信州酵母豚を選んでもらう為に|焼肉しゃぶしゃぶ「ぶう」#2 花岡 伴健

調理師になった理由

思い返せば、中学生の頃から食への関心は高く持っていたと思います。なので高校は普通科ではなく、食品加工科に入りました。そして、卒業後は東京の専門学校へ行きました。
私は、親が片親だったこともありますが、当時は、今ほどモノが無かったので、食べるものに困った。食べるものが無いので、自分で作る。作るなら美味いものを食べたい。自分で美味いご飯が作れるように料理師になりました。

専門学校を卒業後、和食、中華、洋食、デザート、焼肉屋など多くの業態を経てこのお店に来ました。一般的な人より転職の数が多いと思いますが、今まで必ず目標を立てて転職をしてきました。大変なことも多くありましたが、目標があったからこそここまで続けてこれたと思います。その目標を必ずクリアしてから転職してきましたので、色々な技術、知識を得てここまで来たと思っています。

信州酵母豚への想い

信州酵母豚は、生産者がこだわって作ってくれている。酵母飼料を使って、お肉の臭みが無いように作ったのが信州酵母豚です。色々な調理法で楽しむことができますが、豚本来の旨味、味を楽しめるしゃぶしゃぶがオススメです。そういう意味でお店としてはしゃぶしゃぶを推したいと思っています。
ですが、お客さんに飽きられないよう、加工しても美味しい豚肉を目指しています。例えば、バラ肉を使って生姜焼きを作ったり色々な挑戦をしています。
お店の役割は生産者さんが育てた酵母豚を、お客さんにさらに美味しく提供すること。
挑戦は終わらないと思います。

また、一般的に豚肉は牛肉よりランクが低いようなイメージが付いていると思います。
でも、そのイメージを覆したいと思ってやっています。
百種類もある豚肉の中で負けないようにしなきゃならないということです。
この多くの品種の中で酵母豚を選んでもらう。

豚肉のブランド肉というとアグー豚とかイベリコ豚はすぐイメージできるかと思いますが、そういう有名な品種に肩を並べれるように、信州酵母豚もやっていきたいと思っています。

そして、酵母豚は他の豚肉と比べて何が良いのか。そういうところまでお客さんには知ってほしいと思います。
もちろん輸入の豚肉を使えば安く提供することができます。それでもこの信州酵母豚は栄養価が高くて、美味しいんだよってことを広めたいと思っています。
「焼肉しゃぶしゃぶ ぶう」でしか食べれない信州酵母豚をどんどん推してやっていきたいと思います。

お客さんの為に

焼肉の肉は全てお店でカットしています。手切りです。大変なんです。(笑)
真空冷凍したものを並べるだけではありません。それをやっているのは大手チェーン店。


冷凍して解凍したお肉はどうしても旨味が逃げてしまいますし、それではお客さんも納得できない。そこをあえて手で切って、部位分けをして、お客様に説明できるようにやっています。内臓から何まで手で切ってる。そこまでやらないとお客様は満足してくれないと思っています。
チェーン店には負けたく無いよね。

最後に一言

信州酵母豚を食べにきてください!ご来店お待ちしております!

変わらない味と変わらない接客|焼肉しゃぶしゃぶ「ぶう」 #1 田下 悦子

「人と関わる仕事がしたい。」

出身は木曽です。高校卒業時に「パソコンを使えるようになりたい。これからは一人一台パソコンを持つ時代になる。」と考えていました。
その為、高校卒業後は名古屋の専門学校へ進学します。パソコン関係の勉強をする学校で、プログラミングやホーページ制作をしていました。この2年間は刺激的な時間でした

卒業後は地元に戻り、電気設備工事の会社で図面を書いていました。働いていたのは3年ほどです。当初は楽しく仕事をしていましたが、やりがいを感じられなくなった事が大きなきっかけです。それは元々学生時代に接客業をやっていたこともあり、「人と関わる仕事がしたい。」と思うようになってきたからです。

「会いに来たよ!」

退職後はこの想いを大切に次の仕事を模索していました。その中で、「焼肉しゃぶしゃぶ ぶう」のオープニングスタッフ募集を文字を見て、働き始めることになりました。自分から望んだ仕事ではありましたが、最初は精神的にも体力的にも過酷な日々でした。新規オープンでしたので停電が起きたり、料理の提供が遅れたりと、お客様から大クレームを受けることもありました。休み無しでずっと働いていましたね。心の挫折もあり、「辞めようかな。」と考えることも多くありました。


そんな中、自分の顔を覚えていただき、会いにきてくれるお客様がいることは励みになりました。お客様から「会いにきたよ!」と伝えてくれる事はとっても嬉しかったです。このような経験から人と繋がりを持てる飲食業は素敵な仕事だと強く感じました。

自分らしさを

焼肉、しゃぶしゃぶだけでなく、自分も商品だと思って仕事をしています。マニュアルには捉われず、自分らしさを出した接客を心がけています。
また、お店としては、お客様に安心して帰ってもらうことを大切に、いつ来ても変わらない味と変わらない接客を心がけています。この目標を達成するためにどんな事があってもその先にはお客様がいるという事は従業員全員で頭に入れて日々の営業をしています。

お客様にはこのお店に来ることで心と体の回復をしてもらいたいと思っています。この場所で美味しいものを食べてもらい「明日から頑張ろう!」と思ってもらえる原動力になって欲しいと思っています。このお店で楽しい時間を過ごしてもらいたいと思います。

色々辛い事があってもお客さんの一言によって自分が成長できる。それが私の仕事の原動力です。

これからお店のことをもっと色んな人に知ってもらいたいと思っています。生産者さん始め、スタッフ、お客様と作り上げて行くお店だと思っています。
また、安心、安全の食材を使っていますので、多くの人に食べてもらいたいと思っています。

私のプライベート

音楽が好きです。特に「Hi-STANDARD」が好きです。学生時代に友達にCDを借りて衝撃を受けてからです。ライブやフェスに行くこともあります。疲れますが、やっぱり楽しいですね!
また、お酒や食事に行くのも好きです!特にグリーンカレー、ロコモコが好きです!グリーンカレーのクセのある感じが堪らないです、、。

最後に一言

美味しい食材と素敵な接客でお待ちしております!
一度、食べに来てみてください!

挫折の先に|有限会社神農素 丸山 隆英/丸山 真里子

先代の想い

出身は中野市です。学生の時に2年程東京へ出ていましたが、ほとんど長野県で育ちました。現在の仕事の前は実家が飲食店なので、その手伝いをしていました。
この仕事に就くきっかけは、もう亡くなっているのですが先代の神農素の会長が私の父で、生まれながらの畜産家だったことです。40年程畜産をやっていて、エサによって良いお肉ができることを研究していました。自ら土壌地質から酵母菌を見つけ、その酵母菌をうまくエサにできないかということを研究していました。また、酵母菌で発酵させることによって人間が残した食品残渣を再利用する事業を会社化したかったのが先代の願いでした。

父は40年間、その酵母菌をずっと温め続けており、その会社を設立すると相談を受けたときはあまり賛成することができませんでした。なぜなら、父は研究熱心なことは知っていましたが、それが世に出ることは考えられなかった為です。最後には私たち姉妹全員が、賛成をして会社を設立しましたが、その道には困難が多くありました。

挫折の先に

酵母菌を菌バンクに登録するまでに10年、特許を取るに8年程かかりました。酵母菌自体では特許を取ることができず、「どう特許をとるか。」を試行錯誤しながら探っていた日々でした。最終的には飼料を作るための過程を申請し、無事、特許を取ることができました。

特許を利用して事業を始めたのですが、実験、試験レベルを事業ベースに持っていくのにはすぐ結果が出ませんでした。エサを買ってくださる農家さんがいなかったんです。そこで一つ挫折をしました。食品残渣は沢山集まって原料はあるのに飼料を買っていただくことができない。
良いものを作っている自負ありましたが、それを証明するものがない。特許ばかり先走ってしまって、世に出すことができませんでした。
そのような経験から11年前、「自分達の飼料で自分達で豚を育てよう。」と養豚事業をやることにしました。
最初は20頭、それが40頭とどんどん増やしていくことができました。しかし、頭数が増えていくにつれて特許を取得した方法だと上手くいかない、、、。

「なんとかしなければならない。」と現社長が酵母菌をもとに色々試行錯誤をし、新しい方法を開拓したんです。それが「神農素菌」です。この経験から「特許だけでは食べていけない。」と勉強になりました。

信じ切るということ

うまくいかないことはたくさんありましたが、会社を設立して、株主さん達から支援をしてもらっていた中で「後戻りはできない。」という気持ちが強かったです。
また、自分達のやっていることに強い自信がありました。当初、商品になる豚が少なく、小さく売りにならない豚ばかりでした。その豚を引き取って私達が食べたのですが、その豚がとっても美味しくて衝撃を受けました。私は脂が苦手で豚肉があまり好きではなかったのです。しかし、育てた豚を食べたときは牛肉の脂のような脂だったので、改めて衝撃を受けました。


小さく商品にならない豚でもこんなに美味しく出来るなら、「この豚を大きくするだけで商品にすることができる。」と私もそうですし、社長も先代の父も信じ切っていたようです。
出来上がったお肉はとても美味しかったので、あとは波がなく安定して美味しい豚を育てるということだけでした。そこには「出来ないはずが無い。」という強い信念がありました。

今では、「豚肉って臭いな。」「脂がくどくて嫌だな。」と思われているお客様が酵母豚を召し上がった時に「あの豚だったら食べられる。」「今まで食べられなかったけれど食べれるようになった。」と喜んで頂けるまでになっています。
やっぱりお客様からのお声が一番嬉しいです。本当に信じてやって来てよかったと思います。

一人でも多くの方に

生産者様の中にはチーズや食パンをあげたり、ビール、日本酒をあげたりとこだわりを持って育てている方が多くいます。うちのこだわりはそのまま与えるのではなく、酵母菌で2週間以上発酵させたものを与えていることです。なので、体内吸収が良いはずなんですね。時間と手間暇をかけて飼料を作っているからこそ美味しい豚肉ができると私たちは信じていますので、その自信は強く持っています。

また、週に80頭前後の出荷をしているのですが、精肉の商品にならない豚をどうにか利用することはできないかと考えていました。豚を一頭使ったウィンナーや、ロースやバラはそのままベーコン、ポルケッタにしています。パテは「ぼたんこしょう」という中野市の名産を入れてさっぱりとした風味にしています。このように出来るだけ使えるものは皆さんに楽しんでいただく努力をしています。

その豚から出た有効発酵堆肥をまた農家さんに使って頂いて、次は野菜に還元していく。まさしくリサイクルをやっているので、多くの方に知って頂いて、ただ美味しい豚でなく、地域に貢献できる企業を目指しています。

中野市の中では徐々に酵母豚が伝わっているのですが、もっと多くの人に召し上がって頂いて、「信州といえば酵母豚」「信州に来たらこれを食べよう」「贈り物はこれにしよう」と言っていただけるように一歩でも近づけたらと思っています。
一人でも多くの人に召し上がって頂いて実感していただければと思います。

私のプライベート

食べ歩き、飲み歩きです(笑)ちょっと飲みすぎてしまうかもしれませんね、、。(笑)なんでも飲みます!昔は浴びるように飲んでたようですけど、。(笑)自宅では庭でBBQをやるのが定番になっています。自社製品も使っていてベーコンとポルケッタが人気です!

初孫が5月に生まれました。可愛いですね、、。息子、娘がとっても仲が良くて、一緒に買い物に行ったり、旅行に行ったりとしています。主人の母も一緒に暮らしているのですが、家族みんなで旅行に出かけています。

みんなのイルカラ #1 焼肉ハウス「大将軍」

みんなのイルカラ #1
焼肉ハウス 大将軍
もうすぐ広島転勤 さん 20代 男性

先日は、イルカラで掲載されていた記事を見て、焼肉ハウス大将軍へ!

「美味しいお肉が食べたい。」
その日は彼女の誕生日でした!

リクエストを聞いてすぐに「大将軍に行くしかない!」と意気込んだのですが、
初めて行くお店だったので少々緊張しながら、20時頃お店へ。
店内はとっても賑わっていました!

美味しいお肉は大満足!!胃もたれも全くしない!!


それはみなさんご存知かと思うのですが、接客していただいた店員さんが何より印象的でした!例えば、お肉をただテーブルへ持ってくるわけではなく、
自分の経験を踏まえて提案してくれたりと、とにかく会話会話会話!

また、隣で食事をしていたお客さんには会話を楽しみながら、
その中でさりげなく合うお酒を勧めていたりと、
お店の人とお客さんの関係を超えた関係性がこのお店にはあるんだと食事をしながら感じていました。

美味しさはもちろん、この接客があったからこそのの大満足だったと、
フムフムと帰路につきながら勝手に納得していました!笑

店員さんとの会話の中では他店さんから勉強したことをお店に生かしていく姿勢や、接客、食に対するこだわりをダイレクトに伝わるお話を聞くことができました。
大将軍で上質な体験が出来る裏には常にお店として向上していく姿勢がしっかりとあるのだと感心しました。
これは、飲食だけでなく自分自身の仕事にも置き換えなければならないなと、、、。
勉強しました、、、。

とにかく大満足!!!!
お昼はランチもやっているそうなのでまた違った楽しみ方もできそうです!
また、行きます!!!

料理を届ける最終アンカー|焼肉ハウス「大将軍」#1 柴田 和志

恩師の言葉

出身は、長野県の岡谷市です。高校まで、岡谷市で過ごしていました。当時は、高校卒業後、進学するのか、就職するのか悩んでいました。ですが、その時に感じていたのは、「進学しても、将来本気でやりたいことが無い。」ということでした。就職に気持ちが向いていましたが、ある言葉が進路選択の後押しになりました。

今でも尊敬している中学生時代の担任教師の言葉です。中学卒業の日に「1度、就いた仕事は絶対に10年は続けてくれ。」と言われました。その言葉が高校3年間ずっと頭に残っていて、自分の性格を加味しながら、飽きない仕事をしようと考えました。
「飽きない仕事とは何か。」を考えてると、飲食関係の答えが出ました。就職しようと決めてから、就職先を決めるために、学校に届く就職案内をチェックしていきます。諏訪地域は、上諏訪温泉があり、多くの求人が出ていたのが、旅館、ホテルでした。そこで、「ホテルマンってカッコ良いな。」と思い始めました。最初は、そんな単純な理由です。(笑)


そんなこともあり、高校卒業後は、就職で諏訪市にあるホテルで働き始めました。ホール担当です。もともと料理はやっていなくて、やるつもりもありませんでしたが、人と話すのが好きだったので、ホールが向いているかなと思っていましたし、この仕事であれば10年続くかなと思っていました。

ホテルマンデビュー

就職してからは、想像を超えることがたくさん起きました。お客さんの前で接客というよりも、宴会場の準備、配膳といった裏仕事が多くありました。就職前のイメージとは違って、「こんな仕事までしなければならないのか。」と、当時は感じていました。毎日、「嫌だな。」と思っていましたよ。(笑)

また、キッチンとホールのコミュニケーションが難しい職場だったので、料理を違うお客さんに間違えて提供してしまえば、「もう作らないよ。」と言われたり、こぼしてしまったら、怒鳴られる。そんな日々でした。それでも仕事を辞めなかったのは、中学の担任の言葉が励みになったし、職場の先輩方が可愛がってくれたことが大きかったです。ヘコんでいると、見計らったように飲みに連れていってくれるような先輩でした。最初は、上手くいかなかったキッチンとのコミュニケーションも、どんどん距離が縮まっていき、一緒に飲みに行くことも増えていきました。

また、自分に常連さんがついてくれたことは本当に嬉しかったです。色々な事がありながら、あっという間に10年が経った感覚です。宴会場、中華レストラン、ブライダル会場など10年間で多くの現場を経験しました。今、考えると恵まれた環境だったなと強く感じます。

大切なお客様リスト

この10年間で特に学んだのは、人間関係の大切さです。挨拶といった基本的なこともそうですし、上司、先輩との上手い付き合い方は学びました。早く出世したいといった貪欲な部分もあったので。(笑)いかに、先輩、お客さんに気に入られようかは、常に考えていました。その経験が、今では自分の欲とか関係なしに出せるようになってきた実感はあります。

また、誰にでもフラットに接客をする事は頭に入れていました。企業の社長さんや、重役の人が来たときは、基本的に従業員は接客を嫌がります。怒られている姿もよく見て来ました。ですが、あえて自分から率先して、気に入られようと担当についていました。お客さんに顔を覚えてもらう嬉しさを早い段階から覚えることができたことが大きかったと思います。接客をしたお客さんに「柴田くん」と顔を覚えてもらった時に、自分の中で何かが変わったと思います。もっと自分のことを覚えてもらいたいと思いましたし、その分、自分もお客さんのことを覚える努力をしていました。顔や、特徴、好きなドリンクをリストにまとめて、来店されたお客さんにはリストに沿って、あらかじめ段取りを組んでいくことをしていました。お客さん一人一人に合わせた接客をやっていました。「自分の名前を覚えてくれたお客さんのことを忘れない。」をモットーに、お客さんのリストは今でも宝物になっています。

料理を届ける最終アンカー

入社5年目ぐらいの時に、1度天狗になってしまった経験があります。レストランサービス技能検定(HR)という国家試験の2級に合格した時です。この時、「良いところまで上り詰めたぞ。」と思ってしまったんです。でも、その時勉強した知識は、今では全く通用しない。当時流行っていたドリンク、ワインの種類はガラッと変わっています。気がついたら、時代遅れになっている。日々、勉強していかないとこの仕事は続かないという事を痛感しました。勉強せずに、知識が無い者はお店に立ってはならないと思っています。特にホールに関してはそうです。

世間一般の人たちは、ホールよりキッチンの方が立場が強いというイメージを持っていると思います。しかし、僕はそうとは思いません。どっちが上というわけでは無いですが、ホールはリレーでいう最終アンカー。知識、技術が無い人間がホールに出ることがどれだけ怖いことか。お客さんは、ホールの人間は、ある程度お店のことはわかっている前提でお店に来ます。その中で、聞かれた時に、「わかりません。」では、二度とお店に来ていただけないと思っています。「確認しますね。」も決して間違いでは無いのですが、その前に勉強、準備できることは必ずあるはずです。

ホールは、プライドや知識、恐怖感は常に持っていなければならないと思っています。なので、常に勉強する姿勢を持つ必要があります。「自分がこの料理を届けるんだ。」という強い想いは必要です。届ける一品には、農家さんの努力や、命の大切さが詰まっている。今の飲食業界には、知識の無いホール、愛想が良いだけで満足しているホールが多いと思うので、そこは変革をしていきたいと思っています。うざいぐらいに、ホールのプライドはあると思います。(笑)こういった精神を持った仲間を増やしていければと思います。常に街に出て、刺激を受けて勉強しないといけない。

人生を変えた出会い

当時、付き合っていた彼女と大将軍に食べに来たことがきっかけです。大将軍がオープンしてから、約1ヶ月後に行きました。その時、カウンター席に座って、肉を食べた時に、「こんなに美味しい肉食べたことない。」「本物のお店にきたぞ。」と素直に思いました。また、1つ歳上の人が、お店を構えて、経営者をやりつつ、カウンターで肉をさばく姿を見た時に、とにかく衝撃を受けた。何度か通っているうちに、プライベートでも飲みにいくようになりました。関わっていく中で、「すごいレベルの差がついている。」と感じるようになりました。人生経験で「負けたな。」と。

人生30年濃密な生き方をして来た人とここまで差が開いたのかと。自分が来年お店を出すとしたら何も出来ない。技術も無いし、人脈もない。自分と照らし合わした時にキッチンとホールの違いは関係なく、ただただ自分の勉強不足だと感じました。自分自身も料理を作れるスキルをつけたい想いがあった中で、「一緒にやろうよ。」と言っていただけました。ホテルを辞め、1から修行させてくださいという形で大将軍で働き始めました。自分がチャレンジする機会は、あと何回残っているだろうと考えた時に、今やらないと後悔すると思いました。


「まだまだ大将軍1店舗では、満足していないし、既製品で溢れている飲食業界の常識変えるんだ。」と話をされていて、想いに共感する部分も多くあり、遠目で羨ましいなと思っていても仕方がないし、仲間になることが1番だと思いました。

私のこれから

今後は、自分のお店を持つ夢を叶えたいと思っています。さらに大きいところだと、ずっと携わって来た、飲食業界が好きなので、業界に貢献したい気持ちがあります。軽率な対応や、業務的なお店が増えたりという現状があると思います。そういったところをホールの視点から変えていきたいと思います。

また、若い子には、「お客さんと会話をして、お客さんの為に仕事をする飲食は楽しいよ。」と話をしています。こういったことをもっともっと浸透させていきたいと思います。アルバイトの子には、ここで積んだ経験を生かしてもらって社会に出て行って欲しいと思います。飲食の楽しさを知って、飲食を続けてくれる子がいても面白いと思っています。僕も30歳になって、教わることから、教えることにどんどん回らないといけないと思っているので、どんどん良いものを残していきたいと思います。

私のプライベート

好きな女優は、篠原涼子です。いや、前々から鈴木亜美です。僕、鈴木亜美が大好きです。(笑)本当に。(笑)僕の青春なんです。中学から永遠と片想いですよ。(笑)


アウトドア派なので、外へ出かけることが多いです。休みの日の方が、出勤日より早く起きます。(笑)夜は、お客さんと飲みに行くことが多いのですが、一日空いていれば日帰りで旅行に行きます。県外も日帰りで行きます。食べるのが好きですし、非日常空間があるのが良いですね。逃げたいわけでは無いですよ。(笑)釣りにも行きます。基本川釣りで、山奥でヤマメを釣ったりしています。

最後に一言

皆さんにお会いできる日を楽しみに待っています!是非、お越しください!

全てにこだわる|焼肉ハウス「大将軍」#2 坂下 拓也

1つの転機

出身は、富山県富山市です。小学生まで富山市に住んでいました。父親が転勤族だったのもあり、中学生からは、長野県長野市で暮らしていました。高校を卒業するまでです。
ずっと小中高とバドミントンをやっていて、スポーツマンでした。勉強は好きではないが、できなくもない。そんな学生でした。
高校時代を振り返ってみると、「とりあえず大学を出れば、就職も困らないかな。」と思っていたので、勉強したいことも特にありませんでした。そんな気持ちもあって、大学は推薦で楽に入学できるところを選びました。福井県の大学です。しかし、大学に入学する前に1つの出来事がありました。それは、入学式の数ヶ月前に両親が離婚したことです。

「大学のお金はどうするのか。」「母親、父親どっちにつくのか。」様々な問題がありましたが、その時考えたことは、「俺は、俺の人生を歩む。誰にもお世話にならない。」といったことです。親達が離婚したせいで、俺が生活できないとなったら、ヒモか何かでしかない。そういうのは好きではないし、学費は俺が出す。家賃も俺が出す。そんな想いでいました。ですが、どうしたって、お金が減っていく中で、1番最初に何が困るかというと、腹が減ること。
本当に。どんだけ一生懸命にやろうとも、能力が高かろうとも。これはそういう環境に身を置いた人にしかわからないと思います。

店長の一言と一杯のレタスチャーハン

腹減ってどうするかというと、大学生な訳だし、賄いのあるところでバイトするしかない。浅はかだね。(笑)「今日から働かせてくれないですか。」といろいろなお店に掛け合いました。時給は少なくても良いから、とにかく賄いが食べられるお店で。そんな中、1番最初に働いたのが、あるチェーン店の中華料理屋でした。
その店長さんも、学生の頃苦労されたみたいで、今までの事を伝えると「気持ちはわかるよ。」と話していただき、出勤初日にレタスチャーハンを作ってくれました。面接に行ってから、次の日です。


そのレタスチャーハンを食べた時に、色々我慢していたことや、境遇、自分の情けなさに、涙が出ました。「なんだこれ。なんでこんなに美味しんですか?」と聞いたら、「これはただのレタスチャーハンだ。俺はお前のために作った訳だけど、食べ物で人を感動させられるんだよ。」と。これを聞いて、「俺はこの人みたいになりたい。」と思いました。
必死に生きていたから、この衝撃を受けたのだと思います。人はいきなりガクッと落ちると、必死に生きる。必死に生きてきたからこそ「こういうのがやりたいんだ。」といったことが見つかってくるんだと思います。俺もお金がなくて、腹が減った状態でなければ、食べた賄いはただのレタスチャーハンだったかもしれない。色々巡った中での、店長の一言と、レタスチャーハンの一杯だったんだよね。「ここだな。」と思いました。それから店長に「俺は食べ物屋を目指す。」と伝えました。「学校をやめます。」と伝えたのは、この出来事があった次の日でした。

頑固親父のラーメン屋

中華料理屋さんでは、とにかく偉くなろうと思いました。まずは、もちろんアルバイトからスタートしましたが、店長からは、「誰から見ても、仕事ができるようになったら、社員も良いんではないか。」とお話しをいただきました。その言葉をいただいてからは、本当にがむしゃらに朝から晩まで働いていました。
しかし、働いていくと、「やはりマニュアルに過ぎないな。」という想いが出てきました。これからも真剣に食の道に携わっていくのであれば、チェーン店ではなく、個人店に飛び込んでみる必要があると感じていました。働いて2年ほど経過した時です。当初の約束通り、「社員になるか。」という話があったのですが、社員になっても、何も変わらないし、自分に保証がつくだけ。「それは違うのではないか。」と思っていました。

そんな事を思っている中、アルバイトで貯めたお金で食べ歩きをする機会がありました。その中で良いお店との出会いがたくさんありました。ある福井県のラーメン屋さんに行きましたが、そのラーメン屋さんが感動的に美味しかった。「ラーメンでこの美味しさどうした。」と。びっくりしました。オープンキッチンなんですが、驚くほど綺麗で、全員坊主で、ハチマキを巻いて、一切笑顔が無い。この姿を見て、「この人たちカッコ良いな。」と強く感じました。これが頑固親父がやっているラーメン屋というやつかと。それから、ずっとチェックしていました。その時は、社員を募集していなかったのですが、数ヶ月後に募集がかかっていました。「これだ。」と思って、すぐに面接をさせていただきました。面接が終わると「明日から来なよ。」とお話をいただきました。その時、返事はしたものの、バイトはあるし、「どうしうよう。」と。
そこで、店長に「良いお店があったので、行きたいです。できれば明日なんですけど」と話をしました。そしたら、「お前のことだから、そう言うと思っていたよ。」と言ってくれて。
それから、一気にラーメン屋の方に頭が切り替わりました。

小さく芽生えた想い

そのラーメン屋は何もかも手作業でやるお店です。厳しいお店でした。寸胴の洗い方一つでも、とにかく怒られる。見える景色が全く異なりました。「今まで何やっていたんだろう。甘く無いな。」と感じました。ある日、親方に、「何がそんなに駆り立てるんですか。」と質問したら、「そりゃ、借金だろう。今日、お客さん来なかったら潰れるんだぞ。」と。もう必死さで負けている。ラーメン屋では、渾身の1杯を「これでどうだ。」とお客さんに出して、その対価として、お金を頂く。この精神を特に叩き込まれました。プロとは、仕事でお金をもらうことができる状態。自分が作ったこの1杯を出している時点でプロということ。アルバイト、社員といった立場は関係ない。このラーメン屋では約5年働いていました。

働いている中で、ラーメン屋の社長とよくお話する場を設けてもらいました。その時、感じたのは、「社長って超えられないな。」という気持ちです。偉くなりたかったのですが、そういう想いでやっていると、やっぱりどこかで行き当たる。「これ以上は、上にいけないな。」と。それが社長でした。
どんだけ仲良くなっても、どんだけ話し込んでも、結局、立場が違う。社長は「俺の喜びとか、悲しみははっきり言って段違い。」と話していました。これがまた羨ましくて。どこか、経営する立場になってみたいという想いが生まれていました。

自分の人生を振り返ってみて、チェーン店の中華料理屋さん、個人店のラーメン屋さんしか経験していないなと感じました。当時、25歳の時です。これで、自分のお店を出すのは、「まだまだだな。」という気持ちがありました。将来の自分に聞いても、「まだ無理。」と言われる。

衝撃の出会い

これだけ長い間仕事をしていると、”誰と働くか”が大切だと感じていました。今度は、人を見たいと思い、社員で入るのではなく、アルバイトを複数掛け持ちしました。朝、昼、夕方、夜中。多い時は4つ掛け持ちしていました。

面接を色々受けている中で、富山の焼肉屋さんに面接に行きました。このお店で後に、師匠になる人に出会います。最初の面接は店長さん。キッチン志望の旨を伝えましたが、「今は、ホールのアルバイトしか募集していない。」とのお話でした。「キッチンで色々学びたい。」と熱く語ったところ、店長さんだけでは、決定ができないので、社長と話してくれとの話をいただきました。
社長との面接の時です。登場した時に、その怖さに衝撃を受けました。ダースベーダーの曲が流れているかのようでした。(笑)空気が全然違う。「うちのキッチンでやりたいらしいな。アルバイトではなく、社員で来いよ。」と。ただ、仮にこのお店が自分にとって、良くなかったら、お互いにとって迷惑がかかる。その想いを伝えると、「なんだ、俺のお店を試すのか。」と。しかし、ここで押し負けたら、一生ペコペコだなと思っていたので、意を決して「一度、試させていただきたいと思います。」と伝えました。この言葉が気に入ったらしくて、「よく言ったな。俺を試すか。明日来いと。」と言っていただきました。また、明日です。(笑)

大将軍が出来るまで

働いてみると異常にキッチンの人数が少なかったんですね。なぜなら、働き始めても、厳しすぎてすぐ辞めてしまうんです。どんなに頑張っても1ヶ月。正直、「鬼っているんだ。」と思いました。当時、アルバイトで働き始めましたが、1ヶ月、2ヶ月と経った頃に、すぐに親方に「是非、社員として働かせてください。」と伝えました。その時同時に、「僕は30歳になったら辞めます。独立します。その間修行させてください。」と。


以前、働いていたラーメン屋の親方は、お客さんありきの思考でしたが、焼肉屋さんの親方は、料理ありきの思考。「この料理を食べさせて、美味いと思ってもらえなかったら、お前なんて生きている価値がない。」というぐらいの人でした。和食出身の親方でしたが、やっぱり厳しかった。毎日「どうやって仕返ししてやろう。」と思っていましたよ。(笑)
厳しい親方でしたが、厳しいのは俺の為。それがヒシヒシと伝わってきました。厳しくしてくれているのに、厳しくて辞めるなんて、大馬鹿者だと思っていました。厳しいながらも、愛を感じる。がむしゃらに働いていました。
30歳になったタイミングで、親方に独立の想いを話すと、「うちの看板持って行け。」とお話しをもらいました。実はこのお店、富山の大将軍というお店です。「後にも先にも、名前をあげるのはお前だけだよ。」と。それで看板を掲げさせていただくこととなりました。この焼肉屋では、約4年働いていました。
どこでお店を始めようかと考えていましたが、ふと中学、高校の時に長野市に住んでいたことを思い出し、長野市、松本市を中心に物件を探していました。
色々な親方から学んだことを集約すると、物件のポイントは、完全にオープンキッチンで、料理を魅せることが出来る事。それであって、圧倒的な美味さを出したい。その条件で探していると今の物件と出会うこととなりました。お寿司屋さんの居抜きです。

全てにこだわる

お店では、全部を大切にしています。1つに限定できません。お客さんは、綺麗なお店に行くわけでも無いし、美味いお店に行くわけでも無いし、接客が良いお店に行くわけでも無い。そのお店に行く。「このお店良いかな?」って思って来店する。大事なのは、来店したお客さんが帰る時に「良かった。」と感じるかどうか。そう考えると、大切にすべきことは、全部でしょ。手洗いにこだわっていると言って、従業員に清潔感がなければ、「どうした?」ってなるし。全部にこだわっています。

大事にしていることで言えば、日々感謝をしています。お客さんが来てくれるのは普通なことでは無いし、社員、アルバイト関係なく、従業員が働いてくれるのは、普通では無い。
俺は、今まで親方たちに教わってきたわけだけど、ただ、自分でお店を出すだけで、親方と呼ばれるように。それってそんなに簡単な事では無いと思います。「その責任は俺が絶対取るんだ。」という覚悟だけはあります。誰からも、「この人と働いて良かったな。」と思わせてあげたいと思っています。自分自身が親方達に対して、そう思っているので。いつか、従業員が自分のお店を持つようになったり、他の店舗を任せるようになった時に、初めて親方になる。その時に初めて身を以て感じると思うんだよね。そうなった時に恥ずかしく無いように育ててあげたい。そう思っています。全部が普通のことでは無いと思っているし、一生懸命頑張って当たり前でしょ。
人を育てるなんておこがましいと思っています。それよりも、「一緒にいこうよ。」という感じです。仲良くするの好きなんだよね。結局。お客さんと飲みに行くのも好きだし。中には、焼肉屋なのに、週に3回も来てくださるお客さんがいます。美味いのはもちろんだけど、その上で、うちのスタッフがいるから、俺がいるからと言ってくれる。こんなに嬉しいことはないよね。そういったお客さんの期待に応えるにはどうしたら良いか。毎日、毎日同じメニューでは良く無い。もっと品質を上げていったりとか、新しいことにチャレンジしていったりとか、店舗の改装をしたりとか、色々なやるべきことがある。どこにも手を抜けないんだよね。そういう姿を自分が率先してやって、できることならその姿を学んでいって欲しい。その学んだ従業員が自分の味方だったら、こんなに嬉しいことはない。楽しくてしょうがないと思います。

私のプライベート

趣味あるんです。(笑)当てられたことは無いけど。(笑)趣味は、”知らないことを知ること”です。「知らない!」ってなったら居ても立っても居られないんだよね。例えば、「あの映画見た?」とか、「新しいお店行った?」とかそういうことです。ジャンル問わずアンテナを張っています。ジャンルを狭めることは、こだわりではなく、価値観を狭めているだけ。多くの人が関心を持っていることを自分も試してみるのは、人に流されているのでは無い。知らないことは罪だと思っているので、自分が経験した上で、判断すれば良い。引き出しをいっぱい作っておく状態を作ることは重要だと思っています。ちなみに、今年の社員旅行はスキューバダイビングでした。去年は、富士登山。一昨年は、ディズニーランド。(笑)意味分からないでしょ。(笑)ディズニーランドでは、徹底された清掃、接客、イベントなどは見るべき。富士登山は、日本一の山登ってみたいでしょ。(笑)色々な刺激を受けて、考えることは必要だと思っています。

最後に一言

「美味いもの食べたい。」「旨いお酒が飲みたい。」
食の要望がある時は、うちのお店を思い出していただいて、是非足を運んでみてください!
お待ちしております!