街の一部になる|想雲堂 渡辺 宏

 

ブックカフェが出来るまで

なんだろう、、、(笑)
もともと本が好きで、最初は、「お店に本が溢れていて、食事も出来るお店があったら良いな。」という想いでした。
松本にそういうお店がなかったので、、。
こういうお店をやっていれば、本好きが集まってくるし、本が好きじゃない人は来ないと思うし、、、(笑)
40歳ぐらいで仕事を辞めているのですが、その時にそろそろ仕事を辞め時と考えていたこともあって、
タイミングが重なった結果ですね。
前の会社で居場所がなくなったという話もありますね。(笑)

もともと地元は山梨で、前職の広告代理店で営業をしていました。当時から仕事関係で松本に関わりがありました。
甲府の人間なんだけど、松本は観光客も来るし、人口自体もそこそこあって中心市街地がまだ生きているのでこういうお店をやるのには良いかなと思いました。
甲府は割と空洞化しているので難しいなと、、(笑)
もともとお店が多くある街が好きで、街でお店をやりたいと考えていました。

ブックカフェが出来てから

お店は今年の6月で5年になりました。倉庫があって、お店の本の量は変わりません。倉庫の本を含めると、2万冊はあります。(笑)
もともとのコンセプトとしては、お店をやりながらインターネット販売しようという想いがありまして、
このお店だけでは心元ないんですね。(笑)
古本屋さんをやりたくて、ただ古本屋さんだけでは生きていけないという想いも同時にありました。(笑)
でも、喫茶店、バーと一緒だったら面白いかなと。居心地も良いし。人によっては、「ずっと居座ってダメじゃん。」って言う人もいるけど、そこまで人来ないからね、、(笑)
「注文してくつろいで言ってくれれば。」という想いだけです。

ただ、ワンドリンクはお願いしますね!(笑)
あと、気持ちとしては、ある程度の時間お店にいたら、また注文して!(笑)
まあ、しなくても文句言わないけど。(笑)

こういう店って経営が難しいんだよね。人がいないから。儲かっていそうな店も儲かっていないと思うよ。
そんな話は載せなくて良いけど。(笑)好きだからやっているっていうのがほとんどだよね。

街の一部になる

「街でお店をしたかった。」というのがあるので、松本を選びました。
いろんなお店で形成されていて、街が生きているから。その中で自分が何が出来るかという事です。
イベントに関しては、各店がいろんな試みをしていくことで街が面白くなるだろうなと。
365日イベントやれば面白いじゃん。(笑)
僕だけでは大きいことはできないけど、みんながやれば面白いかな。
商店街で何かやったって、内輪の人たちや、お店の仲間が来るだけなんだけど、その枠を超えていろんな人が参加するイベントをやりたいと思って、一箱古本市というイベントをやりました。
本が好きな人が一箱ずつ本をもってきて古本屋さんごっこをするという企画です。(笑)

街全体でやるって難しいんですよ。だから、自分たちが出来る範囲でやるしかない。
例えば、商店街で何かしようと考えた時に根回しが大変です。
そうすると自分のコネクション使ってなにかやっていって、そこで人の繋がりができればよいかなと思っています。

これからの展望

やれることをやるだけです。あとは自分が面白いなと思うことを信じてやるだけかなと思います。
こういうイベントごとはお客様との繋がりの中で出来ていくんだよね。
お客様に巻き込まれちゃうと言うか。例えば、「お店で音楽やりたいんだ!」という人がいたら話聞いて、やってもらえばよいし、「絵を展示したい!」とか、それは巻き込まれちゃえば良いんだよね。そして、本を作りたい人がいれば、「一緒にやろうか。」と言う話です。

店やっている人がすごい重要だと思うのが、やっぱり今ある仕事をしっかりやること。
イベントじゃないんだよ本当は。イベントは色づけと言うかそういうもの。イベントだけやってもしょうがないし、イベントがメインになってもしょうがない。イベントだけやってお店空いてないとか。(笑)
パターン的にはあるんだよ?そういう店だって。
売上が土日のイベントの割合が大きければ平日お店開いてもつまんないじゃん。(笑)それは本末転倒になってくる。

例えば、こういう店をもって、インターネット販売しましたと。
インターネット販売して、インターネットの売り上げめちゃめちゃ行きましたと。
そしたらこの店いらないじゃんという。でも、それじゃつまらない。
店やったら続けないと。営業時間は変わるかも知れないけど。
結局、店がないと街って成り立たないからさ。だから、街をつくっていくと言う意識が強いかもしれない。
自分の今の活動が街づくりになっている感覚で、そういうのがスタイル的に良いかなと。

最後に一言

コーヒーとアルコールを楽しみに来てください!
ウィスキーもオススメですよ!!

「たまり」の記憶|かめのや 斎藤 博久 #1

「たまり」の記憶

飲食に最初に携わった経験は、大学のアルバイトです。京都にある古着屋系列のカフェでやっていました。ちょっと変なお店。(笑)一階は古着屋、二階はカフェといった業態でした。
もともと喫茶店をやりたくて、飲食に興味があったので、夜の居酒屋ではなく、コーヒーを出すカフェとか喫茶店でやろうと思っていました。

少し遡ると、もともと地元に「たまり」という古い喫茶店があって、そこが大好きでした。おっさんのたまり場でたばこの煙で濃霧になっているお店です。(笑)
おじさん、おばちゃんばっかりの横の繋がりでしかない喫茶店。(笑)
お店は5、6席しかないけどずっと人がいて、天気の話だの野球の話を一生しているみたいな空間。(笑)
横が駄菓子屋さんだったので小学生のころから存在は知っていて、中学生の頃から通っていました。そこから徐々に休みの日に顔を出すようになりました。
父親がたばこ吸わない、酒も飲まない人だったのですが、「たまり」には、違ったベクトルの大人がいて、いろんな話を聞ける。そこの場所は大人が可愛がってくれることが嬉しくかったのを覚えています。今でいうとサロン的な横の繋がり的な交流の場としての喫茶店がまだ残っていたところがあって、それが「すごい良いな。」と思っていました。コミュニティーとしての場所が自然と出来上がっている。
コーヒーがうまいことに越したことないけど、「コーヒーまずくてもこいつら来るんだろうな。」みたいな!(笑)味は二の次の付属品で、マスターやママさんが商品となっている。生活の一部のような場所を作りたいなと思いました。
そのころから漠然と喫茶店のマスターになろうと思っていました。

「人が良いところを選べ。」

就活の時は、二択で迷っていました。いわゆるサラリーマンと、修行だと思って給料が安くても飲食店で働くかでした。
ちょうど就活をしている頃に、二つ上の姉がいろいろやりたいことがあって、会社を辞めたとの連絡がありました。
ギターやりたい、フランス語やりたいとか本当にいろいろやりたいことがあって、当時並行してやっていたけど、「時間足りない!」と言い始めて、親がすごい心配をしていました。
そのことがあって当時は、飲食の方に気持ちが傾いていたのですが、全く親孝行をしてこなかったので、「兄弟二人して心配かけるのも。」と思ってとりあえずサラリーマンになろうと思いました。
それから業種問わずいろいろ探して、立ち飲みやスナックのおじさんから情報収集をしていました。多くの人が言っていたのは、「仕事はどの仕事でもしんどいから。しんどい時に自分が潰れないようにするのは、周りの人。だから、会社を見に行って人が良いとこを選べ。」ということでした。
それから200何社説明会に行ったけど、5社に絞って、その中の1社建築系の会社に行きました。

営業に没頭した4年半

入社してから、期間は4年半ほど営業をしていました。めっちゃ楽しかった。(笑)
当時は、ルート営業でしたが、自分で先方の懐に飛び込んでいって、信頼関係がどんどん厚くなっていく手ごたえがモチベーションになっていました。
人に好かれていく過程が楽しかったです。(笑)営業最高です。(笑)
前の会社は、岐阜、長野が営業担当だったのですが、月曜日に車で現地に入って、金曜日の夕方に帰ってくる一週間かけてゆっくり回るスケジュールでした。車だったので3か月で3万8千kmとか。(笑)長野、岐阜は会社としてはそんなに遠くない部類にはいっていたので車での移動でした。(笑)でも、慣れるもので、帰りノンストップ4時間半で帰れます。(笑)
自分で全部スケジュールを立てることができて、売上の各月の配分も自由でした。かなり個人に裁量があって半分自営業みたいな感じだったので、そこもすごい楽しいポイントでした。
毎日飲んで帰るみたいなそんな日々でした。(笑)

その中で、県民性をいろいろ感じることがあって、三重は人見知り。岐阜は都会に近いほど、人見知り感が少ない。長野は広いので地域によって人柄が異なる印象を受けました。良い悪いではなく、松本はすごい観光客がいるし、移住者も多いので、新しいものを受け入れる土壌があって、排他的ではないし、おおらかに感じていました。テンション満点で受け入れてくれるわけではないけど、気にしてくれてみんなワクワクしているみたいなそういう流れがあると思いました。
長野市は、駅前はチェーン店が多くて、面白いお店見つけようとすると駅から離れていたりする。街が間延びしていて遊ぼうと思っても、車が必要かなといった感じなのですが、松本は街がまとまっているので、長野市に仕事がある時も松本に泊まって、朝頑張って長野市まで走るみたいなことをしていました。(笑)
松本がすごい好きでした。

たまたま嫁さんが松本に住んでいて、生活を考えてみても「松本だったら良いかな。」と思えました。営業時代にある程度知っていた街でもあったので、むしろ住んでみたいな気持ちがありました。
生活を考えた時に、住みやすいし、人も良いし、無職になってしまうけど、引っ越しを真剣に考えました。

当時は、会社では昇進も決まって後輩も入ってきてというタイミングで、「頑張ってくれ!」と社長や本部長に期待をされていたのですが、その一か月後に「彼女と結婚したいのでやめます。」と伝えました。(笑)
すごい会社からはかわいがってもらっていたので引き留められたのですが、一人一人話をして納得してもらってといったことをしていました。
そこでいろんな人が言ってくれたのが「仕事上、引き留めなければならない。けど、個人的にはお前の人生だから好きにしろ。仕事上今からこう言うけど、おれはこう思っている。でもどっちもおれの本音ではあるから考えてくれ」と。
なんて良い人たちなんだと思いました。(笑)
この会社は人で選んだけど、ちゃんと選んで良かったなとこの時に再度思いましたね。

歴史を繋ぐ場所|かめのや 斎藤 博久 #2

 
 
 

歴史を繋ぐ場所

松本に行ったら、「仕事はなんでも良いな。」という想いと、そういえば「喫茶店やりたかった。」なという二つの気持ちがありました。前職は仕事が楽しすぎて「喫茶店をやりたい。」気持ちを忘れていたので、「喫茶店やってみようかな。」という想いがどちらかと言うと強かったです。当時、26歳だったので、30歳までやって食えなかったら諦めようと。
30歳だったらどこかの会社がもらってくれるだろうとそういう気持ちで始めました。

二か月くらいニートして、その後、派遣に登録したのですが、工場で働いていたら、めちゃめちゃ開業準備の時間が無くて、、。
そこから、また無職になって物件を探しだしたぐらいに、嫁さんが「ここなんか前喫茶店で、今は休業しているけど、どうかな?」という話がありました。
その日にそのお店を見に行ったのですが、もちろん店内を見ても、暗いから何も見えませんでした。この物件の持ち主である翁堂さんの本店へ突撃で行って、「そこ貸していただきたいのですが、今どういう状況になっているのですか。」と飛び込み営業をしました。(笑)
5分後には社長に会えて、そのままお店の中を見せてもらい、たばこを吸いながら、昔話を聞かせてもらいました。
前職の営業力が生きました。(笑)

この物件は候補物件の1つという認識だったのですが、内覧させてもらった時に庭を見て、「こんな物件は他には無いと。絶対にない。」と。(笑)
基本的には1人でやるイメージだったのでコーヒースタンドとか、ちっちゃい喫茶店のような形でやろうと考えていたのですが、やっぱりこの内装と庭を見てしまったので、家賃とかも聞かずに「ここだな。」と思いました。ここでやってみてダメだったらしょうがないぐらいの衝撃でした。ただ、僕の他にも5,6件ぐらい借りたいと言う話が来ていて、翁堂さんも僕に貸す気は、最初無かったようです。初めて社長さんにお会いした時の昔話を聞いていると、「60年前に社長のお母さんが開いたお店で、自分のお母さんが始めたお店なので思い入れが強い。」という話でした。
なので、違う人に貸してしまうと雰囲気が変わってしまう。これがすごい嫌だと。
このお店でフランス料理をやりたい人がいたみたいなのですが、カウンターが狭いので、カウンターをつぶさないと出来ないという話で、それは絶対に嫌と話されていました。
僕は「この雰囲気すごい好きです。どこも変える必要ないですよ。」と本心で話しながら、そこから「やってみるか。」と話を頂いた流れになります。

ここのお店と、思い出のお店「たまり」が重なっているのは、こんなに立派な作りではないんですけど、やっぱりカッコ良い大人がたばこを吸っているイメージが重なりました。
シャンデリアがあるのですが、これもともとは透明なクリスタルで、これが何十年分かのヤニで琥珀色になっているんです。そういう歴史が詰まっているんです。自分でお店やるにあたってメリットは自分の想いを前面に出せるということがあるんですけど、こういう歴史は、もちろん0なわけで、そういう人の想いみたいなモノがここに詰まっているんだなと。
椅子一つとっても、ここでじいちゃん、ばあちゃんたちがたばこを吸っている場面が想像できるというのがあって「良いな!」と思いました。

喫茶店にこだわる

自分が行きたいお店を作りました。僕は喫茶店をやりたかったけど、こういう内装に出会ったのはたまたまで奇跡みたいな話です。もしスケルトンでなにもない空間であれば、最大限努力して、自分の行きたい店を実現すると思いますけど、こういう物件ありきの商売の場合は、物件の状態がどうかで左右されてしまう。
でも、ここは自分の趣味どストライク真ん中だったので、全然変えなくて良かった。むしろ変えない方が良い。たまたまこういう店をやらせてもらっているのですが、僕は大満足です。(笑)
最近の建築の話で言うと、昔のお店は、高度経済成長期の後押しがあって、個人のこだわりが強い特徴的なお店が沢山あった。そういう店ってすごいカッコ良いなと思うけど、そういう店はこれから飲食が盛り上がってくるぞという経済の後押しがあったから。
ここでお客さん呼んでやるぞというすごいエネルギーがあった時代。
資本をかけて、こだわりを出しても大丈夫だった時代。
今は、特注でいろいろ作ってくれる職人さんとかもほとんどいなくて、店に置いてある椅子も「今は誰が作れるの?」という話で。
そう考えると今作れないものが沢山あるし、今できないものは全部残したいと言う想いがあります。
最近できるお店で言うと、そんなに外見の違いは感じなく、ぱっと見で、スペインバルだったらスペインバルってすぐにわかる。
けど、こういう入りにくいお店で開けたらまさか庭があるとは思わない。(笑)


そういう驚きは割と今は少ないと思います。ガラス張りで中がわかるお店が多くて、開ける楽しみがあるお店が少ない。ドアを開ける楽しみがすごい好きで、中が分からなければわからないほど開けたくなる。(笑)そういうタイプの人間です。
新しいお店は発見が少ない。そんな感じがします。
中も全部見えるし、メニューもわかるし、こだわりも全部書いてあるし、これ以上喋ることないみたいな。(笑)
どっからコミュニケーションとるのかな?と、あと天気の話しかすることない!(笑)

かめのやのこれから

個人としては最近子どもが生まれたので、あんまりお気楽にもしてられないと。稼がなきゃならないので。なんでもバランスだと思うのですが、頑張りすぎてもいけないし。
今のお店は8割方常連さんで成り立っていて、ただ、お店のキャパを考えると、せっかく豆も焙煎しているので販路を拡大していかなければならないと思っています。
その一つに物販に力を入れていきたいと思います。
ドリップパックという商材があるのですが、いろんなコーヒー屋さんをみてみると1,2種類しか置いてない状態です。今うちのは豆の種類が14種類ある中で、豆売りもしているのですが、ドリップパックであれば、いろんな種類を一個ずつという楽しみがあるので、であれば14種類売ってしまおうと思っています。
結局、飲んでおいしいなと思っても、家でコーヒーを入れるのは大変という中で、器具を持っていなくても楽しめるような形にしていきます。
そういう意味では、喫茶店と、豆を焙煎しているコーヒー専門店の境目を狙っていて、コーヒー好きな人も、コーヒー好きじゃない人も気軽にコーヒーを買っていける。
そんな状況にしたいと思っています。
是非、気軽にお店に足を運んでください。

生活の一部に|ちょこんと。#3 店主B 藤野 沙紀

共同オーナーとの出会い

私は、美術大学を卒業しているのですが、あんまり絵を描かない不真面目な生徒でした。(笑)
でも、外にいろいろ出て、地元密着型のイベントを主催してみたりとか、
山間地域の限界集落に入って廃校活用するイベントを開いたりしていました。
その時抱いていた夢がギャラリーカフェをやることでした。

ただ、卒業後すぐに夢を叶えようとしたわけではなく、最初は、一般企業に就職をしました。
もともと出身は宮城県ですが、大学を出て就職のタイミングで長野県に来ました。
しかし、仕事をしながらも、やっぱりその夢が諦めきれなくて、退職を決意したと同時に、
その時、松本の土地がなんとなく気にいって、「もうちょっと住みたいな。」との想いもありました。
その後は修行じゃないですけど、いろんな飲食店のアルバイトや仕事の掛け持ちをしながら、開業に向けて、勉強していました。

その中で、また、卒業時でのタイミングで宮城に帰って仕事をする、そして、お店を開くという想いはその時は無かったです。震災の直後だったので、精神的に弱ってはいたのですが、
松本の方たちが優しく声をかけて下さったことで、県外の人を受け入れてくれる感じがすごいしました。
あとは、他県からきてお店を開いている方が多く、それもすごい勇気づけられました。
ここだったら頑張れるかなと思っていました。

その後、ちょうど転職のタイミングで、「はしご横丁の場所でカフェをやってくれる人を探している。」という話を頂いて、「カフェやってみませんか。」と友達が誘ってくれたんですよ。
この時に「じゃあ、今だ!!」と思いました。(笑)

でも、その時は、「でも、一人じゃ絶対できないです。自信ないです、、。」と伝えました。(笑)
しかし、「もう一人私の友達でカフェの開業を目指している人がいるんだけど、一緒にやってみたら?」というお話をもらって、初めて工藤さん(店主A)とお会いすることになりました。

本当にお見合いのような形で話をしている中で、やりたいお店の方向性が合っていると感じる部分があって、その時に、「二人だったら出来るかも。」と感じました。
告白のような形で、「一緒にやってくれませんか」と伝え、お店を開くことになりました。

店名に込めた思い

お店の規模が小さく、ちょこんとしていますし、買い物のついでや、お散歩のついでにちょっと寄って欲しいと言う意味と、日常生活の中でちょっとした癒しを感じて欲しいという意味で「ちょこんと。」と名付けました。
また、ずっと絵に関わっていたこともあって、お店のキャラクターのペンギンは自分でデザインをしました。
ただ、ペンギンが好きだっただけなんですけど、、、。(笑)

ほんとに誰でも気軽に寄れるお店になったら良いなという気持ちでやっていて、
女性でも、男性でも、お一人でも、学生でも、地元の人でも誰もが寄れる存在になったら良いなと思っていて、そんな気持ちで気軽にやっています。

食事に関しては、オープンからクローズまでずっとお食事ができるようになっていて、
いつでもご飯を食べることが出来るお店にしていることがウリです。
はしご横丁の場所も少し特殊なので、昭和レトロのような喫茶店メニューを目指してやっています。
その中でのオススメは一番人気のナポリタンです。太麺のモチモチした触感がオススメです。
是非食べに来てください!!(笑)

プライベートやお休みの日は?

絵が好きでずっとやっていて、大学時代は日本画を専攻していました。
なので、休みの日はスケッチをしたりとか、絵を描いたりとかしています。
あとは出かけるのも、すごい好きで、ドライブをしたり、旅行をしたりしています。

これからの夢

私が好きでやっている絵画は全員になじみのあるモノではなのではないかと思っていて、美術館に行く人も世の中の一部だと思います。
でも、もっと身近なところに芸術があったらもっと生活が豊かになるのではないかとずっと思っていて、
お食事したり、コーヒーを飲む空間に絵を取り入れたいと思っています。
そういう意味でもいずれはギャラリーカフェをやりたいなと思っています。

男性の方でも、女性の方でも、お一人の方でも来やすい気軽なお店なので、なにかのついでにだれでもちょこっと寄っていただければと思います!
お待ちしています!!