ここまで来れた一つの想い|CAFE THE GROVE 由比ヶ浜 秀嗣

いつも見ていた親の姿

出身は長野市です。小学校の時に松本市に引っ越しました。その後、大学進学を機に神奈川へ行き、大学卒業後は二年ぐらいイギリスへ行っていました。
イギリスから長野へ戻ってきたタイミングが、ちょうど冬季オリンピックの時だったので、オリンピックのお伝いをしたりしていました。それから飲食の世界に入った流れです。
もともと親が今、お店をやっている場所でラーメン屋をやっていたので、飲食には小さい頃から馴染みがありました。その為、親の姿を見ていたからなのか、飲食に対しては構えるものは無かった記憶があります。

自分が好きなこととは

大学卒業後は、親のラーメン屋を継ぐつもりは全く無くて、サラリーマンするつもりでした。
就職活動はちゃんとしてはいましたが、「自分は何をしたいのだろう。」を整理していった時にサラリーマンになることに違和感を覚えたことも確かです。
そこで大きな影響を受けたのはイギリスへ行った経験でした。

イギリスへ行く目的は、英語を覚えることでした。
ですが、生活している中で、イギリスは見たことのない様々なお店があって、「こういう店カッコ良いな。将来的にこんなお店を持てたら良いな。」と漠然と思うようになっていました。
こういった気持ちを感じていた中で、「何したいのかな。」といろいろ考えた時に、「人との繋がりが自分は好きだな。」と感じていました。人と話したりといったことです。
実際に、いろんなものを見て、経験することで気持ちの変化が起きてきました。
最終的には、自分でお店を開いても面白いのかなという気持ちはどこかにあったと思います。親を見ていてというのもありますけど。
その中で、「最終的な目標が見えているのならば、最初からやっても良いのではないか。」という想いが出てきました。
これが飲食に飛び込むきっかけです。

一番幸せな手段

この人の繋がりを感じたのは、大学時代のアルバイトです。
レストランや、ホテルの配膳の仕事の飲食関係やお土産屋さん、ガソリンスタンドも経験していました。
“人の繋がり”だけを考えた時に、極端な話、飲食でなくても良かったかもしれません。
ガソリンスタンドでも人と関わることが出来て、どうコミュニケーションとるかを考えながらやることに楽しみを感じていました。
そう考えると、売っているものが違うだけで、接客という意味では同じです。

それでもなぜ飲食なのか。自分自身が食べるのが好きだったし、とにかくコーヒーが好きだった。人と繋がる仕事を考える中で、「どうせなら好きなことをツールに仕事にしたい。」と思うようになりました。
より自分が楽しめる。

飲食人生の第一歩

実は、親のラーメン屋を一度継いでいます。飲食をやるにしても経験がないといけない。そこで親のラーメン屋を継ぎました。

さらに、もう一店舗出す時に自分のやりたいコーヒー屋をやろうと決めていましたが、結局コーヒー屋をやるにしても、自分はずっとラーメンを作り続けなければならないし、「これはダメだ!」と。(笑)
コーヒーのアイデアはどんどん出てきたけど、ラーメンのアイデアは出てこなくなってしまった時期でした。
とはいっても、お客様からお金は頂いているので、このような気持ちでお店を続けるのは、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
自分で作ったものを潰すのは良いですが、親が作ったものを潰すことはしたく無い。
であれば、惜しまれつつ閉店という形を取りました。

しかし、その当時は大人という大人に猛反対されました。

開店までの大きな壁

「せっかくお客さんが入っているのにどうしてコーヒー屋にするの?」
「コーヒー屋なんて儲かるはずがない。」
会計士、銀行、両親、周りの人から猛反対です。
銀行の人にはコーヒー屋をやらない方が良い理由のレポートも出されたりして。(笑)
それは結構きつかったです。(笑)
でも、そのままでは悔しいので、次の日にはどうしてやりたいのかというレポートを銀行に返しました。(笑)
その当時は仕事しながら、銀行を説得して、会計士さんを説得してと、走り回っていました。

でも、ある時から「こういう事出来ますか?」「できますよ。こういう事も出来ますよ」のように、自分がボールを投げたら2つ3つになって返ってくるようになってきました。そうなると自分の中で導かれているのではないかと感じる部分もあって、根拠のない自信、勘違いとも言うんですが、、。(笑)
上手くいく気が何となくしていました。
でも、今、同じことをやろうと思ったら本当に嫌です。(笑)

辛くてもやり続けられた理由

やっぱり、「ただただ、コーヒーが好きだった。」
これにつきます。
コーヒーは子どもの頃から好きでした。コーヒー牛乳から始まって、次は、ミルク、砂糖を入れてと、ずっとコーヒーは好きで飲んでいました。
これは、親の影響もあります。親がコーヒー好きで家に常にコーヒーがある状態だった為です。
コーヒーが好きで調べていくと、いろいろ見えてくるものがあって、「コーヒーって奥深い」「面白い」と感じるようになりました。

コーヒーから生まれた違和感

ある時からただ、コーヒーを飲むだけではなくなりました。

単純に飲み物として面白いし、視点を変えてみると、生産国からは稼ぐ重要なモノになる。
当時、フェアトレードという言葉を良く聞く時代でした。
なんとなく自分の中で、それはチャリティーと同じ感覚があって、言葉自体に違和感を覚えていました。オープンしてからも考えていたことの1つです。

ある時に出会ったのが、コーヒーハンターと呼ばれる川島良彰さんの記事でした。
その記事を読んだ時に、「これだ。」と思うものがありました。
その記事には、「フェアトレードは一過性の側面が強く、お金持ちの国が貧しい国を支える構図が見える。そうなると、常に生産国は貧しくないとならないよね?」という問いでした。これを読んだ時に、モヤモヤが取れて、この記事が自分の想いがうまく言語化されていると気付きました。
美味しいモノを作っている生産国にはちゃんと対価を払わなければならない。
そして、最終的にコーヒーをカップにした時に、お客様が「美味しい」と飲んでもらう。中間業者、焙煎業者、消費者も泣くことが無く、コーヒーを通してみんながハッピーになる。こういった持続可能な世界が作れれば、みんながハッピーになれるよねと。
フェアトレードはもちろん良いと思っています。ですが、1つのきっかけにしかならないと感じていて、より一歩進んだ時にそれが持続可能になればよりハッピーになれると思います。生産国を貧しく位置づける必要は全くないと思いますし。

お店に散りばめられたこだわり

このお店は、以前のログハウスのラーメン屋がベースになっています。
店づくりのコンセプトは、男の人も気軽に来れるお店です。


カフェは女性が行く場所というイメージが少なからずあると思っていて、そうではなくて男の人も気軽に行ける場所が作れればと思っています。
“木”“レザー”“鉄”をキーワードにして、男ぽっさをアピールしたいと思っています。

例えば、お店の入口も鉄骨を使っていて、この色にはすごいこだわりました。
イメージの色味を出すために一回酸のプールにつけなければならなくて、関西に鉄骨を持っていって作ってもらいました。(笑)
そういったこだわりが店内に散りばめられています。
床もあえて隙間を空けているように、洗練されているよりも、武骨な感じを作りながら、隙がある不完全さを出しています。

隣には、ビーンズショップがあって、土蔵を使っています。
もともと祖父が管理していた建物で、よく言っているのは家の形をしたゴミ箱状態でした。当時、祖父がなんでも入れてしまっていたので。(笑)
それを1人で分別して、ごみを捨てに行ってというのを続けて、お店に使えるようになりました。
松本は蔵の街で色んな場所に残っていますが、うちの蔵は雰囲気が全く違います。
外見は当時のままですが、中を完全に洋風に振って、内と外にどれだけのギャップを作れるかを意識して作っています。蔵なのにシャンデリアがあります。(笑)

お客様の物語を感じる

オープンして12年目になります。
12年間お店をやっていると、結婚してなかった人が結婚しました。子どもが生まれました。といったようにお客さんの物語がどんどん進んでいて、一緒に共有できるというのは面白いと感じています。お店も成長していきますが、お客さんと一緒に歩んでいるんだなと実感しています。なので、お店としてもどれだけお客さんの傍らにいれるのかというのは同時に考えます。
入籍した日にお店でご飯を食べてくれた人が、毎年結婚記念日に来てくれたりして、そういうことがあるとやっぱり嬉しいです。
新しい出会いがあれば、転勤でいなくなってしまうお客さんもいますが、お客さんの物語を、お店をやりながら感じています。
今日も子連れの家族が来店してくださいましたが、「次は子どもが1人で来れるまで続けられたら良いな。」とか思いますね。

私の逸品

今までいろんなコーヒーの種類を扱ってきてそれぞれに思い入れはありますが、その中でも特にタンザニアに思い入れがあります。

それは、自分が一番好きなコーヒーだからです。人間って正直で自分が好きなコーヒーを淹れていると、普段より勝手に力が入ると言うか、「この豆のもっと良いところ引き出してやろう。」と無意識に思ってしまいます。
もちろん全部の豆をそう思っているのですが。(笑)
コーヒーの仲間を作っていて、他の焙煎業者の方にもタンザニアは好評なので、是非飲んでもらえたらと思います。

私のプライベート

バイクに18歳の時から乗っています。ずっと直しながら、同じバイクを20年間乗り続けています。湘南爆走族読んでいました。(笑)
今の時期だとビーナスラインが気持ち良いですね。
普段、お客さんとお話しさせていただいているので、休みの日は一人の時間を大切にしています。多くこういった時間をとれるわけではないですが、意識してとるようにしています。
バイクは一人で行って、走ってとすごく良い時間になっています。

最後に一言

「コーヒーを通して、生産者からお客様まで皆がハッピーに!」

この願いを込めて、カフェ、ビーンズショップともに営業しています!
是非、足を運んでください!

世界中の人に会える場所|Healthy Penguin Cafe ルーニーマイケル/ルーニー千春

松本で生活した理由

喋るのへたくそだからな、、、。(笑)
無理だよ、、、。(笑)

もともと料理がすごい好きで家でよく料理を作っていました。
「カフェを開きたい。」という思いはもともと持っていて、松本に来てから4か月ほどカフェで働いていました。
でも、実際は、松本に来てから4か月後にオープンするなんて思ってもなかったよね。(笑)
当時は「いつか開く。」ぐらいに思っていました。(笑)たまたま良い物件が空いていたのです。

私はオーストラリア出身ですが、オーストラリアでの仕事に飽きてきて、新しいことをしたいと思っていました。それが松本に来た一番のきっかけです。少し日本語を勉強したことがあるので、日本語を覚えたかったこともあり、ワーホリで日本へ行きました。
そこで今の妻に連絡をしたんです。
妻は、学生時代にワーホリでオーストラリアに来ていた経験があり、そこで出会いました。それからはずっとお友達の関係でいたのですが、私が日本へ行く時に、妻以外お友達がいなかったので、当時、会った以来に連絡をしました。
その後、付き合って、結婚して、、、。(笑)

それから、日本でまずは二人で長く定住する場所を探していました。
私は、スノーボードが好きで、最初、新潟や北海道のスキー場で働いていた経験があります。長野はスノーボードも出来て、妻の実家である神奈川にも近い。
オーストラリア人の友達が松本に住んでいて、「すごい良いところだよ。」ということも言われていました。
実際に住んでみると環境的にも東京よりも人が少なくて、ゆったりとしたペースが良い。
松本のことがすごい好きになりました。

店名に込められたエピソード

妻にプロポーズをする時に、オリジナルなプロポーズで伝えたいと思っていました。
そう考えた時にペンギンのプロポーズの仕方がすごい可愛くて、そのようにプロポーズをしました。
オスペンギンがプロポーズの時に、メスペンギンに小石を渡すんです。
メスペンギンがその石を拾い上げたら、結婚成立です。(笑)
本当です!!(笑)

なので、私は、プロポーズの時にフォトアルバムと石をあげました。
そこから「ヘルシーペンギンカフェ」という名前が付けられています。
あとは、ヘルシーはカフェの象徴的な言葉なので、覚えやすい名前かなとも思います。
それから、友達からも親からもペンギンにまつわるプレゼントをもらうようになりました!(笑)

カフェを通して私たちが出来ること

カフェは去年の12月にオープンしたので、半年を過ぎたくらいになります。
お店のこだわりは、100%植物性原材料を使用していて、卵や乳製品などの動物性の食材は一切使っていないこと。
どんな人でも楽しめるというのは私たちのやりたかったことです。様々な食事制限がある人がいるとは思うのですが、この場所に来れば誰でも楽しく食べることが出来るというのが良いかなと思いました。
環境問題や、野菜、果物の持つパワーを意識していて、このお店にきて「体の調子が良いな。」と思ってくれれば、良いかなと思いました。
私達も普段から食にすごい気をつけているので、その想いを反映しています。

このようなカフェの形になったのは、自分でビジネスをするのならば、社会や環境問題、自然に貢献できるようなビジネスをしたいと思っていたからです。
オーストラリアには健康や、環境問題に配慮したカフェはとても多くあります。
例えば、ストローをステンレスにしてプラスチックは使わないことや、ラップを使わないといったことです。
私達もこのようなビーガンカフェがすごい好きで通っていたのですが、松本にはこういったお店がないと思っていました。
ただ、良い空間、美味しい料理を提供するだけではなく、環境問題などを考えなければならない時代かなと考えています。
今、子どもがいて、将来のことを考えるとすごい大切な問題かなと思います。
ビジネスとなるとこういったことに目を向けるのは難しかったりするのですが、意識してお店づくりをしています。

世界中の人に会える場所

お店をオープンしてから半年以上経ちましたが、オープン当初思っていたよりやることが多いと感じています。(笑)
そういった大変な部分もありますが、お客様から「美味しかったよ」「また、来ます」といった言葉をたくさん頂けることがすごくうれしく思っています。

また、お店をやっていて好きなところが海外のお客様がたくさん来店してくださると言うところです。松本市は東京みたいな大都会ではないのに、世界中の人の会えるんですよ!
旅人に会えて、いろんな旅の思い出を聞かせてくれて、自分も旅をしているような気分にしてもらえる。ヨーロッパ、南米、北米、アジア、世界中から来店されます。
特に、私はスコットランド人であり、オーストラリア人であるので、同じ故郷の方が来るのは地元の話ができて嬉しいです。
これは想定していない本当にうれしい誤算でした。
松本には、すごく良いコミュニティーがあります!
結構外国人通しの知り合いも多いんですよ。

Healthy Penguin Caféのこれから

今、カフェを中心に営業していますが、イベントなどを通していろんな方が来られる場所になって欲しいと思っていて、コミュニティーとしての機能を充実させたいと思っています。ここのお店に来て下さるお客様同士が仲良くなる姿を見ると、とても嬉しい気持ちになるので、こういったことが多く起きてほしいと思います。
「Healthy」という言葉には食事だけでなく、いろんな要素があるかと思います。
なので、ヨガなどといった様々なものを取り入れて、バランスの良いライフスタイルを提供していければと思います!
上手くしゃべれない、、、。(笑)

昔ながらの味で世代を繋げる|豆まめ 丸山 則文

“たまたま”から始まった料理人人生

一番最初に飲食に携わったのは、高校時代にバイトを探していて、たまたま雑誌に載っていた近くの小さい洋食屋さんに応募したことです。
そのアルバイト先では、最初、厨房に入りましたが、チーフが良い人だったのと、小さい店という事もあり、何でもやらせてくれました。そこから「料理がおもしろいな。」と感じていきました。魚をさばくとか、色々やらせていただけたので、続けることが出来ましたが、下積みを何年もやってとなると飽きちゃったかもしれないですね、、、。(笑)

高校卒業してからもしばらくそのお店で働いていました。私は横浜出身ですが、家族が長野県でペンションをやる予定がありました。ですが、その予定が長引いていて、なかなか動きだせない時に、兄貴夫婦と「もう長野に行った方が良い。」という判断で長野県へ引っ越しました。ペンションのスタートです。当時25歳の時でした。

働きながら抱いていた違和感

ペンションは7、8年やっていましたが、私が松本市の奈川の方と結婚することになったので、そのタイミングでペンションを出ることとなりました。
30歳過ぎの時です。
その後は、ゲレンデで食堂をやっていました。ゲレ食のキッチンです。
今まではペンションで一人前ずつ作っていたのが、どばっとオーダーが来て、それを捌くといった仕事に変わりました。
ですが、料理をずっとやっていたので、ゲレ食でも「ここはこだわりたい。」といったように所々で色を出していました。

その後の転機は、スキー場が食堂を閉鎖することになってしまったことです。
その時の想いは、「ずっと飲食やってきたし、夫婦でなにかやりたい。」といった想いでした。
それを形にするように、奈川でカフェを始めました。
松本市の施設を借りて、9年間やっていました。
カフェでは食堂や、お土産を扱っていましたが、その時抱いていた気持ちは、「ただ、お土産屋さんの横流しで売っていたのでは面白くない。」という気持ちでした。

うす焼きとの出会い

そんな違和感を抱いている中で、カフェに来たお客さんに、たまたま女房が作ったうす焼きを出しました。そのお客さんはうす焼きを食べて「珍しい!!」と言ったんです。
このシーンを見た時に直感的に「これだ。」と思いました。
色々な具材が入るし、家の畑も生かせる。豆や、リンゴを入れても面白い。おやつにもなる。
これがうす焼きを商売にしようと思ったきっかけです。

しかし、うす焼きを商売にしたいと地元の方に話すと、意外な反応が返ってきました。
「うす焼きを売るの!?」という反応です。
第三者の目から見ると、「地元食材を使った素朴な食べ物をもっと外に出したい。」という想いでしたが、地元の人は、その時にある物でうす焼きを作る認識しかありません。
ですが、私には地元食材をうまく使って、こだわりを詰めることで良いものが出来るのではないかという可能性をとても感じていました。

うす焼きの商品化

女房にうす焼きの作り方を聞くと、「みんな目分量で作っている。」との答えでした。その時家にあった食材を使うので、その時によって味が違ったりといったことが起きます。
本当に各家庭で味が違っていて、うす焼き自体に味付けをせず、味噌をつけて食べたり、砂糖醤油つけて食べたりという人もいます。
味にある程度の答えが無いものをレシピにするのは難しいので、女房が作っていた味を基本にしてレシピにしています。

レシピだけでなく、食材にもこだわっています。なるべく国産、長野県産、自分の畑の食材を使いたい。安心して食べることができる食材を使っています。
例えば、長野県産の小麦粉、中力粉なので、もっちりとした触感が楽しめる。
砂糖はキビ砂糖。卵は会田のたまご。お水は、松本の湧水を汲んできて使っています。
誰がつくったかがわかる食材を使いたいし、これは自分でも気になることで意識的にやっています。

「うす焼きっておせんべい?」

お店を始めての苦悩はうす焼きを知らない人が、うす焼きの文字を見た時に県外の人は見当もつかないことです。(笑)
「おせんべいかな?」と想像してお店に来るひともいますし。(笑)
名前を変えて販売することも違うなと感じていました。
「うす焼きってなんだろう。」とお店の前を通り過ぎてしまう人に、足を止めてもらって、食べてもらいたい。

食べてもらえれば美味しいと感じてもらう自信はあったのですが、食べてもらう第一歩を踏み出せずにいました。
今のお店は観光の人もいるし、地元の人もいるしといった客層ですが、外国から来た方に対してどう伝えるかは課題でした。
出た答えは松本のローカルのパンケーキ。これを表記してからは、観光客はローカルの物を食べたいと思って来ているのでお店に足を運んでくれるようになりました。
食べてもらうと、「美味しい!」と食べてくれます。

通販もやっていて冷凍発送もしています。
自然解凍をして、トーストで温めてもらえば美味しく食べることができます。
一口でも良いから食べてもらう。粉の美味しさ、豆の美味しさを味わってもらいたいと思っています。

うす焼きへの想い

このお店を通してうす焼きがどんどん広まっていけばと思っています。
うす焼きに馴染みがあるのは上の世代。近所のおばあちゃんがお店に来てくれて、懐かしんでいっています。
ある時に来た奥さんは、「よく母親が作ってくれた。今度作ってみようかな。」と言ってくれます。
うす焼きは栄養もあり、健康に良い子どものおやつにぴったりです。
上の世代に馴染みのあるうす焼きが、次の世代へ、また次の世代へと繋がってほしい。
そう願っています。

私がうす焼きにこだわる理由

自分で作ってもう10何年になりますが、す焼きを食べる度に「美味しい。」と思います。
自画自賛ではないですが、素直にそう思います。それが理由です。
閉店後にお店で残ったうす焼きを、嫁、娘がいる家族に持ち帰っても、同じ反応が返ってきます。
飽きない。それだけ自分が好きで、毎日食べても美味しいと思います。
季節を感じる食材を使用していて、身体にも良い。
こういったものをもっと食べてもらいたい。
それだけの想いです。

私のプライベート

休みの日はずっと家の畑です。
豆、じゃがいも、そばといったうす焼きに入れる食材を出来るだけ作っていきたいと思っているので、この時期はずっと畑です。(笑)

最後に一言

うす焼きは、季節によってさまざまな食材を使っていて、100以上の種類があります。
高原野菜の甘さや、美味しさは食べてもらえば分かると思うので、是非お店に足を運んでください!

 

「30才までに長野でコーヒー屋を開く!」|High-five COFFEE STAND 髙木 徹仁/髙木 尚美

High-five COFFEE STANDを営む二人は、異なるバックグランドを持つから面白い。

二つの視点が混じり合い、一つの空間が作られている。

二人の背景を、想いを知ることで、
もっとお店に行くのが面白くなるはず。
もっとコーヒーを飲むのが面白くなるはず。

ミートパイから学んだおもてなし |High-Five COFFEE STAND 髙木 徹仁 #1

喫茶店のマスターになります!

出身は長野県塩尻市です。
大学進学を機に神奈川へ出て、2016年に長野県に戻ってきました。
高校卒業から飲食に携わっていて、関東近辺のチェーン店や、喫茶店などで働いていました。一回ラーメン屋を挟みましたが、、、。(笑)

17,18歳の時は、漠然と「喫茶店のマスターになるな」と思っていました。(笑)
きっかけは、今はもう無いのですが、高校生の時に良く足を運んでいた喫茶店です。
それまでファストフード店とかしか行ったことがなかったのですが、その喫茶店に行った時に初めて自分を一人のお客さんとして接してくれたことが嬉しくて通っていました。

それがある日お店に行ったら、道路拡張の為に閉店になったと張り紙があって、急にお店が閉まってしまいました。
通っていたお店が潰れてしまったことにすごく悲しんだ覚えがあります。
しばらくこの出来事から気持ちがふわふわしていたのですが、ちょうどその頃に進路相談の面談がありました。
担任から「お前どうするんだ。」と聞かれた時に、「喫茶店のマスターになります!」と気付いたら言っていました。(笑)

今のお店は、当時のスタイルとかは別に継いでないですけど、なんとなく良かったと思っていた店があったという事実を継いでいきたいと思って、漠然と「お店を開きたい。」と思っていました。

その喫茶店は、コーヒーも特別なこだわりは無かったかもしれないけど、学校さぼっている人とか、仕事の合間の人とかが入れ替わりお客さんとして来ていて、いつも誰かがいるお店でした。
サービスを受けたと自覚をしたのが、ナポリタンを注文して、食べ終わった後に、「ナポリタン少し少なかった気がするから、ミートパイ焼いたから食べて」と言われて、そんなサービスあるのかと。(笑)
機転というか、高校生の自分には少なかったのではないかと言う憶測で足してくれたのではないかと。
今までそんなことをされたことがなかったので。(笑)
ファストフード店ではある程度マニュアル通りのサービスしか提供されない中で、自分個人として気をつかってもらってミートパイを出してくれたことが嬉しくて、すごいおなか一杯だったのですが食べました。(笑)

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ナチョ・リブレの一コマ|High-Five COFFEE STAND 髙木 徹仁 #2

 

ナチョ・リブレの一コマ

もともとお店を夫婦でやろうとは決めていなかったです。
一人で出来るかなと思っていたら、一人で出来なかった。
デザインとか含めてですけど。(笑)

やっぱり二人でやっていると出来ることの幅が変わってきます。
実際に、お店の多くのデザインは妻が手掛けています。
僕の飲食目線から見たデザインと、単純にデザインの観点から見た妻のデザインとを組み合わせてやっています。
結局誰かに頼むとなると、その人に箔はつくけど、どうしてもその人のテイストが入ってしまう気がする。それよりも出来なくても絞り出してオリジナルとして形にすれば、誰ともかぶらないからという意味で基本的には自分たちでやっています。

様々な飲食店を経験したので、未知だったのは自家焙煎ぐらいです。(笑)
焙煎は趣味程度に、自宅でコンロを使ってやったりといった経験しかなかったのですが、どうせこうやって表現していくなら、豆を自分で作るべきだなと思って。
そこからすぐに焙煎機を買って、練習をして、コーヒーマイスターを持っている上司に意見を聞きながらオープン前まで試行錯誤をしていました。
オープン当初は、納得できるものに辿り着くまでに時間がかかりましたが、今は安定してイメージしたものが作れています。

お店をやっていく中で、「こだわる必要がないところにこだわる。」という想いがあります。
例えば、店名。すごく悩むところだと思うのですが、前提として意味の無い名前にしたくて。「高木コーヒー」でもよかったのですが。(笑)

意味なく覚えやすいアイコンとなる名前はないかなと探していました。
その中で「ナチョ・リブレ」というコメディーのプロレス映画を見ていて、タッグマッチの相方とジャックブラックが仲直りするときに、「Hifh five!」と言っていて、「なにこれ!」と。(笑)
で、調べたら「ハイタッチ」という意味で「これで良いじゃん!」って感じです。(笑)

面白いを追求する

地元の人がこのお店だけではなく、色々なお店を通って面白いと思ってもらうことで良い街になっていけば良いのではと思っています。
松本の面白いところは、駅を少し歩いていくと面白いお店が多くあるという事だと思っているので。

後々にいろんな考想を形にしていければと思うんですけど、もし、面白くないとお客様が思ってしまったら、きっと大きな資本が来て飲まれてしまうのではないかという思いもあります。
その中で、今のところ個人店ですけど、個人店としての立ち回りが出来て、周りのお店と連携を取りながら盛り上がっていければ良いと思っています。

そういったところでお店同士の横の繋がりも増えています。今取り組んでいるプロジェクトは、もともと「Film ABOUT COFFEE」というコーヒーのドキュメンタリー映画があり、それを共同で上映しないかということで関わりあったのがきっかけです。

それから今では、地方でもありますが、コーヒーフェスといって全国のロースターさんとかが集まるイベントがあり、そういったこともゆくゆくは松本で出来ないかなという想いがあります。こだわって焙煎をやられている方にお声掛けをしたり、されたりしてコミュニティーを作って、いろいろ出来たら楽しいと感じています。
お店の人目線でどうやってコーヒーをアプローチしていくかというところを考える仲間がちょっとずつ増えているかなというところですね。

夢はブルータス!!

これからのお店に関しては、松本に留まってこのお店だけを守り抜きたいという想いは少し違っていて、これからコーヒー屋をやっていく中で、例えば「この街にもあれば良いな」とか、「この街でコーヒー屋やるのかな」ということがイメージできれば、松本以外の場所にもお店を出していきたい将来的な想いもあります。
夢は中央線を繋げることですかね!(笑)

あと、コーヒー屋でブルータスに載りたいんです!(笑)
理由は、単純に好きな雑誌だから!(笑)
自分が読んでいる雑誌に載りたい!(笑)
ブルータス、ポパイ、、、、、。あと、全然違うけどジャンプに載りたい!(笑)
どんな関わりで載れるんだろう。
オリンピックとかでないと無理かな~、、。

最後に一言

「絶対に来てくれよな!!」
(悟空風)

葛藤を表現する場所|The Storyhouse Cafe クック クリス/クック 久美

子育て中に感じた想い

最初の出会いは、12年ぐらい前に、私が学生の頃にシアトルに留学に行っていた時です。
留学中に交際を始めましたが、私は1年間で留学を終え、日本に帰ってきました。
その後も遠距離で交際を続けていて、卒業後は、2年半ほど日本で就職をして、結婚を機にシアトルに行きました。シアトルでは3年ほど住んでいました。
その間に1人目の娘が生まれ、その時から子どもの育て方や仕事のやり方を考え始めました。
そこで思ったことは「働きながら家族の時間をもっと持ちたい。」ということでした。
夫は朝7時ぐらいに家を出て、18時ぐらいに帰ってくるサラリーマンをしていていました。そういった生活に私はずっと娘の成長を見ていますが、一緒に育てている感があまりなくて、せっかく日本の文化、アメリカの文化の両方を教えてあげられるのに「もったいないな」という想いがありました。
家族で過ごせる時間を持ちながら、私たちが出来ることは何かなと考えた時、その答えは自分たちでビジネスをすること。そして、考えた末行き着いたのが、”カフェ”をやることでした。

葛藤を表現する場所

文化的な違いがすごくあると思うのですが、子どもがいると今までの生活スタイルが変わってきて、日本だとレストランに行くにしても子どもがいると「騒いでしまったらどうしよう。」といったことを考えてしまいます。でも、アメリカでは、そういったことに寛容なところがあります。
アメリカでは、お店にキッズスペースがあったり、子どもの為の制度も充実しています。
日本での子育ての難しさや、生きづらさを感じて、そういった葛藤をお店で表現しています。
その取り組みの1つがお店でやっている「Story Time」です。
子ども為の読み聞かせを向こうでは図書館でやってくれていて、それがすごい良いなと感じていました。
英語や中国語、スペイン語など色々な言語の本を無料で読み聞かせてくれたり、歌であったり、様々なことをやってくれます。
そういったアメリカにはあるけど、日本ではまだ整っていないものが出来たら良いなという想いをカフェで表現することにしました。

子どもたちも一緒に家族で来ることができる場所作りが前提となっています。
また、そのような場所に英語をプラスした空間を作りたいと思っています。
今後、英語が子どもには必要だと思っていて、レッスンに通っている子は多いと思います。ただ、習うだけでなく、習ったことをお店で使う事や、実際に、「外国人はこういう風に会話するんだな」ということをここで知ってもらえればと思います。

働き方と生き方

夫が以前、会社で働いていた時は、この生活が「楽しくない。」と話していました。私はその発言に対して、「そんなに楽しくないなら、違う仕事をすれば?」とずっと言っていました。
違う会社で働くことも考えたのですが、結局は、会社の中で働くことが楽しくない。
であれば、「自分たちでビジネスをやりたい。」と思い、サラリーマンをやめる決断をしました。

なかなか仕事を辞めるという決断は難しいと思いますが、夫は、「仕事が大変だ。」「仕事がつまらない。」と思いながら仕事をやっている人も理解はできるけど、そういう人を見たら「違うことをやれば?」と思うというのはいつも言っています。
今は、変わってきたと思いますが、日本では社会的に転職のイメージがあまり良くないので、そういう面ではアメリカでは、仕事をしながら大学へ行く人も多くいますし、30代でも派遣みたいなところでいろんな仕事をしている人もいるので、働き方の選択肢はアメリカの方が多い印象は持ちました。

収入は不安定だし、不安もあります。
ただ、今は、会社にいるときの、「誰かの為に働いている。」といったストレスを感じずに働いています。
幸せの定義は人それぞれだと思いますが、今は家族の時間があり、ストレスを感じずに働いている。自分たちでやっている分、「これやりたい!」を実現できる環境はとても楽しいなと感じています。
失敗しても、成功しても全部自分に返ってきますが、、。(笑)

松本に住んだ理由

出身は横浜の方で、松本には縁もゆかりもありませんでした。
アメリカから日本に住む場所を変えるにあたって、いろいろ条件を付け全国で探していました。
松本には旅行で来たことがあったのですが、夫が山や、松本城が好きというのもありますし、私も子育てをするのにどういう環境が良いかと考えると自然が近くにあるのはすごくプラスに思えました。

あとは、街のサイズです。
2人でやっていくのにあまり大き過ぎず、かといって小さ過ぎずというところで長野県のどこで住もうかなと考え、松本に住むことに決めました。

プライベートでは

普段は、私と夫は英語で話しています。私と娘は80%日本語。夫と娘は英語で話しています。喋り始めた2歳~2歳半ぐらいの時には、日本語、英語の区別がつかなくて、両方を喋っていましたが、ある日パパに日本語で話しても伝わらないことに気づいて、そこからは人によって使い分けるようになりました。(笑)

大切にしていること

カフェはオープンして1年半経ちました。
大切にしていることは、自分たちもお客様も楽しめる空間を作ることです。
なので、山のパンフレットを置いたり、自分たちで改装を行ったので、DIYが好きな人に見てもらいたいと思ってますし、自分たちが好きな物をお客様に楽しんでもらいたいと思ってます。
DIYに関しては、もともと旅館だった物件を全部夫が作りました。(笑)
特別な大工経験は無かったのですが、基本的な床を張る、壁を作るといったことはできるので、次はカウンターを作ってとやっていったらお店が完成しました。(笑)
「こういう事が好きだよ」「こういうので楽しんでる」といったことをお客様に見せることで、お互い共鳴し合えれば出来たら良いなと思っています。

今後の展望

やりたいことはいっぱいあります!(笑)
2店舗目のお店をもったり、違う業態のバーをもったり!(笑)
2か月に1回ぐらいのペースで、お店にミュージシャンを呼んで音楽イベントをやっているのですが、狭いのでもっと広いライブにしたい!とか(笑)
やりたいことはいっぱいあって、常に「こういったことをやりたい」と考えることは、楽しいし、生きがいにもなってます。

最後に一言

誰でも楽しめる空間を作っているので、気軽に足を運んでいただいて、楽しみながらホームメイドの物を食べにきてください!!

抑えられない想い|陽氣茶房 Hara chan

抑えられない想い

出身は塩尻で、松本在住です。
このお店を始める前は、今あるお店の近くで何年か喫茶店をやっていました。
いろいろな事情で閉めることになってしまったのですが。
その時は、学生さんのたまり場として使ってもらっていて、そこそこ地域に根付いたお店だったと思います。結構親しまれていたかな。(笑)
毎日学生が寄っていくようなお店でした。14〜5年ぐらい前の話ですけど。

それから去年、今のお店を開きました。
本当は前の店を閉めてからまたやるつもりはなかったんですよ。
でも、なんとなく沸々と来るものが来てしまって自分の感情を抑えられなくなりました。(笑)
その中で、ずっと物件を探していたのですが、今は景気が良いので起業する人が多いんですよ。
だから、松本市中カフェ盛りで、、。(笑)
なので、物件もなかなか無かったんですけど、たまたまここの物件が空くという事で開店を決意しました。

自宅に近い空間作り

本当に偶然だったのですが、建物も古民家風だったので、流行りの古民家カフェの様なお店をイメージして始めました。
内装もとにかく手作り感を出したくてセルフリノベーションで、予算的に限られていたこともあり、全て自分で行いました。
完璧さを出してしまうと落ち着かないのではないかと考えていて、あえて不完全さを演出しました。

期間は三か月ぐらいかかりましたね。
未完の部分は何か所かあるのですが、それは徐々にやっていきます。
もともとは、築90年という物件なので、大々的にやらなければ耐久性の部分からも厳しかったので、床を全て張り替えたりと、床だけで1ヶ月ぐらいかかってしまいました。(笑)
今は、頑丈に作りましたので100人跳ねても大丈夫です。(笑)

とにかくゆっくりしていってもらいたいなという想いが強いです。
各机にコンセントを設置しておりますし、Wi-Fiも導入しています。
パソコンを持ち込みながら仕事して貰いたいというスタンスでやっています。
ゆっくりとくつろいでもらいたいです。(笑)
裏や、二階のスペースがまだ改装中ですが、完成次第ソファを置いたりと、より多様なニーズに答えられるようにしていく予定です。
喫茶店ですが、家にいるような感覚で過ごしてもらいたいと思っています。

私の好きなモノ

趣味は音楽、本、漫画です。(笑)
オールジャンルで聞きますが、特に洋楽好きです。店内BGMも自分の好きな曲を自分で聞くために流しています。(笑)BGMとしてではない!(笑)

通勤で好きな曲を聴く感覚で流しているんです。(笑)
ロックで言えば、ロバート・パーコー、ジョンマイルズ、マイケル・ブラント。めちゃめちゃビッグという訳ではないですけど、有名ではないけど曲は良いみたなのが好きなので。
少し前にあるミュージシャンの曲をかけていたら、お客様から「このタイミングでこの曲が聞けるとは思わなかった」といった話で盛り上がりました。(笑)
自分が好きなものに反応してくれるのは嬉しいですね。
漫画は前のお店の時に高校生が、寄贈してくれたものが半分ぐらいあって、そのノリで自分でも集め出した感じです。
最近のマンガも置いてあって山田可南の「私の彼は仕事が出来ない」なんか結構このフレーズが面白いですよね。(笑)女の人バリバリやる人だと、男の立場が無いみたいな。(笑)

最後に一言

松本は、大自然もあって環境も良く、交通の便もそこそこ悪くはない。そこでやっぱり喫茶店として街の一部になっていきたいと思っています。
家に居るような感覚で来ていただければ、嬉しいです!
是非、お待ちしています!

コミュニティーとしての役割|ちょこんと。 #2 店主A 工藤 美雪

漠然とした想いと、偶然の出会い

もともと地元は奈良で短大を卒業するまで、ずっと地元に住んでいたのですが、
就職のタイミングで「長野県に行きたい」と思ったんです(笑)
単身で来ちゃいました。(笑)理由は「何となく。」です!
でも、大阪の企業に通勤電車に揺られて何十年も私はこうやって過ごすのかと考えた時に、
私はちょっと違うなと思っていました。
あとは、部活で長野県に来ていたこともあって、友人が何人かいたのと、「信州って良いところだな。」と漠然と思ってはいました。
思い切って来ちゃいました。(笑)

その中で、もともと飲食店で働くようになったきっかけは、
当時、子育て中だった為に、時間の融通が利くといったところでした。
その時から「楽しいな。」と思いながら働いていて、私は夢とか大きなものではなく、人生の経験値として「いずれお店を持ちたい。」と漠然と考えるようになりました。
そしたら、働き始めて2,3年で調理師免許を取ってしまって。(笑)

当時の想いとしては、最初10年いろんなお店で働いて経験を積もうと思っていて、
あえて個人で経営している様々な形態のお店で働いていました。
その中で「私、自分でもできるな。」って思っちゃったんです。(笑)
自分でやった方が自分の理想とすることが出来るし、
「もっとこうしたいな。」という想いが出てきてしまった時期でした。

そう考えている時に、はしご横丁が空き店舗が多く、これから活性化しようという友人のプロジェクトがありました。
友人の「やれ!」という後押しがありましたが、いろいろ悩んだ結果、やりたい気持ちはあるけれど、「1人じゃな、、。」という想いもありました。
「だれか一緒にやる人いれば。」と思っていたところに、今、共同でやっている藤野さん(店主B)との運命的な出会いが!タイミングです!(笑)

ここが終着点とも持っていないですし、タイミングが合ってちょうど子供の手が離れて、
土日も働いて良いかなと思う時期だったので、「今やらないと後悔するかもしれない。」と思って、やってみちゃいました。(笑)
そこからは、開店までスムーズに進んで行きました。

実際、自分のお店を持ってみて、とても楽しいです。不安もあるし、大変なこともたくさんあるんですけど、自分たちで考えて実行したことがお客様の声としてダイレクトに返ってくるので、すごく身になりますね。
良いことも悪いことも全部返ってくるので。
それが良いこと、個人でやる良いことだと思います。
「これで良いんだ。」とか「ここはもっとこうした方が良い。」といったことを、
その時々で判断をして、行動へと移せることはマニュアルの厳しい店では出来ないことだと思うので、自分のお店を持てて良かったと思います。

コミュニティーとして機能させる

小さいお店なのでお客様との距離感が他のお店より近いんですけど、
せっかくここで出会ったのでそれがまた繋がっていけるような、アットホームな空間にしていきたいと思います。
ここで知り合って、友達になって、次一緒に来てくれたり、実際、ここで出会って結婚した人もいて!(笑)
若い人だけではなくて、おじさん同士も仲良くなって一緒に出掛けたりといった人もいます。
なので、ただごはんを食べにくる場所だけではなく、いろんな人が繋がるコミュニティーとして機能させたいと思っています。
1人にしてほしそうなお客様ももちろんいらっしゃるので、お客様を見ながらの判断ではありますが、気の合いそうなお客様同士であれば、繋げてあげたり、勝手に繋がっていくこともあります。
ここに来れば結婚出来るかもしれません。(笑)
そんな期待を抱いてきてくれても嬉しいです。(笑)

休みの日には

私はもともとカフェなどの飲食店に行くのがすごい好きで、時間があればカフェ巡りをしています。
時間があればぷらっと遠くまで行きます。

最後に一言

小さいお店ですけど、私が美味しいと思うものをいっぱい取り揃えて、おなか一杯になってもらえるように作っているので、
是非、ゆっくり遊びに来てください!!

出会いが夢を加速させた|ちょこんと。#1 店主A 工藤 美雪/ 店主B 藤野 沙紀

「いつかお店を持ちたい。」
二人が抱いていた、漠然とした想いは、
二人の運命の出会いによって、
叶えられた。
二人は、何を想い、何をお店で表現しているのか。