信州酵母豚を選んでもらう為に|焼肉しゃぶしゃぶ「ぶう」#2 花岡 伴健

調理師になった理由

思い返せば、中学生の頃から食への関心は高く持っていたと思います。なので高校は普通科ではなく、食品加工科に入りました。そして、卒業後は東京の専門学校へ行きました。
私は、親が片親だったこともありますが、当時は、今ほどモノが無かったので、食べるものに困った。食べるものが無いので、自分で作る。作るなら美味いものを食べたい。自分で美味いご飯が作れるように料理師になりました。

専門学校を卒業後、和食、中華、洋食、デザート、焼肉屋など多くの業態を経てこのお店に来ました。一般的な人より転職の数が多いと思いますが、今まで必ず目標を立てて転職をしてきました。大変なことも多くありましたが、目標があったからこそここまで続けてこれたと思います。その目標を必ずクリアしてから転職してきましたので、色々な技術、知識を得てここまで来たと思っています。

信州酵母豚への想い

信州酵母豚は、生産者がこだわって作ってくれている。酵母飼料を使って、お肉の臭みが無いように作ったのが信州酵母豚です。色々な調理法で楽しむことができますが、豚本来の旨味、味を楽しめるしゃぶしゃぶがオススメです。そういう意味でお店としてはしゃぶしゃぶを推したいと思っています。
ですが、お客さんに飽きられないよう、加工しても美味しい豚肉を目指しています。例えば、バラ肉を使って生姜焼きを作ったり色々な挑戦をしています。
お店の役割は生産者さんが育てた酵母豚を、お客さんにさらに美味しく提供すること。
挑戦は終わらないと思います。

また、一般的に豚肉は牛肉よりランクが低いようなイメージが付いていると思います。
でも、そのイメージを覆したいと思ってやっています。
百種類もある豚肉の中で負けないようにしなきゃならないということです。
この多くの品種の中で酵母豚を選んでもらう。

豚肉のブランド肉というとアグー豚とかイベリコ豚はすぐイメージできるかと思いますが、そういう有名な品種に肩を並べれるように、信州酵母豚もやっていきたいと思っています。

そして、酵母豚は他の豚肉と比べて何が良いのか。そういうところまでお客さんには知ってほしいと思います。
もちろん輸入の豚肉を使えば安く提供することができます。それでもこの信州酵母豚は栄養価が高くて、美味しいんだよってことを広めたいと思っています。
「焼肉しゃぶしゃぶ ぶう」でしか食べれない信州酵母豚をどんどん推してやっていきたいと思います。

お客さんの為に

焼肉の肉は全てお店でカットしています。手切りです。大変なんです。(笑)
真空冷凍したものを並べるだけではありません。それをやっているのは大手チェーン店。


冷凍して解凍したお肉はどうしても旨味が逃げてしまいますし、それではお客さんも納得できない。そこをあえて手で切って、部位分けをして、お客様に説明できるようにやっています。内臓から何まで手で切ってる。そこまでやらないとお客様は満足してくれないと思っています。
チェーン店には負けたく無いよね。

最後に一言

信州酵母豚を食べにきてください!ご来店お待ちしております!

変わらない味と変わらない接客|焼肉しゃぶしゃぶ「ぶう」 #1 田下 悦子

「人と関わる仕事がしたい。」

出身は木曽です。高校卒業時に「パソコンを使えるようになりたい。これからは一人一台パソコンを持つ時代になる。」と考えていました。
その為、高校卒業後は名古屋の専門学校へ進学します。パソコン関係の勉強をする学校で、プログラミングやホーページ制作をしていました。この2年間は刺激的な時間でした

卒業後は地元に戻り、電気設備工事の会社で図面を書いていました。働いていたのは3年ほどです。当初は楽しく仕事をしていましたが、やりがいを感じられなくなった事が大きなきっかけです。それは元々学生時代に接客業をやっていたこともあり、「人と関わる仕事がしたい。」と思うようになってきたからです。

「会いに来たよ!」

退職後はこの想いを大切に次の仕事を模索していました。その中で、「焼肉しゃぶしゃぶ ぶう」のオープニングスタッフ募集を文字を見て、働き始めることになりました。自分から望んだ仕事ではありましたが、最初は精神的にも体力的にも過酷な日々でした。新規オープンでしたので停電が起きたり、料理の提供が遅れたりと、お客様から大クレームを受けることもありました。休み無しでずっと働いていましたね。心の挫折もあり、「辞めようかな。」と考えることも多くありました。


そんな中、自分の顔を覚えていただき、会いにきてくれるお客様がいることは励みになりました。お客様から「会いにきたよ!」と伝えてくれる事はとっても嬉しかったです。このような経験から人と繋がりを持てる飲食業は素敵な仕事だと強く感じました。

自分らしさを

焼肉、しゃぶしゃぶだけでなく、自分も商品だと思って仕事をしています。マニュアルには捉われず、自分らしさを出した接客を心がけています。
また、お店としては、お客様に安心して帰ってもらうことを大切に、いつ来ても変わらない味と変わらない接客を心がけています。この目標を達成するためにどんな事があってもその先にはお客様がいるという事は従業員全員で頭に入れて日々の営業をしています。

お客様にはこのお店に来ることで心と体の回復をしてもらいたいと思っています。この場所で美味しいものを食べてもらい「明日から頑張ろう!」と思ってもらえる原動力になって欲しいと思っています。このお店で楽しい時間を過ごしてもらいたいと思います。

色々辛い事があってもお客さんの一言によって自分が成長できる。それが私の仕事の原動力です。

これからお店のことをもっと色んな人に知ってもらいたいと思っています。生産者さん始め、スタッフ、お客様と作り上げて行くお店だと思っています。
また、安心、安全の食材を使っていますので、多くの人に食べてもらいたいと思っています。

私のプライベート

音楽が好きです。特に「Hi-STANDARD」が好きです。学生時代に友達にCDを借りて衝撃を受けてからです。ライブやフェスに行くこともあります。疲れますが、やっぱり楽しいですね!
また、お酒や食事に行くのも好きです!特にグリーンカレー、ロコモコが好きです!グリーンカレーのクセのある感じが堪らないです、、。

最後に一言

美味しい食材と素敵な接客でお待ちしております!
一度、食べに来てみてください!

挫折の先に|有限会社神農素 丸山 隆英/丸山 真里子

先代の想い

出身は中野市です。学生の時に2年程東京へ出ていましたが、ほとんど長野県で育ちました。現在の仕事の前は実家が飲食店なので、その手伝いをしていました。
この仕事に就くきっかけは、もう亡くなっているのですが先代の神農素の会長が私の父で、生まれながらの畜産家だったことです。40年程畜産をやっていて、エサによって良いお肉ができることを研究していました。自ら土壌地質から酵母菌を見つけ、その酵母菌をうまくエサにできないかということを研究していました。また、酵母菌で発酵させることによって人間が残した食品残渣を再利用する事業を会社化したかったのが先代の願いでした。

父は40年間、その酵母菌をずっと温め続けており、その会社を設立すると相談を受けたときはあまり賛成することができませんでした。なぜなら、父は研究熱心なことは知っていましたが、それが世に出ることは考えられなかった為です。最後には私たち姉妹全員が、賛成をして会社を設立しましたが、その道には困難が多くありました。

挫折の先に

酵母菌を菌バンクに登録するまでに10年、特許を取るに8年程かかりました。酵母菌自体では特許を取ることができず、「どう特許をとるか。」を試行錯誤しながら探っていた日々でした。最終的には飼料を作るための過程を申請し、無事、特許を取ることができました。

特許を利用して事業を始めたのですが、実験、試験レベルを事業ベースに持っていくのにはすぐ結果が出ませんでした。エサを買ってくださる農家さんがいなかったんです。そこで一つ挫折をしました。食品残渣は沢山集まって原料はあるのに飼料を買っていただくことができない。
良いものを作っている自負ありましたが、それを証明するものがない。特許ばかり先走ってしまって、世に出すことができませんでした。
そのような経験から11年前、「自分達の飼料で自分達で豚を育てよう。」と養豚事業をやることにしました。
最初は20頭、それが40頭とどんどん増やしていくことができました。しかし、頭数が増えていくにつれて特許を取得した方法だと上手くいかない、、、。

「なんとかしなければならない。」と現社長が酵母菌をもとに色々試行錯誤をし、新しい方法を開拓したんです。それが「神農素菌」です。この経験から「特許だけでは食べていけない。」と勉強になりました。

信じ切るということ

うまくいかないことはたくさんありましたが、会社を設立して、株主さん達から支援をしてもらっていた中で「後戻りはできない。」という気持ちが強かったです。
また、自分達のやっていることに強い自信がありました。当初、商品になる豚が少なく、小さく売りにならない豚ばかりでした。その豚を引き取って私達が食べたのですが、その豚がとっても美味しくて衝撃を受けました。私は脂が苦手で豚肉があまり好きではなかったのです。しかし、育てた豚を食べたときは牛肉の脂のような脂だったので、改めて衝撃を受けました。


小さく商品にならない豚でもこんなに美味しく出来るなら、「この豚を大きくするだけで商品にすることができる。」と私もそうですし、社長も先代の父も信じ切っていたようです。
出来上がったお肉はとても美味しかったので、あとは波がなく安定して美味しい豚を育てるということだけでした。そこには「出来ないはずが無い。」という強い信念がありました。

今では、「豚肉って臭いな。」「脂がくどくて嫌だな。」と思われているお客様が酵母豚を召し上がった時に「あの豚だったら食べられる。」「今まで食べられなかったけれど食べれるようになった。」と喜んで頂けるまでになっています。
やっぱりお客様からのお声が一番嬉しいです。本当に信じてやって来てよかったと思います。

一人でも多くの方に

生産者様の中にはチーズや食パンをあげたり、ビール、日本酒をあげたりとこだわりを持って育てている方が多くいます。うちのこだわりはそのまま与えるのではなく、酵母菌で2週間以上発酵させたものを与えていることです。なので、体内吸収が良いはずなんですね。時間と手間暇をかけて飼料を作っているからこそ美味しい豚肉ができると私たちは信じていますので、その自信は強く持っています。

また、週に80頭前後の出荷をしているのですが、精肉の商品にならない豚をどうにか利用することはできないかと考えていました。豚を一頭使ったウィンナーや、ロースやバラはそのままベーコン、ポルケッタにしています。パテは「ぼたんこしょう」という中野市の名産を入れてさっぱりとした風味にしています。このように出来るだけ使えるものは皆さんに楽しんでいただく努力をしています。

その豚から出た有効発酵堆肥をまた農家さんに使って頂いて、次は野菜に還元していく。まさしくリサイクルをやっているので、多くの方に知って頂いて、ただ美味しい豚でなく、地域に貢献できる企業を目指しています。

中野市の中では徐々に酵母豚が伝わっているのですが、もっと多くの人に召し上がって頂いて、「信州といえば酵母豚」「信州に来たらこれを食べよう」「贈り物はこれにしよう」と言っていただけるように一歩でも近づけたらと思っています。
一人でも多くの人に召し上がって頂いて実感していただければと思います。

私のプライベート

食べ歩き、飲み歩きです(笑)ちょっと飲みすぎてしまうかもしれませんね、、。(笑)なんでも飲みます!昔は浴びるように飲んでたようですけど、。(笑)自宅では庭でBBQをやるのが定番になっています。自社製品も使っていてベーコンとポルケッタが人気です!

初孫が5月に生まれました。可愛いですね、、。息子、娘がとっても仲が良くて、一緒に買い物に行ったり、旅行に行ったりとしています。主人の母も一緒に暮らしているのですが、家族みんなで旅行に出かけています。

みんなのイルカラ #1 焼肉ハウス「大将軍」

みんなのイルカラ #1
焼肉ハウス 大将軍
もうすぐ広島転勤 さん 20代 男性

先日は、イルカラで掲載されていた記事を見て、焼肉ハウス大将軍へ!

「美味しいお肉が食べたい。」
その日は彼女の誕生日でした!

リクエストを聞いてすぐに「大将軍に行くしかない!」と意気込んだのですが、
初めて行くお店だったので少々緊張しながら、20時頃お店へ。
店内はとっても賑わっていました!

美味しいお肉は大満足!!胃もたれも全くしない!!


それはみなさんご存知かと思うのですが、接客していただいた店員さんが何より印象的でした!例えば、お肉をただテーブルへ持ってくるわけではなく、
自分の経験を踏まえて提案してくれたりと、とにかく会話会話会話!

また、隣で食事をしていたお客さんには会話を楽しみながら、
その中でさりげなく合うお酒を勧めていたりと、
お店の人とお客さんの関係を超えた関係性がこのお店にはあるんだと食事をしながら感じていました。

美味しさはもちろん、この接客があったからこそのの大満足だったと、
フムフムと帰路につきながら勝手に納得していました!笑

店員さんとの会話の中では他店さんから勉強したことをお店に生かしていく姿勢や、接客、食に対するこだわりをダイレクトに伝わるお話を聞くことができました。
大将軍で上質な体験が出来る裏には常にお店として向上していく姿勢がしっかりとあるのだと感心しました。
これは、飲食だけでなく自分自身の仕事にも置き換えなければならないなと、、、。
勉強しました、、、。

とにかく大満足!!!!
お昼はランチもやっているそうなのでまた違った楽しみ方もできそうです!
また、行きます!!!

全てにこだわる|焼肉ハウス「大将軍」#2 坂下 拓也

1つの転機

出身は、富山県富山市です。小学生まで富山市に住んでいました。父親が転勤族だったのもあり、中学生からは、長野県長野市で暮らしていました。高校を卒業するまでです。
ずっと小中高とバドミントンをやっていて、スポーツマンでした。勉強は好きではないが、できなくもない。そんな学生でした。
高校時代を振り返ってみると、「とりあえず大学を出れば、就職も困らないかな。」と思っていたので、勉強したいことも特にありませんでした。そんな気持ちもあって、大学は推薦で楽に入学できるところを選びました。福井県の大学です。しかし、大学に入学する前に1つの出来事がありました。それは、入学式の数ヶ月前に両親が離婚したことです。

「大学のお金はどうするのか。」「母親、父親どっちにつくのか。」様々な問題がありましたが、その時考えたことは、「俺は、俺の人生を歩む。誰にもお世話にならない。」といったことです。親達が離婚したせいで、俺が生活できないとなったら、ヒモか何かでしかない。そういうのは好きではないし、学費は俺が出す。家賃も俺が出す。そんな想いでいました。ですが、どうしたって、お金が減っていく中で、1番最初に何が困るかというと、腹が減ること。
本当に。どんだけ一生懸命にやろうとも、能力が高かろうとも。これはそういう環境に身を置いた人にしかわからないと思います。

店長の一言と一杯のレタスチャーハン

腹減ってどうするかというと、大学生な訳だし、賄いのあるところでバイトするしかない。浅はかだね。(笑)「今日から働かせてくれないですか。」といろいろなお店に掛け合いました。時給は少なくても良いから、とにかく賄いが食べられるお店で。そんな中、1番最初に働いたのが、あるチェーン店の中華料理屋でした。
その店長さんも、学生の頃苦労されたみたいで、今までの事を伝えると「気持ちはわかるよ。」と話していただき、出勤初日にレタスチャーハンを作ってくれました。面接に行ってから、次の日です。


そのレタスチャーハンを食べた時に、色々我慢していたことや、境遇、自分の情けなさに、涙が出ました。「なんだこれ。なんでこんなに美味しんですか?」と聞いたら、「これはただのレタスチャーハンだ。俺はお前のために作った訳だけど、食べ物で人を感動させられるんだよ。」と。これを聞いて、「俺はこの人みたいになりたい。」と思いました。
必死に生きていたから、この衝撃を受けたのだと思います。人はいきなりガクッと落ちると、必死に生きる。必死に生きてきたからこそ「こういうのがやりたいんだ。」といったことが見つかってくるんだと思います。俺もお金がなくて、腹が減った状態でなければ、食べた賄いはただのレタスチャーハンだったかもしれない。色々巡った中での、店長の一言と、レタスチャーハンの一杯だったんだよね。「ここだな。」と思いました。それから店長に「俺は食べ物屋を目指す。」と伝えました。「学校をやめます。」と伝えたのは、この出来事があった次の日でした。

頑固親父のラーメン屋

中華料理屋さんでは、とにかく偉くなろうと思いました。まずは、もちろんアルバイトからスタートしましたが、店長からは、「誰から見ても、仕事ができるようになったら、社員も良いんではないか。」とお話しをいただきました。その言葉をいただいてからは、本当にがむしゃらに朝から晩まで働いていました。
しかし、働いていくと、「やはりマニュアルに過ぎないな。」という想いが出てきました。これからも真剣に食の道に携わっていくのであれば、チェーン店ではなく、個人店に飛び込んでみる必要があると感じていました。働いて2年ほど経過した時です。当初の約束通り、「社員になるか。」という話があったのですが、社員になっても、何も変わらないし、自分に保証がつくだけ。「それは違うのではないか。」と思っていました。

そんな事を思っている中、アルバイトで貯めたお金で食べ歩きをする機会がありました。その中で良いお店との出会いがたくさんありました。ある福井県のラーメン屋さんに行きましたが、そのラーメン屋さんが感動的に美味しかった。「ラーメンでこの美味しさどうした。」と。びっくりしました。オープンキッチンなんですが、驚くほど綺麗で、全員坊主で、ハチマキを巻いて、一切笑顔が無い。この姿を見て、「この人たちカッコ良いな。」と強く感じました。これが頑固親父がやっているラーメン屋というやつかと。それから、ずっとチェックしていました。その時は、社員を募集していなかったのですが、数ヶ月後に募集がかかっていました。「これだ。」と思って、すぐに面接をさせていただきました。面接が終わると「明日から来なよ。」とお話をいただきました。その時、返事はしたものの、バイトはあるし、「どうしうよう。」と。
そこで、店長に「良いお店があったので、行きたいです。できれば明日なんですけど」と話をしました。そしたら、「お前のことだから、そう言うと思っていたよ。」と言ってくれて。
それから、一気にラーメン屋の方に頭が切り替わりました。

小さく芽生えた想い

そのラーメン屋は何もかも手作業でやるお店です。厳しいお店でした。寸胴の洗い方一つでも、とにかく怒られる。見える景色が全く異なりました。「今まで何やっていたんだろう。甘く無いな。」と感じました。ある日、親方に、「何がそんなに駆り立てるんですか。」と質問したら、「そりゃ、借金だろう。今日、お客さん来なかったら潰れるんだぞ。」と。もう必死さで負けている。ラーメン屋では、渾身の1杯を「これでどうだ。」とお客さんに出して、その対価として、お金を頂く。この精神を特に叩き込まれました。プロとは、仕事でお金をもらうことができる状態。自分が作ったこの1杯を出している時点でプロということ。アルバイト、社員といった立場は関係ない。このラーメン屋では約5年働いていました。

働いている中で、ラーメン屋の社長とよくお話する場を設けてもらいました。その時、感じたのは、「社長って超えられないな。」という気持ちです。偉くなりたかったのですが、そういう想いでやっていると、やっぱりどこかで行き当たる。「これ以上は、上にいけないな。」と。それが社長でした。
どんだけ仲良くなっても、どんだけ話し込んでも、結局、立場が違う。社長は「俺の喜びとか、悲しみははっきり言って段違い。」と話していました。これがまた羨ましくて。どこか、経営する立場になってみたいという想いが生まれていました。

自分の人生を振り返ってみて、チェーン店の中華料理屋さん、個人店のラーメン屋さんしか経験していないなと感じました。当時、25歳の時です。これで、自分のお店を出すのは、「まだまだだな。」という気持ちがありました。将来の自分に聞いても、「まだ無理。」と言われる。

衝撃の出会い

これだけ長い間仕事をしていると、”誰と働くか”が大切だと感じていました。今度は、人を見たいと思い、社員で入るのではなく、アルバイトを複数掛け持ちしました。朝、昼、夕方、夜中。多い時は4つ掛け持ちしていました。

面接を色々受けている中で、富山の焼肉屋さんに面接に行きました。このお店で後に、師匠になる人に出会います。最初の面接は店長さん。キッチン志望の旨を伝えましたが、「今は、ホールのアルバイトしか募集していない。」とのお話でした。「キッチンで色々学びたい。」と熱く語ったところ、店長さんだけでは、決定ができないので、社長と話してくれとの話をいただきました。
社長との面接の時です。登場した時に、その怖さに衝撃を受けました。ダースベーダーの曲が流れているかのようでした。(笑)空気が全然違う。「うちのキッチンでやりたいらしいな。アルバイトではなく、社員で来いよ。」と。ただ、仮にこのお店が自分にとって、良くなかったら、お互いにとって迷惑がかかる。その想いを伝えると、「なんだ、俺のお店を試すのか。」と。しかし、ここで押し負けたら、一生ペコペコだなと思っていたので、意を決して「一度、試させていただきたいと思います。」と伝えました。この言葉が気に入ったらしくて、「よく言ったな。俺を試すか。明日来いと。」と言っていただきました。また、明日です。(笑)

大将軍が出来るまで

働いてみると異常にキッチンの人数が少なかったんですね。なぜなら、働き始めても、厳しすぎてすぐ辞めてしまうんです。どんなに頑張っても1ヶ月。正直、「鬼っているんだ。」と思いました。当時、アルバイトで働き始めましたが、1ヶ月、2ヶ月と経った頃に、すぐに親方に「是非、社員として働かせてください。」と伝えました。その時同時に、「僕は30歳になったら辞めます。独立します。その間修行させてください。」と。


以前、働いていたラーメン屋の親方は、お客さんありきの思考でしたが、焼肉屋さんの親方は、料理ありきの思考。「この料理を食べさせて、美味いと思ってもらえなかったら、お前なんて生きている価値がない。」というぐらいの人でした。和食出身の親方でしたが、やっぱり厳しかった。毎日「どうやって仕返ししてやろう。」と思っていましたよ。(笑)
厳しい親方でしたが、厳しいのは俺の為。それがヒシヒシと伝わってきました。厳しくしてくれているのに、厳しくて辞めるなんて、大馬鹿者だと思っていました。厳しいながらも、愛を感じる。がむしゃらに働いていました。
30歳になったタイミングで、親方に独立の想いを話すと、「うちの看板持って行け。」とお話しをもらいました。実はこのお店、富山の大将軍というお店です。「後にも先にも、名前をあげるのはお前だけだよ。」と。それで看板を掲げさせていただくこととなりました。この焼肉屋では、約4年働いていました。
どこでお店を始めようかと考えていましたが、ふと中学、高校の時に長野市に住んでいたことを思い出し、長野市、松本市を中心に物件を探していました。
色々な親方から学んだことを集約すると、物件のポイントは、完全にオープンキッチンで、料理を魅せることが出来る事。それであって、圧倒的な美味さを出したい。その条件で探していると今の物件と出会うこととなりました。お寿司屋さんの居抜きです。

全てにこだわる

お店では、全部を大切にしています。1つに限定できません。お客さんは、綺麗なお店に行くわけでも無いし、美味いお店に行くわけでも無いし、接客が良いお店に行くわけでも無い。そのお店に行く。「このお店良いかな?」って思って来店する。大事なのは、来店したお客さんが帰る時に「良かった。」と感じるかどうか。そう考えると、大切にすべきことは、全部でしょ。手洗いにこだわっていると言って、従業員に清潔感がなければ、「どうした?」ってなるし。全部にこだわっています。

大事にしていることで言えば、日々感謝をしています。お客さんが来てくれるのは普通なことでは無いし、社員、アルバイト関係なく、従業員が働いてくれるのは、普通では無い。
俺は、今まで親方たちに教わってきたわけだけど、ただ、自分でお店を出すだけで、親方と呼ばれるように。それってそんなに簡単な事では無いと思います。「その責任は俺が絶対取るんだ。」という覚悟だけはあります。誰からも、「この人と働いて良かったな。」と思わせてあげたいと思っています。自分自身が親方達に対して、そう思っているので。いつか、従業員が自分のお店を持つようになったり、他の店舗を任せるようになった時に、初めて親方になる。その時に初めて身を以て感じると思うんだよね。そうなった時に恥ずかしく無いように育ててあげたい。そう思っています。全部が普通のことでは無いと思っているし、一生懸命頑張って当たり前でしょ。
人を育てるなんておこがましいと思っています。それよりも、「一緒にいこうよ。」という感じです。仲良くするの好きなんだよね。結局。お客さんと飲みに行くのも好きだし。中には、焼肉屋なのに、週に3回も来てくださるお客さんがいます。美味いのはもちろんだけど、その上で、うちのスタッフがいるから、俺がいるからと言ってくれる。こんなに嬉しいことはないよね。そういったお客さんの期待に応えるにはどうしたら良いか。毎日、毎日同じメニューでは良く無い。もっと品質を上げていったりとか、新しいことにチャレンジしていったりとか、店舗の改装をしたりとか、色々なやるべきことがある。どこにも手を抜けないんだよね。そういう姿を自分が率先してやって、できることならその姿を学んでいって欲しい。その学んだ従業員が自分の味方だったら、こんなに嬉しいことはない。楽しくてしょうがないと思います。

私のプライベート

趣味あるんです。(笑)当てられたことは無いけど。(笑)趣味は、”知らないことを知ること”です。「知らない!」ってなったら居ても立っても居られないんだよね。例えば、「あの映画見た?」とか、「新しいお店行った?」とかそういうことです。ジャンル問わずアンテナを張っています。ジャンルを狭めることは、こだわりではなく、価値観を狭めているだけ。多くの人が関心を持っていることを自分も試してみるのは、人に流されているのでは無い。知らないことは罪だと思っているので、自分が経験した上で、判断すれば良い。引き出しをいっぱい作っておく状態を作ることは重要だと思っています。ちなみに、今年の社員旅行はスキューバダイビングでした。去年は、富士登山。一昨年は、ディズニーランド。(笑)意味分からないでしょ。(笑)ディズニーランドでは、徹底された清掃、接客、イベントなどは見るべき。富士登山は、日本一の山登ってみたいでしょ。(笑)色々な刺激を受けて、考えることは必要だと思っています。

最後に一言

「美味いもの食べたい。」「旨いお酒が飲みたい。」
食の要望がある時は、うちのお店を思い出していただいて、是非足を運んでみてください!
お待ちしております!