コーヒーが持つ不思議な力|TRACK Coffee 村田 容充/村田 亜希

インタビューをお受けするにあたり、、、
わたしたちのお店のルーツは、自分たちの心の中に留めておくべきだと考えていました。
しかしながら、せっかく頂いた機会ですのでお話しさせていただきます。

仕事と生活

村田容充(以下、T):出身は、大阪府枚方市です。大学卒業後、大阪本社のメーカーに就職し首都圏にて勤務していました。その後、30代で結婚後、息子を授かりました。私が働き方を考え始めるきっかけとなったのは、その息子の誕生です。

残念なことに息子は先天性の疾患を持って生まれてきました。生後間もない頃より大きな手術が続き、入院生活も長く在宅している時も通院と介護が続きました。容態が難しい時期もあり本当に壮絶な日々でした。彼が入院中は親ですら面会時間が短く仕事後では面会時間に間に合わず、さらに、週末の休みも取れない週が続くと息子に会うことが出来なくて、当時は本当に辛かったですね。そういった生活を続けている中、妻が体調を崩してしまい、会社の理解もあり介護休暇を取らせてもらえることになりました。とてもありがたかったです。
その頃より「果たしてこの生活を続けていて良いのだろうか。」と思い、このまま復帰するのか、自宅で息子を診ながらできる職業はないだろうかと、考え始めるようになりました。
焦る気持ちも正直ありましたが、時間を作ってはセミナーの受講や通信講座を受けながら模索していましたね。

不思議な力

村田亜希(以下、A):息子が入院中、病状が思わしくないときは病室に泊まり込んでいる時期もありました。主人が付添いの交代の際にいつも温かいコーヒーを持ってきてくれ、その時飲むコーヒーは、特別温かく感じました。
あらためて「優しい人だな。」と思い、コーヒーは美味しいのはもちろんですが、時には人の心を満たすものだと思いました。
今は大きな病院へ行くと大手コーヒーチェーン店さんが入っていますが、当時は本当に寂しい感じの食堂や自販機の缶コーヒーしか無く、それでも温かい飲み物が飲め、また、主人が持ってきてくれたコーヒーはありがたかったことを覚えています。

T:疲れている時にコーヒーがあるとホッとしますし気持ちを切り替えることができる。
コーヒー1杯に助けられた気持ちがあります。この経験は大きかったと思います。

長野県に来た理由

T:長野県に来た大きな理由の1つは、小児の高度先進医療施設、こども病院があることです。
私たちが長年暮らした横浜市の他に、静岡、兵庫、福岡、仙台、埼玉とありましたが、当時の主治医の先生から長野こども病院の専門医の先生を紹介して頂いたことがきっかけです。
そして何よりもこの自然豊かな環境で息子を育てていきたいと考えたからです。


また、長野県には、学生の頃よりスキーや合宿、登山で訪れる機会も多く、スキー場でもかつてアルバイトをしていました。関西の人にとっては意外なことに長野はとても身近な場所でもあるのです。

A:安曇野で暮らすようになってからも、神奈川のこども医療センターで手術を受ける必要があり横浜に戻る期間がありました。息子も調子が悪い中、環境が変わり検査、手術、治療が続き精神的に不安定になっていました。彼は言葉を発することはできませんが、「安曇野へ戻りたい」と必死に訴えていました。


私たち自身も親類や知人もいない中で、出会った方たちの温かさや繋がりを感じこの環境が一番。他では暮らせないと思いました。朝起きた時に見える山々。清々しい空気や風。広い空。夜にはこぼれてきそうな星空。
雄大な自然に抱かれた地域は日本中にはきっと他にも多くあるかと思いますが、私たちが辿り着いたのは安曇野でした。

“TRACK”…日常の通り道

T:店名にしている“TRACK”は列車の線路、軌道という意味の他に、や動物の通り道、人生の航路という意味もあります。日常の通り道のように、街の方も旅の途中の方も、山の方もフラッと立ち寄って頂きコーヒーを飲みながらホッと過ごしてもらえたら良いかなと思っています。特別なものはありませんが。
そして、お子様からご年配の方まで入りやすい場所でありたいです。テイクアウトもして頂けます。

A:小さなお店ですが、お客様には自然や季節を感じながら寛いでいただきたいです。
大昔になりますが、20代はじめに数か月間過ごしたシアトル近郊の町には地元の方や学生たちが集う居心地の良いカフェが多くありました。季節の植物が店先に咲き、開放的な空間で地元の方に慕われて日常に溶け込んでいましたね。
私たちのお店も風が通り抜けお客様にとって心地よい日常の通り道でありたいです。

ブラボー Bravo!

コーヒー片手に気軽に食べていただけて、コーヒー泥棒(笑)になるようなホームメイドのお菓子をつくりたい一心でできあがったのがブラボーです。
製菓の勉強をした訳ではないので、とにかく試作、試作、試作...を重ねました。
初めは丸い形のシュークリームからはじまり、他にもクッキーシューなど生地づくり、クリームづくりと試行錯誤して作っては、知人や友人たちに試食してもらい、率直な感想や意見を糧に作っていきました。


最終的に行き着いたのがクレアタイプで、かつザクザクとした香ばしい生地の食感を楽しんで頂けるように、ご注文をいただいてからクリームを詰める現在のスタイルとなりました。
「エクレール」は仏語で「雷・稲妻」の意味で、その名前の由来には「稲妻のように素早く食べるべし!」との意味で名付けられた説もあるとか。
「ブラボー」、コーヒー片手にブラブラ歩きながら気軽に食べれるボウ状の、そして思わずブラボー!
と感じていただけるおやつだと嬉しいです。ありがたいことにこの地域は地元の小麦粉、たまごを使えること、添加物は一切使用しないこともポリシーです。

わたしのプライベート

T:もともと身体を動かすことが好きです。短い時間でもジョギングなど体を動かすようにしています。
山に行く機会も増やしていきたいです。
息子ともできる限り自然の中で過ごせる時間をつくりたいですね。この春、彼の卒業記念に仲間たちにサポートをしてもらい息子と一緒に山歩きができたことは家族にとっても良い思い出になりましたね。

最後に一言

Coffee-your pathway to happiness!!!!
ハンドドリップコーヒー、エスプレッソメニューもいろいろございます。
気分転換などに気軽にお越しください!お待ちしております!

ここまで来れた一つの想い|CAFE THE GROVE 由比ヶ浜 秀嗣

いつも見ていた親の姿

出身は長野市です。小学校の時に松本市に引っ越しました。その後、大学進学を機に神奈川へ行き、大学卒業後は二年ぐらいイギリスへ行っていました。
イギリスから長野へ戻ってきたタイミングが、ちょうど冬季オリンピックの時だったので、オリンピックのお伝いをしたりしていました。それから飲食の世界に入った流れです。
もともと親が今、お店をやっている場所でラーメン屋をやっていたので、飲食には小さい頃から馴染みがありました。その為、親の姿を見ていたからなのか、飲食に対しては構えるものは無かった記憶があります。

自分が好きなこととは

大学卒業後は、親のラーメン屋を継ぐつもりは全く無くて、サラリーマンするつもりでした。
就職活動はちゃんとしてはいましたが、「自分は何をしたいのだろう。」を整理していった時にサラリーマンになることに違和感を覚えたことも確かです。
そこで大きな影響を受けたのはイギリスへ行った経験でした。

イギリスへ行く目的は、英語を覚えることでした。
ですが、生活している中で、イギリスは見たことのない様々なお店があって、「こういう店カッコ良いな。将来的にこんなお店を持てたら良いな。」と漠然と思うようになっていました。
こういった気持ちを感じていた中で、「何したいのかな。」といろいろ考えた時に、「人との繋がりが自分は好きだな。」と感じていました。人と話したりといったことです。
実際に、いろんなものを見て、経験することで気持ちの変化が起きてきました。
最終的には、自分でお店を開いても面白いのかなという気持ちはどこかにあったと思います。親を見ていてというのもありますけど。
その中で、「最終的な目標が見えているのならば、最初からやっても良いのではないか。」という想いが出てきました。
これが飲食に飛び込むきっかけです。

一番幸せな手段

この人の繋がりを感じたのは、大学時代のアルバイトです。
レストランや、ホテルの配膳の仕事の飲食関係やお土産屋さん、ガソリンスタンドも経験していました。
“人の繋がり”だけを考えた時に、極端な話、飲食でなくても良かったかもしれません。
ガソリンスタンドでも人と関わることが出来て、どうコミュニケーションとるかを考えながらやることに楽しみを感じていました。
そう考えると、売っているものが違うだけで、接客という意味では同じです。

それでもなぜ飲食なのか。自分自身が食べるのが好きだったし、とにかくコーヒーが好きだった。人と繋がる仕事を考える中で、「どうせなら好きなことをツールに仕事にしたい。」と思うようになりました。
より自分が楽しめる。

飲食人生の第一歩

実は、親のラーメン屋を一度継いでいます。飲食をやるにしても経験がないといけない。そこで親のラーメン屋を継ぎました。

さらに、もう一店舗出す時に自分のやりたいコーヒー屋をやろうと決めていましたが、結局コーヒー屋をやるにしても、自分はずっとラーメンを作り続けなければならないし、「これはダメだ!」と。(笑)
コーヒーのアイデアはどんどん出てきたけど、ラーメンのアイデアは出てこなくなってしまった時期でした。
とはいっても、お客様からお金は頂いているので、このような気持ちでお店を続けるのは、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
自分で作ったものを潰すのは良いですが、親が作ったものを潰すことはしたく無い。
であれば、惜しまれつつ閉店という形を取りました。

しかし、その当時は大人という大人に猛反対されました。

開店までの大きな壁

「せっかくお客さんが入っているのにどうしてコーヒー屋にするの?」
「コーヒー屋なんて儲かるはずがない。」
会計士、銀行、両親、周りの人から猛反対です。
銀行の人にはコーヒー屋をやらない方が良い理由のレポートも出されたりして。(笑)
それは結構きつかったです。(笑)
でも、そのままでは悔しいので、次の日にはどうしてやりたいのかというレポートを銀行に返しました。(笑)
その当時は仕事しながら、銀行を説得して、会計士さんを説得してと、走り回っていました。

でも、ある時から「こういう事出来ますか?」「できますよ。こういう事も出来ますよ」のように、自分がボールを投げたら2つ3つになって返ってくるようになってきました。そうなると自分の中で導かれているのではないかと感じる部分もあって、根拠のない自信、勘違いとも言うんですが、、。(笑)
上手くいく気が何となくしていました。
でも、今、同じことをやろうと思ったら本当に嫌です。(笑)

辛くてもやり続けられた理由

やっぱり、「ただただ、コーヒーが好きだった。」
これにつきます。
コーヒーは子どもの頃から好きでした。コーヒー牛乳から始まって、次は、ミルク、砂糖を入れてと、ずっとコーヒーは好きで飲んでいました。
これは、親の影響もあります。親がコーヒー好きで家に常にコーヒーがある状態だった為です。
コーヒーが好きで調べていくと、いろいろ見えてくるものがあって、「コーヒーって奥深い」「面白い」と感じるようになりました。

コーヒーから生まれた違和感

ある時からただ、コーヒーを飲むだけではなくなりました。

単純に飲み物として面白いし、視点を変えてみると、生産国からは稼ぐ重要なモノになる。
当時、フェアトレードという言葉を良く聞く時代でした。
なんとなく自分の中で、それはチャリティーと同じ感覚があって、言葉自体に違和感を覚えていました。オープンしてからも考えていたことの1つです。

ある時に出会ったのが、コーヒーハンターと呼ばれる川島良彰さんの記事でした。
その記事を読んだ時に、「これだ。」と思うものがありました。
その記事には、「フェアトレードは一過性の側面が強く、お金持ちの国が貧しい国を支える構図が見える。そうなると、常に生産国は貧しくないとならないよね?」という問いでした。これを読んだ時に、モヤモヤが取れて、この記事が自分の想いがうまく言語化されていると気付きました。
美味しいモノを作っている生産国にはちゃんと対価を払わなければならない。
そして、最終的にコーヒーをカップにした時に、お客様が「美味しい」と飲んでもらう。中間業者、焙煎業者、消費者も泣くことが無く、コーヒーを通してみんながハッピーになる。こういった持続可能な世界が作れれば、みんながハッピーになれるよねと。
フェアトレードはもちろん良いと思っています。ですが、1つのきっかけにしかならないと感じていて、より一歩進んだ時にそれが持続可能になればよりハッピーになれると思います。生産国を貧しく位置づける必要は全くないと思いますし。

お店に散りばめられたこだわり

このお店は、以前のログハウスのラーメン屋がベースになっています。
店づくりのコンセプトは、男の人も気軽に来れるお店です。


カフェは女性が行く場所というイメージが少なからずあると思っていて、そうではなくて男の人も気軽に行ける場所が作れればと思っています。
“木”“レザー”“鉄”をキーワードにして、男ぽっさをアピールしたいと思っています。

例えば、お店の入口も鉄骨を使っていて、この色にはすごいこだわりました。
イメージの色味を出すために一回酸のプールにつけなければならなくて、関西に鉄骨を持っていって作ってもらいました。(笑)
そういったこだわりが店内に散りばめられています。
床もあえて隙間を空けているように、洗練されているよりも、武骨な感じを作りながら、隙がある不完全さを出しています。

隣には、ビーンズショップがあって、土蔵を使っています。
もともと祖父が管理していた建物で、よく言っているのは家の形をしたゴミ箱状態でした。当時、祖父がなんでも入れてしまっていたので。(笑)
それを1人で分別して、ごみを捨てに行ってというのを続けて、お店に使えるようになりました。
松本は蔵の街で色んな場所に残っていますが、うちの蔵は雰囲気が全く違います。
外見は当時のままですが、中を完全に洋風に振って、内と外にどれだけのギャップを作れるかを意識して作っています。蔵なのにシャンデリアがあります。(笑)

お客様の物語を感じる

オープンして12年目になります。
12年間お店をやっていると、結婚してなかった人が結婚しました。子どもが生まれました。といったようにお客さんの物語がどんどん進んでいて、一緒に共有できるというのは面白いと感じています。お店も成長していきますが、お客さんと一緒に歩んでいるんだなと実感しています。なので、お店としてもどれだけお客さんの傍らにいれるのかというのは同時に考えます。
入籍した日にお店でご飯を食べてくれた人が、毎年結婚記念日に来てくれたりして、そういうことがあるとやっぱり嬉しいです。
新しい出会いがあれば、転勤でいなくなってしまうお客さんもいますが、お客さんの物語を、お店をやりながら感じています。
今日も子連れの家族が来店してくださいましたが、「次は子どもが1人で来れるまで続けられたら良いな。」とか思いますね。

私の逸品

今までいろんなコーヒーの種類を扱ってきてそれぞれに思い入れはありますが、その中でも特にタンザニアに思い入れがあります。

それは、自分が一番好きなコーヒーだからです。人間って正直で自分が好きなコーヒーを淹れていると、普段より勝手に力が入ると言うか、「この豆のもっと良いところ引き出してやろう。」と無意識に思ってしまいます。
もちろん全部の豆をそう思っているのですが。(笑)
コーヒーの仲間を作っていて、他の焙煎業者の方にもタンザニアは好評なので、是非飲んでもらえたらと思います。

私のプライベート

バイクに18歳の時から乗っています。ずっと直しながら、同じバイクを20年間乗り続けています。湘南爆走族読んでいました。(笑)
今の時期だとビーナスラインが気持ち良いですね。
普段、お客さんとお話しさせていただいているので、休みの日は一人の時間を大切にしています。多くこういった時間をとれるわけではないですが、意識してとるようにしています。
バイクは一人で行って、走ってとすごく良い時間になっています。

最後に一言

「コーヒーを通して、生産者からお客様まで皆がハッピーに!」

この願いを込めて、カフェ、ビーンズショップともに営業しています!
是非、足を運んでください!

世界中の人に会える場所|Healthy Penguin Cafe ルーニーマイケル/ルーニー千春

松本で生活した理由

喋るのへたくそだからな、、、。(笑)
無理だよ、、、。(笑)

もともと料理がすごい好きで家でよく料理を作っていました。
「カフェを開きたい。」という思いはもともと持っていて、松本に来てから4か月ほどカフェで働いていました。
でも、実際は、松本に来てから4か月後にオープンするなんて思ってもなかったよね。(笑)
当時は「いつか開く。」ぐらいに思っていました。(笑)たまたま良い物件が空いていたのです。

私はオーストラリア出身ですが、オーストラリアでの仕事に飽きてきて、新しいことをしたいと思っていました。それが松本に来た一番のきっかけです。少し日本語を勉強したことがあるので、日本語を覚えたかったこともあり、ワーホリで日本へ行きました。
そこで今の妻に連絡をしたんです。
妻は、学生時代にワーホリでオーストラリアに来ていた経験があり、そこで出会いました。それからはずっとお友達の関係でいたのですが、私が日本へ行く時に、妻以外お友達がいなかったので、当時、会った以来に連絡をしました。
その後、付き合って、結婚して、、、。(笑)

それから、日本でまずは二人で長く定住する場所を探していました。
私は、スノーボードが好きで、最初、新潟や北海道のスキー場で働いていた経験があります。長野はスノーボードも出来て、妻の実家である神奈川にも近い。
オーストラリア人の友達が松本に住んでいて、「すごい良いところだよ。」ということも言われていました。
実際に住んでみると環境的にも東京よりも人が少なくて、ゆったりとしたペースが良い。
松本のことがすごい好きになりました。

店名に込められたエピソード

妻にプロポーズをする時に、オリジナルなプロポーズで伝えたいと思っていました。
そう考えた時にペンギンのプロポーズの仕方がすごい可愛くて、そのようにプロポーズをしました。
オスペンギンがプロポーズの時に、メスペンギンに小石を渡すんです。
メスペンギンがその石を拾い上げたら、結婚成立です。(笑)
本当です!!(笑)

なので、私は、プロポーズの時にフォトアルバムと石をあげました。
そこから「ヘルシーペンギンカフェ」という名前が付けられています。
あとは、ヘルシーはカフェの象徴的な言葉なので、覚えやすい名前かなとも思います。
それから、友達からも親からもペンギンにまつわるプレゼントをもらうようになりました!(笑)

カフェを通して私たちが出来ること

カフェは去年の12月にオープンしたので、半年を過ぎたくらいになります。
お店のこだわりは、100%植物性原材料を使用していて、卵や乳製品などの動物性の食材は一切使っていないこと。
どんな人でも楽しめるというのは私たちのやりたかったことです。様々な食事制限がある人がいるとは思うのですが、この場所に来れば誰でも楽しく食べることが出来るというのが良いかなと思いました。
環境問題や、野菜、果物の持つパワーを意識していて、このお店にきて「体の調子が良いな。」と思ってくれれば、良いかなと思いました。
私達も普段から食にすごい気をつけているので、その想いを反映しています。

このようなカフェの形になったのは、自分でビジネスをするのならば、社会や環境問題、自然に貢献できるようなビジネスをしたいと思っていたからです。
オーストラリアには健康や、環境問題に配慮したカフェはとても多くあります。
例えば、ストローをステンレスにしてプラスチックは使わないことや、ラップを使わないといったことです。
私達もこのようなビーガンカフェがすごい好きで通っていたのですが、松本にはこういったお店がないと思っていました。
ただ、良い空間、美味しい料理を提供するだけではなく、環境問題などを考えなければならない時代かなと考えています。
今、子どもがいて、将来のことを考えるとすごい大切な問題かなと思います。
ビジネスとなるとこういったことに目を向けるのは難しかったりするのですが、意識してお店づくりをしています。

世界中の人に会える場所

お店をオープンしてから半年以上経ちましたが、オープン当初思っていたよりやることが多いと感じています。(笑)
そういった大変な部分もありますが、お客様から「美味しかったよ」「また、来ます」といった言葉をたくさん頂けることがすごくうれしく思っています。

また、お店をやっていて好きなところが海外のお客様がたくさん来店してくださると言うところです。松本市は東京みたいな大都会ではないのに、世界中の人の会えるんですよ!
旅人に会えて、いろんな旅の思い出を聞かせてくれて、自分も旅をしているような気分にしてもらえる。ヨーロッパ、南米、北米、アジア、世界中から来店されます。
特に、私はスコットランド人であり、オーストラリア人であるので、同じ故郷の方が来るのは地元の話ができて嬉しいです。
これは想定していない本当にうれしい誤算でした。
松本には、すごく良いコミュニティーがあります!
結構外国人通しの知り合いも多いんですよ。

Healthy Penguin Caféのこれから

今、カフェを中心に営業していますが、イベントなどを通していろんな方が来られる場所になって欲しいと思っていて、コミュニティーとしての機能を充実させたいと思っています。ここのお店に来て下さるお客様同士が仲良くなる姿を見ると、とても嬉しい気持ちになるので、こういったことが多く起きてほしいと思います。
「Healthy」という言葉には食事だけでなく、いろんな要素があるかと思います。
なので、ヨガなどといった様々なものを取り入れて、バランスの良いライフスタイルを提供していければと思います!
上手くしゃべれない、、、。(笑)

昔ながらの味で世代を繋げる|豆まめ 丸山 則文

“たまたま”から始まった料理人人生

一番最初に飲食に携わったのは、高校時代にバイトを探していて、たまたま雑誌に載っていた近くの小さい洋食屋さんに応募したことです。
そのアルバイト先では、最初、厨房に入りましたが、チーフが良い人だったのと、小さい店という事もあり、何でもやらせてくれました。そこから「料理がおもしろいな。」と感じていきました。魚をさばくとか、色々やらせていただけたので、続けることが出来ましたが、下積みを何年もやってとなると飽きちゃったかもしれないですね、、、。(笑)

高校卒業してからもしばらくそのお店で働いていました。私は横浜出身ですが、家族が長野県でペンションをやる予定がありました。ですが、その予定が長引いていて、なかなか動きだせない時に、兄貴夫婦と「もう長野に行った方が良い。」という判断で長野県へ引っ越しました。ペンションのスタートです。当時25歳の時でした。

働きながら抱いていた違和感

ペンションは7、8年やっていましたが、私が松本市の奈川の方と結婚することになったので、そのタイミングでペンションを出ることとなりました。
30歳過ぎの時です。
その後は、ゲレンデで食堂をやっていました。ゲレ食のキッチンです。
今まではペンションで一人前ずつ作っていたのが、どばっとオーダーが来て、それを捌くといった仕事に変わりました。
ですが、料理をずっとやっていたので、ゲレ食でも「ここはこだわりたい。」といったように所々で色を出していました。

その後の転機は、スキー場が食堂を閉鎖することになってしまったことです。
その時の想いは、「ずっと飲食やってきたし、夫婦でなにかやりたい。」といった想いでした。
それを形にするように、奈川でカフェを始めました。
松本市の施設を借りて、9年間やっていました。
カフェでは食堂や、お土産を扱っていましたが、その時抱いていた気持ちは、「ただ、お土産屋さんの横流しで売っていたのでは面白くない。」という気持ちでした。

うす焼きとの出会い

そんな違和感を抱いている中で、カフェに来たお客さんに、たまたま女房が作ったうす焼きを出しました。そのお客さんはうす焼きを食べて「珍しい!!」と言ったんです。
このシーンを見た時に直感的に「これだ。」と思いました。
色々な具材が入るし、家の畑も生かせる。豆や、リンゴを入れても面白い。おやつにもなる。
これがうす焼きを商売にしようと思ったきっかけです。

しかし、うす焼きを商売にしたいと地元の方に話すと、意外な反応が返ってきました。
「うす焼きを売るの!?」という反応です。
第三者の目から見ると、「地元食材を使った素朴な食べ物をもっと外に出したい。」という想いでしたが、地元の人は、その時にある物でうす焼きを作る認識しかありません。
ですが、私には地元食材をうまく使って、こだわりを詰めることで良いものが出来るのではないかという可能性をとても感じていました。

うす焼きの商品化

女房にうす焼きの作り方を聞くと、「みんな目分量で作っている。」との答えでした。その時家にあった食材を使うので、その時によって味が違ったりといったことが起きます。
本当に各家庭で味が違っていて、うす焼き自体に味付けをせず、味噌をつけて食べたり、砂糖醤油つけて食べたりという人もいます。
味にある程度の答えが無いものをレシピにするのは難しいので、女房が作っていた味を基本にしてレシピにしています。

レシピだけでなく、食材にもこだわっています。なるべく国産、長野県産、自分の畑の食材を使いたい。安心して食べることができる食材を使っています。
例えば、長野県産の小麦粉、中力粉なので、もっちりとした触感が楽しめる。
砂糖はキビ砂糖。卵は会田のたまご。お水は、松本の湧水を汲んできて使っています。
誰がつくったかがわかる食材を使いたいし、これは自分でも気になることで意識的にやっています。

「うす焼きっておせんべい?」

お店を始めての苦悩はうす焼きを知らない人が、うす焼きの文字を見た時に県外の人は見当もつかないことです。(笑)
「おせんべいかな?」と想像してお店に来るひともいますし。(笑)
名前を変えて販売することも違うなと感じていました。
「うす焼きってなんだろう。」とお店の前を通り過ぎてしまう人に、足を止めてもらって、食べてもらいたい。

食べてもらえれば美味しいと感じてもらう自信はあったのですが、食べてもらう第一歩を踏み出せずにいました。
今のお店は観光の人もいるし、地元の人もいるしといった客層ですが、外国から来た方に対してどう伝えるかは課題でした。
出た答えは松本のローカルのパンケーキ。これを表記してからは、観光客はローカルの物を食べたいと思って来ているのでお店に足を運んでくれるようになりました。
食べてもらうと、「美味しい!」と食べてくれます。

通販もやっていて冷凍発送もしています。
自然解凍をして、トーストで温めてもらえば美味しく食べることができます。
一口でも良いから食べてもらう。粉の美味しさ、豆の美味しさを味わってもらいたいと思っています。

うす焼きへの想い

このお店を通してうす焼きがどんどん広まっていけばと思っています。
うす焼きに馴染みがあるのは上の世代。近所のおばあちゃんがお店に来てくれて、懐かしんでいっています。
ある時に来た奥さんは、「よく母親が作ってくれた。今度作ってみようかな。」と言ってくれます。
うす焼きは栄養もあり、健康に良い子どものおやつにぴったりです。
上の世代に馴染みのあるうす焼きが、次の世代へ、また次の世代へと繋がってほしい。
そう願っています。

私がうす焼きにこだわる理由

自分で作ってもう10何年になりますが、す焼きを食べる度に「美味しい。」と思います。
自画自賛ではないですが、素直にそう思います。それが理由です。
閉店後にお店で残ったうす焼きを、嫁、娘がいる家族に持ち帰っても、同じ反応が返ってきます。
飽きない。それだけ自分が好きで、毎日食べても美味しいと思います。
季節を感じる食材を使用していて、身体にも良い。
こういったものをもっと食べてもらいたい。
それだけの想いです。

私のプライベート

休みの日はずっと家の畑です。
豆、じゃがいも、そばといったうす焼きに入れる食材を出来るだけ作っていきたいと思っているので、この時期はずっと畑です。(笑)

最後に一言

うす焼きは、季節によってさまざまな食材を使っていて、100以上の種類があります。
高原野菜の甘さや、美味しさは食べてもらえば分かると思うので、是非お店に足を運んでください!

 

「30才までに長野でコーヒー屋を開く!」|High-five COFFEE STAND 髙木 徹仁/髙木 尚美

High-five COFFEE STANDを営む二人は、異なるバックグランドを持つから面白い。

二つの視点が混じり合い、一つの空間が作られている。

二人の背景を、想いを知ることで、
もっとお店に行くのが面白くなるはず。
もっとコーヒーを飲むのが面白くなるはず。

500円の価値を最大化する|High-Five COFFEE STAND 髙木 尚美

コーヒースタンドに辿り着くまで

私は、茨城県のつくば市出身で、大学進学時に地元を離れ、神奈川県へ行きました。
大学は、美大を出ていて、卒業してから10年ぐらいずっと絵を描いていていました。
なので、デザインの仕事や、編集の仕事をしたり、自身の個展を開いたりしていました。
その10年ぐらいの間は飲食に携わったことはなかったです。

大学の時に、喫茶店でアルバイトをしていて、そこで主人と出会いました。
アルバイトの頃は自ら仕事として、飲食がやりたいといった気持ちはありませんでした。
仕事に関しても「絶対この仕事をやりたい」といった気持ちはなく、環境が面白ければどのような仕事でも好きにはなれると思っていました。

ただ、絵の制作活動をしながら、主人は「30歳になるまでに長野に帰って、絶対お店を始める!」と言い放っていたので、いずれは一緒にやるんだろうなとは思っていました。(笑)
結婚していなかったら長野へ来ていなかったと思います!(笑)

もともとコーヒー屋さんをやりたいと言っていたのは主人なので、そこに関して、そこまで私が「こうした方が良い!」と口を突っ込む気持ちはなかったのですが、二人で話していく内に「コーヒースタンドにしよう。」と話が進んでいって、同時に興味もよりわいてきました。

カフェをやるのではなくて、あえてコーヒースタンドというスタイルがすごく面白いと思っていて、そこにはこだわっていきました。

コーヒースタンドっていわゆるテイクアウトできるお店というのが大前提だとすれば、自分たちの作ったものが街に出ていく。
その絵を想像するとすごく魅力的に映りました。
お店の中で完結するのでは無く、私たちの商品が街で動くということが面白いと感じてましたね。

500円の価値を考える

もちろんコーヒーにはこだわっていますが、コーヒーは、お店を始めるまでそこまで詳しくありませんでした。ですが、お店を始めることになって勉強していく中で、知れば知るほど「コーヒーって面白いな」と感じていました。
焙煎や品種、精製とかで味が全然異なるという事が面白いと感じていて、それをお客様にも知って欲しいし、伝えたいという気持ちが強くて、オーダーの時話せるタイミングがあれば、いろいろ伝えていっています。
商品をただ出して、飲んでもらうのではなく、せっかく500円のコーヒーを飲むのであれば、なるべく多くの事を知ってほしいなと思っています。

長野の魅力

単純に外からみた長野県の第一印象は、昔ながらのお店や蔵造りが伝統的で素敵な街だなと思ったのと、つくばには山が一個ぐらいしかないので、自然が良いなと思いました。
観光に来た人もこのような感想を最初に持つと思うのですが、長野県に来てから二年ぐらいたって思うのは、個人でやっているお店が多くて、人の繋がりが超ディープなところが東京にいた頃は感じなかったことだと思います。
知り合いにその辺で会うことはありえないですからね。(笑)
ちょろっと歩いているだけでも知り合いに合う環境はすごく面白いですね。

また、松本には、コーヒー屋さんはすごい沢山あるのですが、よりいろいろなお店を回るのが楽しくなる為には、お客様にコーヒーの面白さを知ってもらうことが必要だと思います。
そういう意味では、個人では出来ないことをいろいろなお店と一緒にやることで、お客様に興味を持ってもらえればと思っています。
こうしなければならないという正解は無いのですが、お客様が自分の好みを知るという意味でもいろいろ飲んで深いところまで知ってほしいと思っています。

今後の自分

お店を初めてから、お店に専念していたこともあって絵を描く機会が少なくなっています。
もうちょっとちゃんとやりたいなと言う気持ちがあって、これから改めて絵の制作をスタートしたいと思っています。
今はお店のロゴ等を任せてもらったりといったことはありますが、
デザインよりも自分のテーマの中で制作をしていきたいと思います。

最後に一言

Have a GOOD COFFEE!!!
「もっと滑舌よく!!」(ご主人から)
Have a GOOD COFFEE!!!!!!!!!!!!笑