの知り合いも多いんですよ。

Healthy Penguin Caféのこれから

今、カフェを中心に営業していますが、イベントなどを通していろんな方が来られる場所になって欲しいと思っていて、コミュニティーとしての機能を充実させたいと思っています。ここのお店に来て下さるお客様同士が仲良くなる姿を見ると、とても嬉しい気持ちになるので、こういったことが多く起きてほしいと思います。
「Healthy」という言葉には食事だけでなく、いろんな要素があるかと思います。
なので、ヨガなどといった様々なものを取り入れて、バランスの良いライフスタイルを提供していければと思います!
上手くしゃべれない、、、。(笑)

昔ながらの味で世代を繋げる|豆まめ 丸山 則文

“たまたま”から始まった料理人人生

一番最初に飲食に携わったのは、高校時代にバイトを探していて、たまたま雑誌に載っていた近くの小さい洋食屋さんに応募したことです。
そのアルバイト先では、最初、厨房に入りましたが、チーフが良い人だったのと、小さい店という事もあり、何でもやらせてくれました。そこから「料理がおもしろいな。」と感じていきました。魚をさばくとか、色々やらせていただけたので、続けることが出来ましたが、下積みを何年もやってとなると飽きちゃったかもしれないですね、、、。(笑)

高校卒業してからもしばらくそのお店で働いていました。私は横浜出身ですが、家族が長野県でペンションをやる予定がありました。ですが、その予定が長引いていて、なかなか動きだせない時に、兄貴夫婦と「もう長野に行った方が良い。」という判断で長野県へ引っ越しました。ペンションのスタートです。当時25歳の時でした。

働きながら抱いていた違和感

ペンションは7、8年やっていましたが、私が松本市の奈川の方と結婚することになったので、そのタイミングでペンションを出ることとなりました。
30歳過ぎの時です。
その後は、ゲレンデで食堂をやっていました。ゲレ食のキッチンです。
今まではペンションで一人前ずつ作っていたのが、どばっとオーダーが来て、それを捌くといった仕事に変わりました。
ですが、料理をずっとやっていたので、ゲレ食でも「ここはこだわりたい。」といったように所々で色を出していました。

その後の転機は、スキー場が食堂を閉鎖することになってしまったことです。
その時の想いは、「ずっと飲食やってきたし、夫婦でなにかやりたい。」といった想いでした。
それを形にするように、奈川でカフェを始めました。
松本市の施設を借りて、9年間やっていました。
カフェでは食堂や、お土産を扱っていましたが、その時抱いていた気持ちは、「ただ、お土産屋さんの横流しで売っていたのでは面白くない。」という気持ちでした。

うす焼きとの出会い

そんな違和感を抱いている中で、カフェに来たお客さんに、たまたま女房が作ったうす焼きを出しました。そのお客さんはうす焼きを食べて「珍しい!!」と言ったんです。
このシーンを見た時に直感的に「これだ。」と思いました。
色々な具材が入るし、家の畑も生かせる。豆や、リンゴを入れても面白い。おやつにもなる。
これがうす焼きを商売にしようと思ったきっかけです。

しかし、うす焼きを商売にしたいと地元の方に話すと、意外な反応が返ってきました。
「うす焼きを売るの!?」という反応です。
第三者の目から見ると、「地元食材を使った素朴な食べ物をもっと外に出したい。」という想いでしたが、地元の人は、その時にある物でうす焼きを作る認識しかありません。
ですが、私には地元食材をうまく使って、こだわりを詰めることで良いものが出来るのではないかという可能性をとても感じていました。

うす焼きの商品化

女房にうす焼きの作り方を聞くと、「みんな目分量で作っている。」との答えでした。その時家にあった食材を使うので、その時によって味が違ったりといったことが起きます。
本当に各家庭で味が違っていて、うす焼き自体に味付けをせず、味噌をつけて食べたり、砂糖醤油つけて食べたりという人もいます。
味にある程度の答えが無いものをレシピにするのは難しいので、女房が作っていた味を基本にしてレシピにしています。

レシピだけでなく、食材にもこだわっています。なるべく国産、長野県産、自分の畑の食材を使いたい。安心して食べることができる食材を使っています。
例えば、長野県産の小麦粉、中力粉なので、もっちりとした触感が楽しめる。
砂糖はキビ砂糖。卵は会田のたまご。お水は、松本の湧水を汲んできて使っています。
誰がつくったかがわかる食材を使いたいし、これは自分でも気になることで意識的にやっています。

「うす焼きっておせんべい?」

お店を始めての苦悩はうす焼きを知らない人が、うす焼きの文字を見た時に県外の人は見当もつかないことです。(笑)
「おせんべいかな?」と想像してお店に来るひともいますし。(笑)
名前を変えて販売することも違うなと感じていました。
「うす焼きってなんだろう。」とお店の前を通り過ぎてしまう人に、足を止めてもらって、食べてもらいたい。

食べてもらえれば美味しいと感じてもらう自信はあったのですが、食べてもらう第一歩を踏み出せずにいました。
今のお店は観光の人もいるし、地元の人もいるしといった客層ですが、外国から来た方に対してどう伝えるかは課題でした。
出た答えは松本のローカルのパンケーキ。これを表記してからは、観光客はローカルの物を食べたいと思って来ているのでお店に足を運んでくれるようになりました。
食べてもらうと、「美味しい!」と食べてくれます。

通販もやっていて冷凍発送もしています。
自然解凍をして、トーストで温めてもらえば美味しく食べることができます。
一口でも良いから食べてもらう。粉の美味しさ、豆の美味しさを味わってもらいたいと思っています。

うす焼きへの想い

このお店を通してうす焼きがどんどん広まっていけばと思っています。
うす焼きに馴染みがあるのは上の世代。近所のおばあちゃんがお店に来てくれて、懐かしんでいっています。
ある時に来た奥さんは、「よく母親が作ってくれた。今度作ってみようかな。」と言ってくれます。
うす焼きは栄養もあり、健康に良い子どものおやつにぴったりです。
上の世代に馴染みのあるうす焼きが、次の世代へ、また次の世代へと繋がってほしい。
そう願っています。

私がうす焼きにこだわる理由

自分で作ってもう10何年になりますが、す焼きを食べる度に「美味しい。」と思います。
自画自賛ではないですが、素直にそう思います。それが理由です。
閉店後にお店で残ったうす焼きを、嫁、娘がいる家族に持ち帰っても、同じ反応が返ってきます。
飽きない。それだけ自分が好きで、毎日食べても美味しいと思います。
季節を感じる食材を使用していて、身体にも良い。
こういったものをもっと食べてもらいたい。
それだけの想いです。

私のプライベート

休みの日はずっと家の畑です。
豆、じゃがいも、そばといったうす焼きに入れる食材を出来るだけ作っていきたいと思っているので、この時期はずっと畑です。(笑)

最後に一言

うす焼きは、季節によってさまざまな食材を使っていて、100以上の種類があります。
高原野菜の甘さや、美味しさは食べてもらえば分かると思うので、是非お店に足を運んでください!

 

抑えられない想い|陽氣茶房 Hara chan

抑えられない想い

出身は塩尻で、松本在住です。
このお店を始める前は、今あるお店の近くで何年か喫茶店をやっていました。
いろいろな事情で閉めることになってしまったのですが。
その時は、学生さんのたまり場として使ってもらっていて、そこそこ地域に根付いたお店だったと思います。結構親しまれていたかな。(笑)
毎日学生が寄っていくようなお店でした。14〜5年ぐらい前の話ですけど。

それから去年、今のお店を開きました。
本当は前の店を閉めてからまたやるつもりはなかったんですよ。
でも、なんとなく沸々と来るものが来てしまって自分の感情を抑えられなくなりました。(笑)
その中で、ずっと物件を探していたのですが、今は景気が良いので起業する人が多いんですよ。
だから、松本市中カフェ盛りで、、。(笑)
なので、物件もなかなか無かったんですけど、たまたまここの物件が空くという事で開店を決意しました。

自宅に近い空間作り

本当に偶然だったのですが、建物も古民家風だったので、流行りの古民家カフェの様なお店をイメージして始めました。
内装もとにかく手作り感を出したくてセルフリノベーションで、予算的に限られていたこともあり、全て自分で行いました。
完璧さを出してしまうと落ち着かないのではないかと考えていて、あえて不完全さを演出しました。

期間は三か月ぐらいかかりましたね。
未完の部分は何か所かあるのですが、それは徐々にやっていきます。
もともとは、築90年という物件なので、大々的にやらなければ耐久性の部分からも厳しかったので、床を全て張り替えたりと、床だけで1ヶ月ぐらいかかってしまいました。(笑)
今は、頑丈に作りましたので100人跳ねても大丈夫です。(笑)

とにかくゆっくりしていってもらいたいなという想いが強いです。
各机にコンセントを設置しておりますし、Wi-Fiも導入しています。
パソコンを持ち込みながら仕事して貰いたいというスタンスでやっています。
ゆっくりとくつろいでもらいたいです。(笑)
裏や、二階のスペースがまだ改装中ですが、完成次第ソファを置いたりと、より多様なニーズに答えられるようにしていく予定です。
喫茶店ですが、家にいるような感覚で過ごしてもらいたいと思っています。

私の好きなモノ

趣味は音楽、本、漫画です。(笑)
オールジャンルで聞きますが、特に洋楽好きです。店内BGMも自分の好きな曲を自分で聞くために流しています。(笑)BGMとしてではない!(笑)

通勤で好きな曲を聴く感覚で流しているんです。(笑)
ロックで言えば、ロバート・パーコー、ジョンマイルズ、マイケル・ブラント。めちゃめちゃビッグという訳ではないですけど、有名ではないけど曲は良いみたなのが好きなので。
少し前にあるミュージシャンの曲をかけていたら、お客様から「このタイミングでこの曲が聞けるとは思わなかった」といった話で盛り上がりました。(笑)
自分が好きなものに反応してくれるのは嬉しいですね。
漫画は前のお店の時に高校生が、寄贈してくれたものが半分ぐらいあって、そのノリで自分でも集め出した感じです。
最近のマンガも置いてあって山田可南の「私の彼は仕事が出来ない」なんか結構このフレーズが面白いですよね。(笑)女の人バリバリやる人だと、男の立場が無いみたいな。(笑)

最後に一言

松本は、大自然もあって環境も良く、交通の便もそこそこ悪くはない。そこでやっぱり喫茶店として街の一部になっていきたいと思っています。
家に居るような感覚で来ていただければ、嬉しいです!
是非、お待ちしています!

出会いが夢を加速させた|ちょこんと。#1 店主A 工藤 美雪/ 店主B 藤野 沙紀

「いつかお店を持ちたい。」
二人が抱いていた、漠然とした想いは、
二人の運命の出会いによって、
叶えられた。
二人は、何を想い、何をお店で表現しているのか。

街の一部になる|想雲堂 渡辺 宏

 

ブックカフェが出来るまで

なんだろう、、、(笑)
もともと本が好きで、最初は、「お店に本が溢れていて、食事も出来るお店があったら良いな。」という想いでした。
松本にそういうお店がなかったので、、。
こういうお店をやっていれば、本好きが集まってくるし、本が好きじゃない人は来ないと思うし、、、(笑)
40歳ぐらいで仕事を辞めているのですが、その時にそろそろ仕事を辞め時と考えていたこともあって、
タイミングが重なった結果ですね。
前の会社で居場所がなくなったという話もありますね。(笑)

もともと地元は山梨で、前職の広告代理店で営業をしていました。当時から仕事関係で松本に関わりがありました。
甲府の人間なんだけど、松本は観光客も来るし、人口自体もそこそこあって中心市街地がまだ生きているのでこういうお店をやるのには良いかなと思いました。
甲府は割と空洞化しているので難しいなと、、(笑)
もともとお店が多くある街が好きで、街でお店をやりたいと考えていました。

ブックカフェが出来てから

お店は今年の6月で5年になりました。倉庫があって、お店の本の量は変わりません。倉庫の本を含めると、2万冊はあります。(笑)
もともとのコンセプトとしては、お店をやりながらインターネット販売しようという想いがありまして、
このお店だけでは心元ないんですね。(笑)
古本屋さんをやりたくて、ただ古本屋さんだけでは生きていけないという想いも同時にありました。(笑)
でも、喫茶店、バーと一緒だったら面白いかなと。居心地も良いし。人によっては、「ずっと居座ってダメじゃん。」って言う人もいるけど、そこまで人来ないからね、、(笑)
「注文してくつろいで言ってくれれば。」という想いだけです。

ただ、ワンドリンクはお願いしますね!(笑)
あと、気持ちとしては、ある程度の時間お店にいたら、また注文して!(笑)
まあ、しなくても文句言わないけど。(笑)

こういう店って経営が難しいんだよね。人がいないから。儲かっていそうな店も儲かっていないと思うよ。
そんな話は載せなくて良いけど。(笑)好きだからやっているっていうのがほとんどだよね。

街の一部になる

「街でお店をしたかった。」というのがあるので、松本を選びました。
いろんなお店で形成されていて、街が生きているから。その中で自分が何が出来るかという事です。
イベントに関しては、各店がいろんな試みをしていくことで街が面白くなるだろうなと。
365日イベントやれば面白いじゃん。(笑)
僕だけでは大きいことはできないけど、みんながやれば面白いかな。
商店街で何かやったって、内輪の人たちや、お店の仲間が来るだけなんだけど、その枠を超えていろんな人が参加するイベントをやりたいと思って、一箱古本市というイベントをやりました。
本が好きな人が一箱ずつ本をもってきて古本屋さんごっこをするという企画です。(笑)

街全体でやるって難しいんですよ。だから、自分たちが出来る範囲でやるしかない。
例えば、商店街で何かしようと考えた時に根回しが大変です。
そうすると自分のコネクション使ってなにかやっていって、そこで人の繋がりができればよいかなと思っています。

これからの展望

やれることをやるだけです。あとは自分が面白いなと思うことを信じてやるだけかなと思います。
こういうイベントごとはお客様との繋がりの中で出来ていくんだよね。
お客様に巻き込まれちゃうと言うか。例えば、「お店で音楽やりたいんだ!」という人がいたら話聞いて、やってもらえばよいし、「絵を展示したい!」とか、それは巻き込まれちゃえば良いんだよね。そして、本を作りたい人がいれば、「一緒にやろうか。」と言う話です。

店やっている人がすごい重要だと思うのが、やっぱり今ある仕事をしっかりやること。
イベントじゃないんだよ本当は。イベントは色づけと言うかそういうもの。イベントだけやってもしょうがないし、イベントがメインになってもしょうがない。イベントだけやってお店空いてないとか。(笑)
パターン的にはあるんだよ?そういう店だって。
売上が土日のイベントの割合が大きければ平日お店開いてもつまんないじゃん。(笑)それは本末転倒になってくる。

例えば、こういう店をもって、インターネット販売しましたと。
インターネット販売して、インターネットの売り上げめちゃめちゃ行きましたと。
そしたらこの店いらないじゃんという。でも、それじゃつまらない。
店やったら続けないと。営業時間は変わるかも知れないけど。
結局、店がないと街って成り立たないからさ。だから、街をつくっていくと言う意識が強いかもしれない。
自分の今の活動が街づくりになっている感覚で、そういうのがスタイル的に良いかなと。

最後に一言

コーヒーとアルコールを楽しみに来てください!
ウィスキーもオススメですよ!!

五感に訴える活力ベーグルを|ナチュラルベーグル歌 小熊 かずこ

飲食から離れて気付いた素直な想い

出身は埼玉です。それから東京の大学へ行ったり、東京へ住んだりといった生活をしていました。大学時代はクルクルパーでしたね。(笑)
当時は、ブラジル音楽に没頭していて、ラテン音楽を演奏するサークルに属していました。入学の時にオリエンテーションでサンバパレードで練り歩いている人がいて、その人たちが気になってしまって。(笑)
そこから部室のドアを開いたのがきっかけです。どっぷりつかって色々聞いたのと、実際にブラジルまで行ったりしました。バンドはずっと続けているので時々、ブラジル音楽を演奏したりしています。

学生時代のアルバイトは飲食をずっとやっていましたが、あまり深く考えずにアルバイトをしていました。手っ取り早いと思ってやっていたのと、あとはまかないが食べられるとか。(笑)
深い意味はなくやっていたけど、振り返るとずっと飲食が好きでやっていたと思います。オフィスで一瞬働いたことがあるんだけど、やっぱり匂いが無かったり、食器の音がしなかったり、蒸気の音がしなかったり、火の音がしなかったりとかなんかつまらなく感じて。五感に訴えてこない。だからそれがものすごいつまらない、合わないなと感じて、それから「ずっと飲食を好きで選んできたんだな。」と後から気づきました。

長野でお店を

大学卒業後は、結婚、出産があり、戻ってきた後もランチを手伝う飲食から始めました。
長野県に来るきっかけは、パン屋さんで何年か働いていた時に、移動販売のカフェを最初やろうと思っていたことです。その移動販売するための工場を探していて、どこが良いかなと探していたことがきっかけです。長野で最初からやろうという気はなかったのですが、親戚絡みの関係で、長野に縁があり、今の場所でお店をやることとなりました。外見はお店っぽくないけれど、作る場所として利用するのならば、誰か見に来るわけでもないし、問題ないのではという事で使うことになりました。
ただ、工場にするのにも改装位にお金がかかるということで、そこまでお金をかけるのならば、ここで店舗として使ってしまえばと言う発想に変わりました。

関東圏でしか暮らしたことが無く、長野で暮らすことにいろんな驚きはあったのですが、いろんなことが「良いじゃん!」と思えるようになりました。水も綺麗だし、野菜も美味しいしといったことです。当時、有機野菜などの良い野菜を遠くから取り寄せるという事をやっていて、それに対してはちょっと不自然さを感じていました。それが地元の良いものを食べることができるという自分のライフスタイルより自然な形で実現できるのではないかと思って、逆に良いじゃないと思うようになりました。

ベーグルを焼くまで

お店を始めてからは今と同じベーグル屋をずっとやっていたのですが、当時は販売だけやっていました。当時、あまりバターや乳製品を取らない生活をしていたことや、パン屋さんで働いていた時も、アレルギーで乳製品を食べれない子が増えているという実感がありました。
なので、そういった子でも誰でも食べることが出来るパンを作りたいと思っていました。当時、一緒に働いていた若い男の子たちもたくさんパンを食べていると健康診断に引っかかってしまうんです。理由は、糖分や、油脂の取りすぎです。
なので、「これを毎日食べていたら体に負担かかるよね。」と思って、毎日食べても負担が残らないものをどんどん絞っていった結果、ベーグルになりました。
ベーグルのゆでて焼くという工程が、国産小麦のモチモチとした触感と良く合うのではないかという気持ちもありました。

10年の節目を迎えて

お店は今年で10年になります。
当時小学生だった子が上京をして、お母さんがその子に「ベーグルを送ってほしい。」と言ってくれたりします。その子にとっては故郷の味ではないけど実家の近くにある懐かしい味になっているというのは、意外ですごくうれしいことですね。
自分だけでなく、お客様といった周りのことでこの月日を実感します。

この10年間は、「お客様に嘘をつかない」という事を大切にやってきました。
また、自分にも嘘をつかないという事にも繋がると思います。
嘘をつかないというのは当たり前のことなのですが、「○○産の物を使っています」といったことや、失敗して崩れてしまったら正直に伝えて、安く販売すると言ったことです。
地域のご高齢の方や、子育て世代に支持されているかなという気がしています。
無添加や、地元の野菜を使っているといったことを前に出しているので子育てに気を遣っている方に支持されているかなと感じています。

労働体系というか自分の働き方にも意識を置いてやっています。飲食店ってどうしても長時間労働になりがち。特に店主は人件費を削るために自分で働いたりとか。そこをどうにか新しいやり方でやっていきたいなと思っています。これから年を重ねていくし、自分が疲れてしまっては良くないので、もう少しゆとりのある働き方をしたいと考えた時に、「少し違うかな。」という想いがあって色々考えているところです。
なにかあるのではないかと思っていて、みんなヘトヘトになるのではなく、無理なくコンパクトに働くスタイルを構築していきたいと思っています。

私のプライベート

普通の生活が好きだなということを自覚してきています。ただ、お家の外にでて月を見ながらコーヒー飲んだり、ビール飲んだり、生活そのものを楽しむことが好きです。それは気持ちにゆとりがないと出来ないと思ったりもしています。
少しテーブルを彩良くしたり、家をきれいにするのもそうです。生活そのものを好きにすることを楽しんでいます。

最後に一言

父親だったり、母親だったり、会社員だったりいろいろあると思いますが、日々の肩書きを外して、自分の時間の為にゆっくりいらしてください!

ナチュラルベーグル歌
■住所 長野県松本市深志3-8-17
■営業時間
ベーグル販売 10:00~18:00(売切れ次第終了)
カフェ営業  10:00~17:00(16:30ラストオーダー)
定休日 月、火(不定休)
■TEl 0263-35-8876

「たまり」の記憶|かめのや 斎藤 博久 #1

「たまり」の記憶

飲食に最初に携わった経験は、大学のアルバイトです。京都にある古着屋系列のカフェでやっていました。ちょっと変なお店。(笑)一階は古着屋、二階はカフェといった業態でした。
もともと喫茶店をやりたくて、飲食に興味があったので、夜の居酒屋ではなく、コーヒーを出すカフェとか喫茶店でやろうと思っていました。

少し遡ると、もともと地元に「たまり」という古い喫茶店があって、そこが大好きでした。おっさんのたまり場でたばこの煙で濃霧になっているお店です。(笑)
おじさん、おばちゃんばっかりの横の繋がりでしかない喫茶店。(笑)
お店は5、6席しかないけどずっと人がいて、天気の話だの野球の話を一生しているみたいな空間。(笑)
横が駄菓子屋さんだったので小学生のころから存在は知っていて、中学生の頃から通っていました。そこから徐々に休みの日に顔を出すようになりました。
父親がたばこ吸わない、酒も飲まない人だったのですが、「たまり」には、違ったベクトルの大人がいて、いろんな話を聞ける。そこの場所は大人が可愛がってくれることが嬉しくかったのを覚えています。今でいうとサロン的な横の繋がり的な交流の場としての喫茶店がまだ残っていたところがあって、それが「すごい良いな。」と思っていました。コミュニティーとしての場所が自然と出来上がっている。
コーヒーがうまいことに越したことないけど、「コーヒーまずくてもこいつら来るんだろうな。」みたいな!(笑)味は二の次の付属品で、マスターやママさんが商品となっている。生活の一部のような場所を作りたいなと思いました。
そのころから漠然と喫茶店のマスターになろうと思っていました。

「人が良いところを選べ。」

就活の時は、二択で迷っていました。いわゆるサラリーマンと、修行だと思って給料が安くても飲食店で働くかでした。
ちょうど就活をしている頃に、二つ上の姉がいろいろやりたいことがあって、会社を辞めたとの連絡がありました。
ギターやりたい、フランス語やりたいとか本当にいろいろやりたいことがあって、当時並行してやっていたけど、「時間足りない!」と言い始めて、親がすごい心配をしていました。
そのことがあって当時は、飲食の方に気持ちが傾いていたのですが、全く親孝行をしてこなかったので、「兄弟二人して心配かけるのも。」と思ってとりあえずサラリーマンになろうと思いました。
それから業種問わずいろいろ探して、立ち飲みやスナックのおじさんから情報収集をしていました。多くの人が言っていたのは、「仕事はどの仕事でもしんどいから。しんどい時に自分が潰れないようにするのは、周りの人。だから、会社を見に行って人が良いとこを選べ。」ということでした。
それから200何社説明会に行ったけど、5社に絞って、その中の1社建築系の会社に行きました。

営業に没頭した4年半

入社してから、期間は4年半ほど営業をしていました。めっちゃ楽しかった。(笑)
当時は、ルート営業でしたが、自分で先方の懐に飛び込んでいって、信頼関係がどんどん厚くなっていく手ごたえがモチベーションになっていました。
人に好かれていく過程が楽しかったです。(笑)営業最高です。(笑)
前の会社は、岐阜、長野が営業担当だったのですが、月曜日に車で現地に入って、金曜日の夕方に帰ってくる一週間かけてゆっくり回るスケジュールでした。車だったので3か月で3万8千kmとか。(笑)長野、岐阜は会社としてはそんなに遠くない部類にはいっていたので車での移動でした。(笑)でも、慣れるもので、帰りノンストップ4時間半で帰れます。(笑)
自分で全部スケジュールを立てることができて、売上の各月の配分も自由でした。かなり個人に裁量があって半分自営業みたいな感じだったので、そこもすごい楽しいポイントでした。
毎日飲んで帰るみたいなそんな日々でした。(笑)

その中で、県民性をいろいろ感じることがあって、三重は人見知り。岐阜は都会に近いほど、人見知り感が少ない。長野は広いので地域によって人柄が異なる印象を受けました。良い悪いではなく、松本はすごい観光客がいるし、移住者も多いので、新しいものを受け入れる土壌があって、排他的ではないし、おおらかに感じていました。テンション満点で受け入れてくれるわけではないけど、気にしてくれてみんなワクワクしているみたいなそういう流れがあると思いました。
長野市は、駅前はチェーン店が多くて、面白いお店見つけようとすると駅から離れていたりする。街が間延びしていて遊ぼうと思っても、車が必要かなといった感じなのですが、松本は街がまとまっているので、長野市に仕事がある時も松本に泊まって、朝頑張って長野市まで走るみたいなことをしていました。(笑)
松本がすごい好きでした。

たまたま嫁さんが松本に住んでいて、生活を考えてみても「松本だったら良いかな。」と思えました。営業時代にある程度知っていた街でもあったので、むしろ住んでみたいな気持ちがありました。
生活を考えた時に、住みやすいし、人も良いし、無職になってしまうけど、引っ越しを真剣に考えました。

当時は、会社では昇進も決まって後輩も入ってきてというタイミングで、「頑張ってくれ!」と社長や本部長に期待をされていたのですが、その一か月後に「彼女と結婚したいのでやめます。」と伝えました。(笑)
すごい会社からはかわいがってもらっていたので引き留められたのですが、一人一人話をして納得してもらってといったことをしていました。
そこでいろんな人が言ってくれたのが「仕事上、引き留めなければならない。けど、個人的にはお前の人生だから好きにしろ。仕事上今からこう言うけど、おれはこう思っている。でもどっちもおれの本音ではあるから考えてくれ」と。
なんて良い人たちなんだと思いました。(笑)
この会社は人で選んだけど、ちゃんと選んで良かったなとこの時に再度思いましたね。

歴史を繋ぐ場所|かめのや 斎藤 博久 #2

 
 
 

歴史を繋ぐ場所

松本に行ったら、「仕事はなんでも良いな。」という想いと、そういえば「喫茶店やりたかった。」なという二つの気持ちがありました。前職は仕事が楽しすぎて「喫茶店をやりたい。」気持ちを忘れていたので、「喫茶店やってみようかな。」という想いがどちらかと言うと強かったです。当時、26歳だったので、30歳までやって食えなかったら諦めようと。
30歳だったらどこかの会社がもらってくれるだろうとそういう気持ちで始めました。

二か月くらいニートして、その後、派遣に登録したのですが、工場で働いていたら、めちゃめちゃ開業準備の時間が無くて、、。
そこから、また無職になって物件を探しだしたぐらいに、嫁さんが「ここなんか前喫茶店で、今は休業しているけど、どうかな?」という話がありました。
その日にそのお店を見に行ったのですが、もちろん店内を見ても、暗いから何も見えませんでした。この物件の持ち主である翁堂さんの本店へ突撃で行って、「そこ貸していただきたいのですが、今どういう状況になっているのですか。」と飛び込み営業をしました。(笑)
5分後には社長に会えて、そのままお店の中を見せてもらい、たばこを吸いながら、昔話を聞かせてもらいました。
前職の営業力が生きました。(笑)

この物件は候補物件の1つという認識だったのですが、内覧させてもらった時に庭を見て、「こんな物件は他には無いと。絶対にない。」と。(笑)
基本的には1人でやるイメージだったのでコーヒースタンドとか、ちっちゃい喫茶店のような形でやろうと考えていたのですが、やっぱりこの内装と庭を見てしまったので、家賃とかも聞かずに「ここだな。」と思いました。ここでやってみてダメだったらしょうがないぐらいの衝撃でした。ただ、僕の他にも5,6件ぐらい借りたいと言う話が来ていて、翁堂さんも僕に貸す気は、最初無かったようです。初めて社長さんにお会いした時の昔話を聞いていると、「60年前に社長のお母さんが開いたお店で、自分のお母さんが始めたお店なので思い入れが強い。」という話でした。
なので、違う人に貸してしまうと雰囲気が変わってしまう。これがすごい嫌だと。
このお店でフランス料理をやりたい人がいたみたいなのですが、カウンターが狭いので、カウンターをつぶさないと出来ないという話で、それは絶対に嫌と話されていました。
僕は「この雰囲気すごい好きです。どこも変える必要ないですよ。」と本心で話しながら、そこから「やってみるか。」と話を頂いた流れになります。

ここのお店と、思い出のお店「たまり」が重なっているのは、こんなに立派な作りではないんですけど、やっぱりカッコ良い大人がたばこを吸っているイメージが重なりました。
シャンデリアがあるのですが、これもともとは透明なクリスタルで、これが何十年分かのヤニで琥珀色になっているんです。そういう歴史が詰まっているんです。自分でお店やるにあたってメリットは自分の想いを前面に出せるということがあるんですけど、こういう歴史は、もちろん0なわけで、そういう人の想いみたいなモノがここに詰まっているんだなと。
椅子一つとっても、ここでじいちゃん、ばあちゃんたちがたばこを吸っている場面が想像できるというのがあって「良いな!」と思いました。

喫茶店にこだわる

自分が行きたいお店を作りました。僕は喫茶店をやりたかったけど、こういう内装に出会ったのはたまたまで奇跡みたいな話です。もしスケルトンでなにもない空間であれば、最大限努力して、自分の行きたい店を実現すると思いますけど、こういう物件ありきの商売の場合は、物件の状態がどうかで左右されてしまう。
でも、ここは自分の趣味どストライク真ん中だったので、全然変えなくて良かった。むしろ変えない方が良い。たまたまこういう店をやらせてもらっているのですが、僕は大満足です。(笑)
最近の建築の話で言うと、昔のお店は、高度経済成長期の後押しがあって、個人のこだわりが強い特徴的なお店が沢山あった。そういう店ってすごいカッコ良いなと思うけど、そういう店はこれから飲食が盛り上がってくるぞという経済の後押しがあったから。
ここでお客さん呼んでやるぞというすごいエネルギーがあった時代。
資本をかけて、こだわりを出しても大丈夫だった時代。
今は、特注でいろいろ作ってくれる職人さんとかもほとんどいなくて、店に置いてある椅子も「今は誰が作れるの?」という話で。
そう考えると今作れないものが沢山あるし、今できないものは全部残したいと言う想いがあります。
最近できるお店で言うと、そんなに外見の違いは感じなく、ぱっと見で、スペインバルだったらスペインバルってすぐにわかる。
けど、こういう入りにくいお店で開けたらまさか庭があるとは思わない。(笑)


そういう驚きは割と今は少ないと思います。ガラス張りで中がわかるお店が多くて、開ける楽しみがあるお店が少ない。ドアを開ける楽しみがすごい好きで、中が分からなければわからないほど開けたくなる。(笑)そういうタイプの人間です。
新しいお店は発見が少ない。そんな感じがします。
中も全部見えるし、メニューもわかるし、こだわりも全部書いてあるし、これ以上喋ることないみたいな。(笑)
どっからコミュニケーションとるのかな?と、あと天気の話しかすることない!(笑)

かめのやのこれから

個人としては最近子どもが生まれたので、あんまりお気楽にもしてられないと。稼がなきゃならないので。なんでもバランスだと思うのですが、頑張りすぎてもいけないし。
今のお店は8割方常連さんで成り立っていて、ただ、お店のキャパを考えると、せっかく豆も焙煎しているので販路を拡大していかなければならないと思っています。
その一つに物販に力を入れていきたいと思います。
ドリップパックという商材があるのですが、いろんなコーヒー屋さんをみてみると1,2種類しか置いてない状態です。今うちのは豆の種類が14種類ある中で、豆売りもしているのですが、ドリップパックであれば、いろんな種類を一個ずつという楽しみがあるので、であれば14種類売ってしまおうと思っています。
結局、飲んでおいしいなと思っても、家でコーヒーを入れるのは大変という中で、器具を持っていなくても楽しめるような形にしていきます。
そういう意味では、喫茶店と、豆を焙煎しているコーヒー専門店の境目を狙っていて、コーヒー好きな人も、コーヒー好きじゃない人も気軽にコーヒーを買っていける。
そんな状況にしたいと思っています。
是非、気軽にお店に足を運んでください。

生活の一部に|ちょこんと。#3 店主B 藤野 沙紀

共同オーナーとの出会い

私は、美術大学を卒業しているのですが、あんまり絵を描かない不真面目な生徒でした。(笑)
でも、外にいろいろ出て、地元密着型のイベントを主催してみたりとか、
山間地域の限界集落に入って廃校活用するイベントを開いたりしていました。
その時抱いていた夢がギャラリーカフェをやることでした。

ただ、卒業後すぐに夢を叶えようとしたわけではなく、最初は、一般企業に就職をしました。
もともと出身は宮城県ですが、大学を出て就職のタイミングで長野県に来ました。
しかし、仕事をしながらも、やっぱりその夢が諦めきれなくて、退職を決意したと同時に、
その時、松本の土地がなんとなく気にいって、「もうちょっと住みたいな。」との想いもありました。
その後は修行じゃないですけど、いろんな飲食店のアルバイトや仕事の掛け持ちをしながら、開業に向けて、勉強していました。

その中で、また、卒業時でのタイミングで宮城に帰って仕事をする、そして、お店を開くという想いはその時は無かったです。震災の直後だったので、精神的に弱ってはいたのですが、
松本の方たちが優しく声をかけて下さったことで、県外の人を受け入れてくれる感じがすごいしました。
あとは、他県からきてお店を開いている方が多く、それもすごい勇気づけられました。
ここだったら頑張れるかなと思っていました。

その後、ちょうど転職のタイミングで、「はしご横丁の場所でカフェをやってくれる人を探している。」という話を頂いて、「カフェやってみませんか。」と友達が誘ってくれたんですよ。
この時に「じゃあ、今だ!!」と思いました。(笑)

でも、その時は、「でも、一人じゃ絶対できないです。自信ないです、、。」と伝えました。(笑)
しかし、「もう一人私の友達でカフェの開業を目指している人がいるんだけど、一緒にやってみたら?」というお話をもらって、初めて工藤さん(店主A)とお会いすることになりました。

本当にお見合いのような形で話をしている中で、やりたいお店の方向性が合っていると感じる部分があって、その時に、「二人だったら出来るかも。」と感じました。
告白のような形で、「一緒にやってくれませんか」と伝え、お店を開くことになりました。

店名に込めた思い

お店の規模が小さく、ちょこんとしていますし、買い物のついでや、お散歩のついでにちょっと寄って欲しいと言う意味と、日常生活の中でちょっとした癒しを感じて欲しいという意味で「ちょこんと。」と名付けました。
また、ずっと絵に関わっていたこともあって、お店のキャラクターのペンギンは自分でデザインをしました。
ただ、ペンギンが好きだっただけなんですけど、、、。(笑)

ほんとに誰でも気軽に寄れるお店になったら良いなという気持ちでやっていて、
女性でも、男性でも、お一人でも、学生でも、地元の人でも誰もが寄れる存在になったら良いなと思っていて、そんな気持ちで気軽にやっています。

食事に関しては、オープンからクローズまでずっとお食事ができるようになっていて、
いつでもご飯を食べることが出来るお店にしていることがウリです。
はしご横丁の場所も少し特殊なので、昭和レトロのような喫茶店メニューを目指してやっています。
その中でのオススメは一番人気のナポリタンです。太麺のモチモチした触感がオススメです。
是非食べに来てください!!(笑)

プライベートやお休みの日は?

絵が好きでずっとやっていて、大学時代は日本画を専攻していました。
なので、休みの日はスケッチをしたりとか、絵を描いたりとかしています。
あとは出かけるのも、すごい好きで、ドライブをしたり、旅行をしたりしています。

これからの夢

私が好きでやっている絵画は全員になじみのあるモノではなのではないかと思っていて、美術館に行く人も世の中の一部だと思います。
でも、もっと身近なところに芸術があったらもっと生活が豊かになるのではないかとずっと思っていて、
お食事したり、コーヒーを飲む空間に絵を取り入れたいと思っています。
そういう意味でもいずれはギャラリーカフェをやりたいなと思っています。

男性の方でも、女性の方でも、お一人の方でも来やすい気軽なお店なので、なにかのついでにだれでもちょこっと寄っていただければと思います!
お待ちしています!!