全てにこだわる|焼肉ハウス「大将軍」#2 坂下 拓也

1つの転機

出身は、富山県富山市です。小学生まで富山市に住んでいました。父親が転勤族だったのもあり、中学生からは、長野県長野市で暮らしていました。高校を卒業するまでです。
ずっと小中高とバドミントンをやっていて、スポーツマンでした。勉強は好きではないが、できなくもない。そんな学生でした。
高校時代を振り返ってみると、「とりあえず大学を出れば、就職も困らないかな。」と思っていたので、勉強したいことも特にありませんでした。そんな気持ちもあって、大学は推薦で楽に入学できるところを選びました。福井県の大学です。しかし、大学に入学する前に1つの出来事がありました。それは、入学式の数ヶ月前に両親が離婚したことです。

「大学のお金はどうするのか。」「母親、父親どっちにつくのか。」様々な問題がありましたが、その時考えたことは、「俺は、俺の人生を歩む。誰にもお世話にならない。」といったことです。親達が離婚したせいで、俺が生活できないとなったら、ヒモか何かでしかない。そういうのは好きではないし、学費は俺が出す。家賃も俺が出す。そんな想いでいました。ですが、どうしたって、お金が減っていく中で、1番最初に何が困るかというと、腹が減ること。
本当に。どんだけ一生懸命にやろうとも、能力が高かろうとも。これはそういう環境に身を置いた人にしかわからないと思います。

店長の一言と一杯のレタスチャーハン

腹減ってどうするかというと、大学生な訳だし、賄いのあるところでバイトするしかない。浅はかだね。(笑)「今日から働かせてくれないですか。」といろいろなお店に掛け合いました。時給は少なくても良いから、とにかく賄いが食べられるお店で。そんな中、1番最初に働いたのが、あるチェーン店の中華料理屋でした。
その店長さんも、学生の頃苦労されたみたいで、今までの事を伝えると「気持ちはわかるよ。」と話していただき、出勤初日にレタスチャーハンを作ってくれました。面接に行ってから、次の日です。


そのレタスチャーハンを食べた時に、色々我慢していたことや、境遇、自分の情けなさに、涙が出ました。「なんだこれ。なんでこんなに美味しんですか?」と聞いたら、「これはただのレタスチャーハンだ。俺はお前のために作った訳だけど、食べ物で人を感動させられるんだよ。」と。これを聞いて、「俺はこの人みたいになりたい。」と思いました。
必死に生きていたから、この衝撃を受けたのだと思います。人はいきなりガクッと落ちると、必死に生きる。必死に生きてきたからこそ「こういうのがやりたいんだ。」といったことが見つかってくるんだと思います。俺もお金がなくて、腹が減った状態でなければ、食べた賄いはただのレタスチャーハンだったかもしれない。色々巡った中での、店長の一言と、レタスチャーハンの一杯だったんだよね。「ここだな。」と思いました。それから店長に「俺は食べ物屋を目指す。」と伝えました。「学校をやめます。」と伝えたのは、この出来事があった次の日でした。

頑固親父のラーメン屋

中華料理屋さんでは、とにかく偉くなろうと思いました。まずは、もちろんアルバイトからスタートしましたが、店長からは、「誰から見ても、仕事ができるようになったら、社員も良いんではないか。」とお話しをいただきました。その言葉をいただいてからは、本当にがむしゃらに朝から晩まで働いていました。
しかし、働いていくと、「やはりマニュアルに過ぎないな。」という想いが出てきました。これからも真剣に食の道に携わっていくのであれば、チェーン店ではなく、個人店に飛び込んでみる必要があると感じていました。働いて2年ほど経過した時です。当初の約束通り、「社員になるか。」という話があったのですが、社員になっても、何も変わらないし、自分に保証がつくだけ。「それは違うのではないか。」と思っていました。

そんな事を思っている中、アルバイトで貯めたお金で食べ歩きをする機会がありました。その中で良いお店との出会いがたくさんありました。ある福井県のラーメン屋さんに行きましたが、そのラーメン屋さんが感動的に美味しかった。「ラーメンでこの美味しさどうした。」と。びっくりしました。オープンキッチンなんですが、驚くほど綺麗で、全員坊主で、ハチマキを巻いて、一切笑顔が無い。この姿を見て、「この人たちカッコ良いな。」と強く感じました。これが頑固親父がやっているラーメン屋というやつかと。それから、ずっとチェックしていました。その時は、社員を募集していなかったのですが、数ヶ月後に募集がかかっていました。「これだ。」と思って、すぐに面接をさせていただきました。面接が終わると「明日から来なよ。」とお話をいただきました。その時、返事はしたものの、バイトはあるし、「どうしうよう。」と。
そこで、店長に「良いお店があったので、行きたいです。できれば明日なんですけど」と話をしました。そしたら、「お前のことだから、そう言うと思っていたよ。」と言ってくれて。
それから、一気にラーメン屋の方に頭が切り替わりました。

小さく芽生えた想い

そのラーメン屋は何もかも手作業でやるお店です。厳しいお店でした。寸胴の洗い方一つでも、とにかく怒られる。見える景色が全く異なりました。「今まで何やっていたんだろう。甘く無いな。」と感じました。ある日、親方に、「何がそんなに駆り立てるんですか。」と質問したら、「そりゃ、借金だろう。今日、お客さん来なかったら潰れるんだぞ。」と。もう必死さで負けている。ラーメン屋では、渾身の1杯を「これでどうだ。」とお客さんに出して、その対価として、お金を頂く。この精神を特に叩き込まれました。プロとは、仕事でお金をもらうことができる状態。自分が作ったこの1杯を出している時点でプロということ。アルバイト、社員といった立場は関係ない。このラーメン屋では約5年働いていました。

働いている中で、ラーメン屋の社長とよくお話する場を設けてもらいました。その時、感じたのは、「社長って超えられないな。」という気持ちです。偉くなりたかったのですが、そういう想いでやっていると、やっぱりどこかで行き当たる。「これ以上は、上にいけないな。」と。それが社長でした。
どんだけ仲良くなっても、どんだけ話し込んでも、結局、立場が違う。社長は「俺の喜びとか、悲しみははっきり言って段違い。」と話していました。これがまた羨ましくて。どこか、経営する立場になってみたいという想いが生まれていました。

自分の人生を振り返ってみて、チェーン店の中華料理屋さん、個人店のラーメン屋さんしか経験していないなと感じました。当時、25歳の時です。これで、自分のお店を出すのは、「まだまだだな。」という気持ちがありました。将来の自分に聞いても、「まだ無理。」と言われる。

衝撃の出会い

これだけ長い間仕事をしていると、”誰と働くか”が大切だと感じていました。今度は、人を見たいと思い、社員で入るのではなく、アルバイトを複数掛け持ちしました。朝、昼、夕方、夜中。多い時は4つ掛け持ちしていました。

面接を色々受けている中で、富山の焼肉屋さんに面接に行きました。このお店で後に、師匠になる人に出会います。最初の面接は店長さん。キッチン志望の旨を伝えましたが、「今は、ホールのアルバイトしか募集していない。」とのお話でした。「キッチンで色々学びたい。」と熱く語ったところ、店長さんだけでは、決定ができないので、社長と話してくれとの話をいただきました。
社長との面接の時です。登場した時に、その怖さに衝撃を受けました。ダースベーダーの曲が流れているかのようでした。(笑)空気が全然違う。「うちのキッチンでやりたいらしいな。アルバイトではなく、社員で来いよ。」と。ただ、仮にこのお店が自分にとって、良くなかったら、お互いにとって迷惑がかかる。その想いを伝えると、「なんだ、俺のお店を試すのか。」と。しかし、ここで押し負けたら、一生ペコペコだなと思っていたので、意を決して「一度、試させていただきたいと思います。」と伝えました。この言葉が気に入ったらしくて、「よく言ったな。俺を試すか。明日来いと。」と言っていただきました。また、明日です。(笑)

大将軍が出来るまで

働いてみると異常にキッチンの人数が少なかったんですね。なぜなら、働き始めても、厳しすぎてすぐ辞めてしまうんです。どんなに頑張っても1ヶ月。正直、「鬼っているんだ。」と思いました。当時、アルバイトで働き始めましたが、1ヶ月、2ヶ月と経った頃に、すぐに親方に「是非、社員として働かせてください。」と伝えました。その時同時に、「僕は30歳になったら辞めます。独立します。その間修行させてください。」と。


以前、働いていたラーメン屋の親方は、お客さんありきの思考でしたが、焼肉屋さんの親方は、料理ありきの思考。「この料理を食べさせて、美味いと思ってもらえなかったら、お前なんて生きている価値がない。」というぐらいの人でした。和食出身の親方でしたが、やっぱり厳しかった。毎日「どうやって仕返ししてやろう。」と思っていましたよ。(笑)
厳しい親方でしたが、厳しいのは俺の為。それがヒシヒシと伝わってきました。厳しくしてくれているのに、厳しくて辞めるなんて、大馬鹿者だと思っていました。厳しいながらも、愛を感じる。がむしゃらに働いていました。
30歳になったタイミングで、親方に独立の想いを話すと、「うちの看板持って行け。」とお話しをもらいました。実はこのお店、富山の大将軍というお店です。「後にも先にも、名前をあげるのはお前だけだよ。」と。それで看板を掲げさせていただくこととなりました。この焼肉屋では、約4年働いていました。
どこでお店を始めようかと考えていましたが、ふと中学、高校の時に長野市に住んでいたことを思い出し、長野市、松本市を中心に物件を探していました。
色々な親方から学んだことを集約すると、物件のポイントは、完全にオープンキッチンで、料理を魅せることが出来る事。それであって、圧倒的な美味さを出したい。その条件で探していると今の物件と出会うこととなりました。お寿司屋さんの居抜きです。

全てにこだわる

お店では、全部を大切にしています。1つに限定できません。お客さんは、綺麗なお店に行くわけでも無いし、美味いお店に行くわけでも無いし、接客が良いお店に行くわけでも無い。そのお店に行く。「このお店良いかな?」って思って来店する。大事なのは、来店したお客さんが帰る時に「良かった。」と感じるかどうか。そう考えると、大切にすべきことは、全部でしょ。手洗いにこだわっていると言って、従業員に清潔感がなければ、「どうした?」ってなるし。全部にこだわっています。

大事にしていることで言えば、日々感謝をしています。お客さんが来てくれるのは普通なことでは無いし、社員、アルバイト関係なく、従業員が働いてくれるのは、普通では無い。
俺は、今まで親方たちに教わってきたわけだけど、ただ、自分でお店を出すだけで、親方と呼ばれるように。それってそんなに簡単な事では無いと思います。「その責任は俺が絶対取るんだ。」という覚悟だけはあります。誰からも、「この人と働いて良かったな。」と思わせてあげたいと思っています。自分自身が親方達に対して、そう思っているので。いつか、従業員が自分のお店を持つようになったり、他の店舗を任せるようになった時に、初めて親方になる。その時に初めて身を以て感じると思うんだよね。そうなった時に恥ずかしく無いように育ててあげたい。そう思っています。全部が普通のことでは無いと思っているし、一生懸命頑張って当たり前でしょ。
人を育てるなんておこがましいと思っています。それよりも、「一緒にいこうよ。」という感じです。仲良くするの好きなんだよね。結局。お客さんと飲みに行くのも好きだし。中には、焼肉屋なのに、週に3回も来てくださるお客さんがいます。美味いのはもちろんだけど、その上で、うちのスタッフがいるから、俺がいるからと言ってくれる。こんなに嬉しいことはないよね。そういったお客さんの期待に応えるにはどうしたら良いか。毎日、毎日同じメニューでは良く無い。もっと品質を上げていったりとか、新しいことにチャレンジしていったりとか、店舗の改装をしたりとか、色々なやるべきことがある。どこにも手を抜けないんだよね。そういう姿を自分が率先してやって、できることならその姿を学んでいって欲しい。その学んだ従業員が自分の味方だったら、こんなに嬉しいことはない。楽しくてしょうがないと思います。

私のプライベート

趣味あるんです。(笑)当てられたことは無いけど。(笑)趣味は、”知らないことを知ること”です。「知らない!」ってなったら居ても立っても居られないんだよね。例えば、「あの映画見た?」とか、「新しいお店行った?」とかそういうことです。ジャンル問わずアンテナを張っています。ジャンルを狭めることは、こだわりではなく、価値観を狭めているだけ。多くの人が関心を持っていることを自分も試してみるのは、人に流されているのでは無い。知らないことは罪だと思っているので、自分が経験した上で、判断すれば良い。引き出しをいっぱい作っておく状態を作ることは重要だと思っています。ちなみに、今年の社員旅行はスキューバダイビングでした。去年は、富士登山。一昨年は、ディズニーランド。(笑)意味分からないでしょ。(笑)ディズニーランドでは、徹底された清掃、接客、イベントなどは見るべき。富士登山は、日本一の山登ってみたいでしょ。(笑)色々な刺激を受けて、考えることは必要だと思っています。

最後に一言

「美味いもの食べたい。」「旨いお酒が飲みたい。」
食の要望がある時は、うちのお店を思い出していただいて、是非足を運んでみてください!
お待ちしております!

1本の動画が運命を変えた|Pizzeria Aletta 赤羽 勇治

漠然と一日が終わる日々

出身は長野県松本市です。
高校を出て、すぐ料理人になろうとしたわけではありません。
しばらく父が建設の仕事をしていて、独立するタイミングが重なって、一緒に働いていました。内装業です
期間は、5年ほどです。
将来したいことが定まっていない。夢も無く、ただただ一緒に働いているだけでしたね。
ただ、日々を過ごしていました。
その時は、父親の後を継いで、「建築の仕事をこれからやっていくんだろうな。」と思っていました。

一本の動画が運命を変えた

料理は、家で自分の分を作るぐらいはやっていました。
今の仕事に就くきっかけは、ある時、「ピザを作ってみたい。」とふと思ったことです。
作り方が分からないので、インターネットで調べました。
調べている中で、そこでたまたまピザを回している人の動画を見て、「なんだこれは!」と衝撃を受けました。
その動画はピザを作っている動画ではなく、生地を振り回してお客さんを楽しませている海外の動画でした。「こんな世界があるのか。」
自分が考えていたものとは全く違っていたことが衝撃で、「おれもやってみたい!」と思いました。

調べていくうちに、ピザ生地を伸ばす練習用のゴムが売るっているのを知り、すぐに通販で買いました。
それからは見よう見まねで練習をしていて、最初は趣味の感覚です。
そして、美味しいピザが作りたいのではなく、とにかくピザを回したいという感情です。(笑)
仕事が終わって家に帰ると、そこから公園に行って、回しての繰り返しです。
料理とは全然違っていて、大道芸に近いと思います。

ピザ回し日本大会へ

参考動画はあったのですが、早すぎて最初は何をやっているかわかりませんでした。(笑)
「教えて欲しい。」という気持ちを持っていたので、そういった場がないかと調べていると、練習用ゴムの販売元にピザ回しサークルがあることを知りました。場所は埼玉です。
月に1回ぐらいで、開催されているサークルだったので、なかなか毎回行くことが出来なかったのですが、2、3か月に1回のペースで参加していました。

そして、長野、埼玉で練習しているうちに、ピザ回す日本大会が初めて行われることを知りました。
それが2012年です。
サークルのメンバーから「出場してみない?」というお声掛けが合って、せっかく練習しているのであれば大会を目標にしたいと思い、大会開催日に標準を合わせて練習をし、大会に出場することを決意しました。
大会には3つ部門がありました。
職人向けの生生地の部門、練習用のラバーでパフォーマンスをするラバー部門、500gの生地をどこまで大きく伸ばせるかのグランデ部門。

ピザ回しに出会って1年目の時です。
私はラバー部門で出場し、1年目だったのですが、勝っちゃいました。(笑)
お店にもメダルを置いてあります。

ラバーと過ごした半年

大会に出場するまでの練習期間は約半年でした。
半年と聞くと短いと感じるかもしれませんが、その半年間は本当にみっちりやりました。
始めた1年目は気持ち悪いぐらいに練習していましたよ。(笑)
仕事するか、練習するかの2択でした。
家の近くに公園があるのですが、仕事終わったらすぐそこへ行って、ラバーが真っ黒になるまで練習して、家に帰った後は、ラバーと一緒にお風呂に入って洗ってあげるという生活をしていました。(笑)


当時は、ピザ回しを始めるきっかけになった動画の衝撃が強すぎて、何も考えずに練習し続けていました。
「こんな風になりたい!」の一心です。
大会が行われる数カ月前の夏に公園で練習をしていたら、たまたま見ていた方に、「上田の夏祭りの催し物の1つとしてやらない?」とお声をかけていただいて、大会前の度胸試しではないですけど、多くの人の前で披露する機会を頂けました。
それは、すごい良い経験になったと思います。
長野県でピザを回す人が私しかいないので、一緒にやる仲間はいなくて、孤独でしたが、周りで見てくれる人や、応援してくれる人がいたのでそれが励みになって続けることができました。

ピザを“回す”から“食べてもらう”に

大会主催の協会の方が関東でお店をやっている人でしたが、優勝したことで、その方から「うちのお店おいでよ。」とお誘いを頂きました。
「ピザ職人としてスキル身につけてみない?」ということで今まで趣味でやっていたものから本格的に学ぶことに決めました。
今まで、ピザは回していましたが、料理人としては素人だったで、料理の技術を学びにいく為です。
松本に帰って、父親に「おれピザ職人になるわ。継がない!」と話をしました。(笑)
翌年に仕事を辞め、先輩たちのいる埼玉のお店で働き始めました。

埼玉のお店では3年間働いていました。
働き始める時に3年と区切りを決めて、3年終わったら自分でお店を持つことを決めていました。
これはお店にも伝えていたことです。
この3年間では、パフォーマンスと料理はもちろん全然違うので、たくさんの壁にぶつかりました。
ピザを見てもらうのではなく、ピザを食べてもらうので、味の部分は苦戦しましたね。
美味しいモノを提供するという事には、ほぼ未知だったので。
壁を1つ1つ乗り越えていく中で、3年経った頃にはある程度自信がついて、自分自身で納得が出来るほどになりました。
そこからお店を出す準備を進めていきました。

お店を始めてからの苦悩

物件は、イメージしていたものがあって、物件を探している中でイメージと近いものがあったので、ここで勝負しようと決意しました。
オープンは今年の3月28日です。
オープン前に考えていたことと違ったことは、正直結構あります。(笑)


長野から関東へ出て行って、ピザ屋さんで働いていましたが、向こうだとそもそも人が多いですし、やればやっただけ出るしという状況でした。
その為、松本でもお店を出せば、成功できるだろうなと思っていました。
実際に、お店を持ってみると、若さ故の勢いと甘さしかなかったと感じています。オープンから1年経ってみたら、自分がやりたかったことだけしかできていないという印象です。
やはり、お客様あっての商売なので、私がやりたいことだけやっていれば良いわけではない。そういう学びはありました。
お客様が求めているものを出さなければならないので、「ピザ回してすごいでしょ!」「このピザ美味しいでしょ。」だけではうまくいかないことを痛感しました。
ピザだけやっていれば上手くいと思っていたけど、そうではないんだって。
夏暑くなってきて、お客様がピザ食べたいかといったらそうでもないし、
かき氷のほうが出るし。(笑)
縄手通りは、観光地なので冬は全然人通りがないんですよ。
埼玉であれば、人が一定数いたので関係なかったのですが、、、。
こういう地方の観光地は売れ幅があるので、正直冬はきついです、、。
いろんなことを想う中で、考え、行動の繰り返しで、試行錯誤のしている状態です。
本当にたくさんの事を学びました。

今後の展望

自分は散々ピザを回してきて、もともとが料理人ではないので、他の皆さんも僕のこと料理人と思っている人っていないと思うんですよ。(笑)
なので、個人としてはパフォーマーではなく、1人の料理人として認めてもらいたい。
回す大会ではなく、料理の大会で結果を残せればと思います。

お店の事に関しては、信州の誰もが愛してくれるメニューを1つ作りたいなと思います。
地元の人の馴染みになるメニューです。
地元の食材を使った、ここでしか食べることのできないメニューを考えています。

私のプライベート

休みの日もピザを作っています。(笑)
熟成製法という作り方があって、生地を3日間寝かせる作り方です。そうすることで、よりおいしくなったり、香りが良くなったりします。
水曜日が定休日ですが、水曜日も仕込まなければならなかったりするので、休みの日もピザをつくっているという事です。(笑)
自分がやりたくてはじめたことなので、しばらくは良いです。(笑)

最後に一言

イタリアンレストランは敷居が高くて、子どもがいると騒いでしまったりと、なかなか家族で来れないのではないかというイメージを持たれていると思います。
ですが、この店はむしろお子様に来てもらって、ピザを回すところを見てもらって、騒いでもらいたいなと思っています。
その為、キッズスペースも用意しています。
アットホームな空間を用意しているので、気軽に足を運んでください!!

「30才までに長野でコーヒー屋を開く!」|High-five COFFEE STAND 髙木 徹仁/髙木 尚美

High-five COFFEE STANDを営む二人は、異なるバックグランドを持つから面白い。

二つの視点が混じり合い、一つの空間が作られている。

二人の背景を、想いを知ることで、
もっとお店に行くのが面白くなるはず。
もっとコーヒーを飲むのが面白くなるはず。

ミートパイから学んだおもてなし |High-Five COFFEE STAND 髙木 徹仁 #1

喫茶店のマスターになります!

出身は長野県塩尻市です。
大学進学を機に神奈川へ出て、2016年に長野県に戻ってきました。
高校卒業から飲食に携わっていて、関東近辺のチェーン店や、喫茶店などで働いていました。一回ラーメン屋を挟みましたが、、、。(笑)

17,18歳の時は、漠然と「喫茶店のマスターになるな」と思っていました。(笑)
きっかけは、今はもう無いのですが、高校生の時に良く足を運んでいた喫茶店です。
それまでファストフード店とかしか行ったことがなかったのですが、その喫茶店に行った時に初めて自分を一人のお客さんとして接してくれたことが嬉しくて通っていました。

それがある日お店に行ったら、道路拡張の為に閉店になったと張り紙があって、急にお店が閉まってしまいました。
通っていたお店が潰れてしまったことにすごく悲しんだ覚えがあります。
しばらくこの出来事から気持ちがふわふわしていたのですが、ちょうどその頃に進路相談の面談がありました。
担任から「お前どうするんだ。」と聞かれた時に、「喫茶店のマスターになります!」と気付いたら言っていました。(笑)

今のお店は、当時のスタイルとかは別に継いでないですけど、なんとなく良かったと思っていた店があったという事実を継いでいきたいと思って、漠然と「お店を開きたい。」と思っていました。

その喫茶店は、コーヒーも特別なこだわりは無かったかもしれないけど、学校さぼっている人とか、仕事の合間の人とかが入れ替わりお客さんとして来ていて、いつも誰かがいるお店でした。
サービスを受けたと自覚をしたのが、ナポリタンを注文して、食べ終わった後に、「ナポリタン少し少なかった気がするから、ミートパイ焼いたから食べて」と言われて、そんなサービスあるのかと。(笑)
機転というか、高校生の自分には少なかったのではないかと言う憶測で足してくれたのではないかと。
今までそんなことをされたことがなかったので。(笑)
ファストフード店ではある程度マニュアル通りのサービスしか提供されない中で、自分個人として気をつかってもらってミートパイを出してくれたことが嬉しくて、すごいおなか一杯だったのですが食べました。(笑)

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ナチョ・リブレの一コマ|High-Five COFFEE STAND 髙木 徹仁 #2

 

ナチョ・リブレの一コマ

もともとお店を夫婦でやろうとは決めていなかったです。
一人で出来るかなと思っていたら、一人で出来なかった。
デザインとか含めてですけど。(笑)

やっぱり二人でやっていると出来ることの幅が変わってきます。
実際に、お店の多くのデザインは妻が手掛けています。
僕の飲食目線から見たデザインと、単純にデザインの観点から見た妻のデザインとを組み合わせてやっています。
結局誰かに頼むとなると、その人に箔はつくけど、どうしてもその人のテイストが入ってしまう気がする。それよりも出来なくても絞り出してオリジナルとして形にすれば、誰ともかぶらないからという意味で基本的には自分たちでやっています。

様々な飲食店を経験したので、未知だったのは自家焙煎ぐらいです。(笑)
焙煎は趣味程度に、自宅でコンロを使ってやったりといった経験しかなかったのですが、どうせこうやって表現していくなら、豆を自分で作るべきだなと思って。
そこからすぐに焙煎機を買って、練習をして、コーヒーマイスターを持っている上司に意見を聞きながらオープン前まで試行錯誤をしていました。
オープン当初は、納得できるものに辿り着くまでに時間がかかりましたが、今は安定してイメージしたものが作れています。

お店をやっていく中で、「こだわる必要がないところにこだわる。」という想いがあります。
例えば、店名。すごく悩むところだと思うのですが、前提として意味の無い名前にしたくて。「高木コーヒー」でもよかったのですが。(笑)

意味なく覚えやすいアイコンとなる名前はないかなと探していました。
その中で「ナチョ・リブレ」というコメディーのプロレス映画を見ていて、タッグマッチの相方とジャックブラックが仲直りするときに、「Hifh five!」と言っていて、「なにこれ!」と。(笑)
で、調べたら「ハイタッチ」という意味で「これで良いじゃん!」って感じです。(笑)

面白いを追求する

地元の人がこのお店だけではなく、色々なお店を通って面白いと思ってもらうことで良い街になっていけば良いのではと思っています。
松本の面白いところは、駅を少し歩いていくと面白いお店が多くあるという事だと思っているので。

後々にいろんな考想を形にしていければと思うんですけど、もし、面白くないとお客様が思ってしまったら、きっと大きな資本が来て飲まれてしまうのではないかという思いもあります。
その中で、今のところ個人店ですけど、個人店としての立ち回りが出来て、周りのお店と連携を取りながら盛り上がっていければ良いと思っています。

そういったところでお店同士の横の繋がりも増えています。今取り組んでいるプロジェクトは、もともと「Film ABOUT COFFEE」というコーヒーのドキュメンタリー映画があり、それを共同で上映しないかということで関わりあったのがきっかけです。

それから今では、地方でもありますが、コーヒーフェスといって全国のロースターさんとかが集まるイベントがあり、そういったこともゆくゆくは松本で出来ないかなという想いがあります。こだわって焙煎をやられている方にお声掛けをしたり、されたりしてコミュニティーを作って、いろいろ出来たら楽しいと感じています。
お店の人目線でどうやってコーヒーをアプローチしていくかというところを考える仲間がちょっとずつ増えているかなというところですね。

夢はブルータス!!

これからのお店に関しては、松本に留まってこのお店だけを守り抜きたいという想いは少し違っていて、これからコーヒー屋をやっていく中で、例えば「この街にもあれば良いな」とか、「この街でコーヒー屋やるのかな」ということがイメージできれば、松本以外の場所にもお店を出していきたい将来的な想いもあります。
夢は中央線を繋げることですかね!(笑)

あと、コーヒー屋でブルータスに載りたいんです!(笑)
理由は、単純に好きな雑誌だから!(笑)
自分が読んでいる雑誌に載りたい!(笑)
ブルータス、ポパイ、、、、、。あと、全然違うけどジャンプに載りたい!(笑)
どんな関わりで載れるんだろう。
オリンピックとかでないと無理かな~、、。

最後に一言

「絶対に来てくれよな!!」
(悟空風)