みんなのイルカラ #6 ANOTHER LOUNGE@松本

みんなのイルカラ #6
ANOTHER LOUNGE
@chocolanko さん

私は元々洋服屋というか、洋服屋の接客が苦手です。
特に女性の服のお店でよくある声かけ「私もこの服持ってるんですよー」、「この服人気で残り少ないんですよ」という毎回聞く言葉や試着をした際の対応などが。

アナザーラウンジさんは、夫が服好きで、付き合っていた頃、デートで伺ったのが初めてです。
当初はメンズ服のみの取り扱いで、オーナーの矢口さん一人で経営されていました。
初めて伺った際に、張り付きの接客や定型文のような声かけをされず、ゆっくり服を見れたことが印象的でした。
セレクトショップなので、あまり聞いたことのないブランドの洋服が多かったのですが、そのブランドの服のコンセプトやデザイナーさんについてのお話も興味深く、気になった服を夫が試着した際も、どのように着こなしたいかや、サイズ違いでの服の見え方なども確認しながら、納得のいく服の選び方を教えてもらいました。

また、一度買った服を覚えてくれているので、次に服を買うときに、似た感じで合わせやすいのはこの服、違う印象にしたいなら、こんな感じはどう?などの提案もしてくれます。
流行のみを取り入れた服を扱っているわけではないので、次の年にもそれを活かして新しいアイテムを取り入れることができ、長く着ている服だと10年以上着ています。
夫の私服(仕事はスーツなので)はほぼアナザーラウンジの服です。

最初に訪れてから13.4年ほどですが、その間に店舗が二階から同じビルの一階へ移動し、アナザーラウンジの常連だった鎌倉君が店員になり(現店長です。この話も聞くと鎌倉くんの情熱がすごいなぁと思います)、そしてレディース服の展開が始まってから、女性目線も取り入れたいと伊藤さんが店員になり、男性2名、女性1名の今の体制になりました。

レディース服の取り扱いが始まってからは、私もお世話になっていますが、先に述べたような苦手な対応は一切なく、今回はやっぱり見送る…といったときも、嫌な顔もされないので、何も買わずに3人と話だけして帰ってくることもあります。

また、アナザーラウンジへは、夫と行くことが多いのですが、サプライズでプレゼントしたいときにこっそり1人で行き、服や小物を選んでもらうこともよくあります。
そんな時も、夫の好みや持っている服から考えての提案をしてくださるので、失敗したことがないです。

服に対しても人に対しても真摯な対応をされる3人が作り出す空間はとても居心地がよいです。

過剰な割引やタイムセールみたいな服の売り方はしませんが、3人の選んできた洋服が売れ残ってしまい在庫過多ということはないお店です。

むしろプロパーで売れてしまうほうが多いのかもしれません。気になっているけど、少し検討…と思って次に行くともうない?ということも多々。

服を愛する人たちが集まるステキなお店です。

変わらない味と変わらない接客|焼肉しゃぶしゃぶ「ぶう」 #1 田下 悦子

「人と関わる仕事がしたい。」

出身は木曽です。高校卒業時に「パソコンを使えるようになりたい。これからは一人一台パソコンを持つ時代になる。」と考えていました。
その為、高校卒業後は名古屋の専門学校へ進学します。パソコン関係の勉強をする学校で、プログラミングやホーページ制作をしていました。この2年間は刺激的な時間でした

卒業後は地元に戻り、電気設備工事の会社で図面を書いていました。働いていたのは3年ほどです。当初は楽しく仕事をしていましたが、やりがいを感じられなくなった事が大きなきっかけです。それは元々学生時代に接客業をやっていたこともあり、「人と関わる仕事がしたい。」と思うようになってきたからです。

「会いに来たよ!」

退職後はこの想いを大切に次の仕事を模索していました。その中で、「焼肉しゃぶしゃぶ ぶう」のオープニングスタッフ募集を文字を見て、働き始めることになりました。自分から望んだ仕事ではありましたが、最初は精神的にも体力的にも過酷な日々でした。新規オープンでしたので停電が起きたり、料理の提供が遅れたりと、お客様から大クレームを受けることもありました。休み無しでずっと働いていましたね。心の挫折もあり、「辞めようかな。」と考えることも多くありました。


そんな中、自分の顔を覚えていただき、会いにきてくれるお客様がいることは励みになりました。お客様から「会いにきたよ!」と伝えてくれる事はとっても嬉しかったです。このような経験から人と繋がりを持てる飲食業は素敵な仕事だと強く感じました。

自分らしさを

焼肉、しゃぶしゃぶだけでなく、自分も商品だと思って仕事をしています。マニュアルには捉われず、自分らしさを出した接客を心がけています。
また、お店としては、お客様に安心して帰ってもらうことを大切に、いつ来ても変わらない味と変わらない接客を心がけています。この目標を達成するためにどんな事があってもその先にはお客様がいるという事は従業員全員で頭に入れて日々の営業をしています。

お客様にはこのお店に来ることで心と体の回復をしてもらいたいと思っています。この場所で美味しいものを食べてもらい「明日から頑張ろう!」と思ってもらえる原動力になって欲しいと思っています。このお店で楽しい時間を過ごしてもらいたいと思います。

色々辛い事があってもお客さんの一言によって自分が成長できる。それが私の仕事の原動力です。

これからお店のことをもっと色んな人に知ってもらいたいと思っています。生産者さん始め、スタッフ、お客様と作り上げて行くお店だと思っています。
また、安心、安全の食材を使っていますので、多くの人に食べてもらいたいと思っています。

私のプライベート

音楽が好きです。特に「Hi-STANDARD」が好きです。学生時代に友達にCDを借りて衝撃を受けてからです。ライブやフェスに行くこともあります。疲れますが、やっぱり楽しいですね!
また、お酒や食事に行くのも好きです!特にグリーンカレー、ロコモコが好きです!グリーンカレーのクセのある感じが堪らないです、、。

最後に一言

美味しい食材と素敵な接客でお待ちしております!
一度、食べに来てみてください!

みんなのイルカラ#5 無奏天生

みんなのイルカラ #5
無奏天生
@infoyami2ki さん

オタクの定義は何かと言われれば難しいところではありますが、このお店の店主…完全に「オタク」なんです。

今年2019年に開店5周年を迎えた塩尻市の名店「無奏天生」。

私をある意味ではいけない道へと誘ってくれた「いけないお店」の1つです。

今や広島県の名物としてすっかり定着した「汁なし担々麺」。

その名店である「くにまつ」の常連でもあった無奏天生の店主が、こだわりをもって完成させた無奏天生ならではの汁なし担々麺は長野県汁なし担々麺選手権で上位を争う仕上がりと言っても過言では無いでしょう。

汁なし担々麺の初心者に良くある「汁なし担々麺って…汁あるじゃん!」の掛け声から始まり、しっかりと混ぜるたびに汁が無くなっていく本場広島スタイルの担々麺がここにはあります。

強めに効いた辛味と華やかに薫る山椒の痺れを併せ持つ担々麺に衝撃を受けた私。

これだけのものを完成させ、私の新たな一面を見出してくれた店主に感謝の言葉を送りたいくらいなのです。

そう…私にとってこのお店の汁なし担々麺は最早「汁」だけでなく「文句」も無い最早「文句無し担々麺」…でもあります。

当初は「汁なし担々麺の美味しいお店」として無奏天生を認識されていた方も多いような気もしますが、このお店の手掛けるメニューはどれも主役級。

例えば、個人的に必ず注文するメニューの1つであるしっとりチャーシューをジャパニーズ寿司スタイルでいただく「俵チャーシュー握り」。

さらには、山賊焼きが有名な塩尻市であえて登場する「塩尻市のファミチキ」と私の中で秘かな話題を呼んだ「大きな唐揚げ」などサイドメニュー1つとっても店主のこだわりが光ります。

このお店の大きな特徴は、店名の無奏天生の「無」の字に込められた意味の通りほとんどのメニューが「無化調(化学調味料)」で仕上げられているところにあります。

店主は以前私に「化学調味料と塩分の関係性について」の講義を開いていただいたことがあるくらい研究熱心な方で、化学調味料を使えば一発で仕上がる味をあえてソレを使わずに色々な食材・知識を用いてラーメンを作り上げる難しさについて何故か嬉しそうに語っていました。

あの輝くような無邪気な顔は今でも忘れられません。

レギュラーメニューから限定メニューまで、まるで化学実験をするかのように挑戦と修正を繰り返して素晴らしいものが作り上げられています。

そう。

最早無奏天生の店主は「ラーメン界のでんじろう博士」と言っても過言では無いのです。

どちらかと言うとラーメン屋さんのイメージが先行してしまうお店ですが、以前いただいた麻婆豆富定食が絶品だったのもまた印象的です。

丸美屋の麻婆豆腐の素も勿論美味しいのですが、ここの麻婆豆富は家庭的なその味とは一線を隔した中華料理店のアノ味です。

ラーメンだけでなくあらゆる「食」と向き合い、自分なりのこだわりを貫き通すその姿勢は自分の中の「尊敬すべきオタク像」そのものであります。

無奏天生、そして店主のオタクっぷりを知れば知るほどに「汁なし担々麺の美味しいお店」というイメージを飛び越え「食に関する研究開発を進めて進化し続ける食の百貨店」と言った方がしっくり来るかもしれません。

常に想像を超えたものを提供し、また行きたくてウズウズしてしまうようなお店「無奏天生」

良い意味で「最高のオタク」がそこには居ます。

「俺より凄いオタクに会いに行く。」

さあて、またズルズルっ…とかっ喰らいにいきますかぁ!

以下、ヤミツキマツモトさんのリンクです!
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みんなのイルカラ#4 Little Feat

みんなのイルカラ #3
Little Feat
@s_du25 さん

私が思うリトル・フィートの良さはまず料理が美味しいです。

おつまみからご飯ものまで特別な隠し味がありそうだとか、そういうわけではないのですが素朴で優しい味が学生で一人暮らしの私には母を思い出させてくれます。
お店の雰囲気はアメリカンな感じで「松本にこんな場所があったのか!」というくらい異世界な感じなのですが、
お料理は特別派手なわけではなくお店の雰囲気からすると少し違う感じでまたそれがいいです。
私のオススメは、オムライスとオニオンフライと唐揚げです。どれも美味しいのですが必ずこれは注文します。お通しも家庭的なところが好きです。
ちなみにお料理を作っているのは女性の方で、オーナーさんのパートナーだと聞いています。

オーナーさんの人柄も私はとても好きです。第一印象は大きくて強面なおじさんでしたが、話してみると本当に優しくて穏やかな人だなと印象が変わりました。


趣味でバイクに乗っていたり、バンドをやったりしているそうです。以前、私は行けなかったのですがお店でバンドのライブをやったようです。
自分のお店で自分の仲間とお客さんと楽しい空間を創っているオーナーさんは素敵だなと思いました。きっと苦労してきたことは沢山あると思うけれど、お店の雰囲気もオーナーさん達の人柄も学生の私からしたら自分たちの世界観を持っている感じと趣味も仕事も充実しているところがとても憧れる大人です。

挫折の先に|有限会社神農素 丸山 隆英/丸山 真里子

先代の想い

出身は中野市です。学生の時に2年程東京へ出ていましたが、ほとんど長野県で育ちました。現在の仕事の前は実家が飲食店なので、その手伝いをしていました。
この仕事に就くきっかけは、もう亡くなっているのですが先代の神農素の会長が私の父で、生まれながらの畜産家だったことです。40年程畜産をやっていて、エサによって良いお肉ができることを研究していました。自ら土壌地質から酵母菌を見つけ、その酵母菌をうまくエサにできないかということを研究していました。また、酵母菌で発酵させることによって人間が残した食品残渣を再利用する事業を会社化したかったのが先代の願いでした。

父は40年間、その酵母菌をずっと温め続けており、その会社を設立すると相談を受けたときはあまり賛成することができませんでした。なぜなら、父は研究熱心なことは知っていましたが、それが世に出ることは考えられなかった為です。最後には私たち姉妹全員が、賛成をして会社を設立しましたが、その道には困難が多くありました。

挫折の先に

酵母菌を菌バンクに登録するまでに10年、特許を取るに8年程かかりました。酵母菌自体では特許を取ることができず、「どう特許をとるか。」を試行錯誤しながら探っていた日々でした。最終的には飼料を作るための過程を申請し、無事、特許を取ることができました。

特許を利用して事業を始めたのですが、実験、試験レベルを事業ベースに持っていくのにはすぐ結果が出ませんでした。エサを買ってくださる農家さんがいなかったんです。そこで一つ挫折をしました。食品残渣は沢山集まって原料はあるのに飼料を買っていただくことができない。
良いものを作っている自負ありましたが、それを証明するものがない。特許ばかり先走ってしまって、世に出すことができませんでした。
そのような経験から11年前、「自分達の飼料で自分達で豚を育てよう。」と養豚事業をやることにしました。
最初は20頭、それが40頭とどんどん増やしていくことができました。しかし、頭数が増えていくにつれて特許を取得した方法だと上手くいかない、、、。

「なんとかしなければならない。」と現社長が酵母菌をもとに色々試行錯誤をし、新しい方法を開拓したんです。それが「神農素菌」です。この経験から「特許だけでは食べていけない。」と勉強になりました。

信じ切るということ

うまくいかないことはたくさんありましたが、会社を設立して、株主さん達から支援をしてもらっていた中で「後戻りはできない。」という気持ちが強かったです。
また、自分達のやっていることに強い自信がありました。当初、商品になる豚が少なく、小さく売りにならない豚ばかりでした。その豚を引き取って私達が食べたのですが、その豚がとっても美味しくて衝撃を受けました。私は脂が苦手で豚肉があまり好きではなかったのです。しかし、育てた豚を食べたときは牛肉の脂のような脂だったので、改めて衝撃を受けました。


小さく商品にならない豚でもこんなに美味しく出来るなら、「この豚を大きくするだけで商品にすることができる。」と私もそうですし、社長も先代の父も信じ切っていたようです。
出来上がったお肉はとても美味しかったので、あとは波がなく安定して美味しい豚を育てるということだけでした。そこには「出来ないはずが無い。」という強い信念がありました。

今では、「豚肉って臭いな。」「脂がくどくて嫌だな。」と思われているお客様が酵母豚を召し上がった時に「あの豚だったら食べられる。」「今まで食べられなかったけれど食べれるようになった。」と喜んで頂けるまでになっています。
やっぱりお客様からのお声が一番嬉しいです。本当に信じてやって来てよかったと思います。

一人でも多くの方に

生産者様の中にはチーズや食パンをあげたり、ビール、日本酒をあげたりとこだわりを持って育てている方が多くいます。うちのこだわりはそのまま与えるのではなく、酵母菌で2週間以上発酵させたものを与えていることです。なので、体内吸収が良いはずなんですね。時間と手間暇をかけて飼料を作っているからこそ美味しい豚肉ができると私たちは信じていますので、その自信は強く持っています。

また、週に80頭前後の出荷をしているのですが、精肉の商品にならない豚をどうにか利用することはできないかと考えていました。豚を一頭使ったウィンナーや、ロースやバラはそのままベーコン、ポルケッタにしています。パテは「ぼたんこしょう」という中野市の名産を入れてさっぱりとした風味にしています。このように出来るだけ使えるものは皆さんに楽しんでいただく努力をしています。

その豚から出た有効発酵堆肥をまた農家さんに使って頂いて、次は野菜に還元していく。まさしくリサイクルをやっているので、多くの方に知って頂いて、ただ美味しい豚でなく、地域に貢献できる企業を目指しています。

中野市の中では徐々に酵母豚が伝わっているのですが、もっと多くの人に召し上がって頂いて、「信州といえば酵母豚」「信州に来たらこれを食べよう」「贈り物はこれにしよう」と言っていただけるように一歩でも近づけたらと思っています。
一人でも多くの人に召し上がって頂いて実感していただければと思います。

私のプライベート

食べ歩き、飲み歩きです(笑)ちょっと飲みすぎてしまうかもしれませんね、、。(笑)なんでも飲みます!昔は浴びるように飲んでたようですけど、。(笑)自宅では庭でBBQをやるのが定番になっています。自社製品も使っていてベーコンとポルケッタが人気です!

初孫が5月に生まれました。可愛いですね、、。息子、娘がとっても仲が良くて、一緒に買い物に行ったり、旅行に行ったりとしています。主人の母も一緒に暮らしているのですが、家族みんなで旅行に出かけています。

みんなのイルカラ#3 シメパフェ&SWEETS

みんなのイルカラ #3
シメパフェ&SWEETS
あん さん 20代 女性

松本のケーキ屋さんクワトロクオーレのケーキがお得に買えるのと、
店員さんが手作りで一つ一つその場で作りあげてくれるパフェが24時まで食べられるお店です。

季節のパフェは大体月に一度変わるのでそれも毎回見た目もかわいいしとても美味しいです。
何より伊藤さんの笑顔といつ行っても覚えててくれる居心地の良さが何度も通う理由です。

今は松本を離れていますが、夜に着くバスで帰省した時は他にお店がほとんど空いていない時間でも優しく迎えてくれるこのお店に行って、
パフェやケーキを食べながら「松本に帰って来たなぁ。」と実感します。

私の松本のもう一つの帰る場所です。

みんなのイルカラ #2 炭火やきとん百升亭「わ」岡田店

みんなのイルカラ #2
炭火やきとん百升亭 わ 岡田店

@yu____riko.1023 女性

「百升亭 わ」は、串ものがメインのお店なんですが、レバーが苦手な私が「わ」のアミレバーだけは食べれるんです!

臭みもなく 本当に美味しいです(*^^)
あとは、店主・店長が作る定番な料理を初め創作料理もオススメです!
そして、こんな山に囲まれてるのに出されるお刺身等は新鮮で凄く美味しいです!

北海道生まれの私も大満足です(*^^)v
お酒も店主・店長のオリジナルのがあり、毎日行っても飽きないです!
カウンターに座ればもちろんお話することができます!
くだらない話をきいてもらったり料理の事を聞いたり、恋愛の相談です(笑)
お店の従業員の方もとても優しく私はほとんど1人で行くんですが話を聞いてくれるのも本当に上手です!
お客さん同士もいつの間にか仲良くなれる程いい人ばかりです!
松本で私が唯一1人で行けるお店です╰(*´︶`*)╯

みんなのイルカラ #1 焼肉ハウス「大将軍」

みんなのイルカラ #1
焼肉ハウス 大将軍
もうすぐ広島転勤 さん 20代 男性

先日は、イルカラで掲載されていた記事を見て、焼肉ハウス大将軍へ!

「美味しいお肉が食べたい。」
その日は彼女の誕生日でした!

リクエストを聞いてすぐに「大将軍に行くしかない!」と意気込んだのですが、
初めて行くお店だったので少々緊張しながら、20時頃お店へ。
店内はとっても賑わっていました!

美味しいお肉は大満足!!胃もたれも全くしない!!


それはみなさんご存知かと思うのですが、接客していただいた店員さんが何より印象的でした!例えば、お肉をただテーブルへ持ってくるわけではなく、
自分の経験を踏まえて提案してくれたりと、とにかく会話会話会話!

また、隣で食事をしていたお客さんには会話を楽しみながら、
その中でさりげなく合うお酒を勧めていたりと、
お店の人とお客さんの関係を超えた関係性がこのお店にはあるんだと食事をしながら感じていました。

美味しさはもちろん、この接客があったからこそのの大満足だったと、
フムフムと帰路につきながら勝手に納得していました!笑

店員さんとの会話の中では他店さんから勉強したことをお店に生かしていく姿勢や、接客、食に対するこだわりをダイレクトに伝わるお話を聞くことができました。
大将軍で上質な体験が出来る裏には常にお店として向上していく姿勢がしっかりとあるのだと感心しました。
これは、飲食だけでなく自分自身の仕事にも置き換えなければならないなと、、、。
勉強しました、、、。

とにかく大満足!!!!
お昼はランチもやっているそうなのでまた違った楽しみ方もできそうです!
また、行きます!!!

アメリカで見た景色|The Source Diner 安達 真

アメリカへの憧れ

アメリカに憧れるきっかけになったのは、映画だと思う。あと、ちっちゃい頃やっていたアメリカのドラマ。ナイトライダーとか特攻野郎Aチームとか。(笑)映画、ドラマを見ていたのが原体験だと思う。ナイトライダーって車が喋るのよ。悪い敵を倒すんだけどそいつがすごい車なの。「アメリカってこんな車あるの?」って。アメリカに対する憧れに繋がったと思う。アメリカや西洋に対する憧れは自然と刷り込まれていったから。「いつかアメリカ行きたい。」って。アメリカに対する想いはずっとあった。

アメリカで見た景色

人のフランクさとかをマネしたいというか、そうありたいとは思ったかな。日本だと特に従業員とお客さんって立場になるけど、アメリカは対等なの。日本はお客さんが神様だって思っている人たくさんいるだろうし。うちに来る人はあんまりそういう人はいないんだけど。俺が偉そうだからだと思うんだけどさ。(笑)アメリカだと必ず挨拶があるわけ「Hi!」「Hello!」とか。ほぼ挨拶から始まるし、日本みたいにどこ見て言ってるかわからない「いらっしゃいませ」に対してお客さんって「どう返すの?」って話じゃん。だから、俺はあの言葉が嫌いで必ず挨拶をする。まず挨拶から始まって、目を合わす。それが大切だよね。

当時、お店の奥にキッチンを作ることにしていたんだけど、内装をやってくれた友人に「やっぱりキッチンの位置変えたい。」と相談をして変えてもらった。奥にキッチンがあった方が、ストックルームが近くにあったりと便利は便利なの。でも、席が遠いお客さんと触れ合うことが無い。それが嫌だったんだよね。

日常と非日常

お店にずっといるわけでは無いので、街に出るじゃん。自分の生活している街に出る。その時に気持ち良いかどうかは大切。僕らよく旅行行きますと。みんなも旅行好きじゃん。なんで好きかというと色々な理由があると思うけど、日常から非日常に行きたいわけじゃん。そういうものが楽しくて行く。だけど、旅行行かなくても自分の街がそういう街であれば別に毎日生活していて、日常と非日常を行ったり来たりできるようになるなと思っていて。もう無くなっちゃったけど、ニューヨークで働いていた「The Adore」ってお店があるんだけど、The Adoreに関しては俺の日常だったわけ。でも、日本に帰ってきてしまえば完全に非日常だし、働く前も非日常。「俺、ニューヨークのカフェで働くのか。」とんでもない高揚感と緊張と不安。それが働いてしまえば日常になっていったわけ。


アメリカにいた時はよく国内旅行をしていて、サンフランシスコのTriesteに行ったときにそこにいる人ってこのお店に行くことが日常でしか無いわけ。俺だけ非日常でそこにいた。その交錯している感じがすごく良かったし、「その人たちの日常に溶け込みたい。」ってすごい思ったの。そんなこと出来ないんだけど。「こんなお店があるなんてすごい素敵な日常じゃん。」って。

街の日常

お店にはオシャレな人だけでなく、どんな人が来てくれても良い。でも、横柄な態度だけは許さない。俺はあなた達と対等だし、俺のお店のルール内で楽しんでくれればそれで良い。ここは他人の家だから。「他人の家行くときになんで自分のルールを持ち込むの?」って。
逆にオシャレな人しかいないのは嫌なのね。というのは、街の日常になっているカフェや、飲食店って色んな人がいるわけよ。若い人もおじいちゃんもいる。お店もカッコ良いんだけど、カッコつけたカッコ良さじゃ無いのよ。こういう絵がすごく好きだから、お店としてこうありたいと思ってるね。

当初、オープンしてすぐは若い人しか来なかったのね。でも、少しずつ色々な人が来てくれるなという実感はある。でも、これは10年20年やっていないとそういう絵にはならないし、難しいよね。おじいちゃんおばあちゃんが日々使うお店ではありたい。でも、うちはコーヒーだけとかやらないから日常使いはできないんだけど。

たまに近所のおばあさん3人が来て、「今日なにあるだ?」「メニュー見てください。」みたいなやりとりはするね。あの人達何にも見ないから(笑)めんどくさいなって思うんだけど、それがまた面白かったりするんだけどね。見ようとしない。全部聞く。(笑)でも、これは俺がやろうとしてたコミュニケーションだよなって気づいたりする。めんどくさいからメニュー置いといて聞くだけにしているわけだから。おばあさんは俺が忙しくても関係ないの。「何があるだ?」って聞いてくる。でも、これが本来の姿であって、「わからないことがあれば聞いてください。」ってスタンスだけど、出来ていないのに気づかされる。改めて「あっそうか。」って。

「抱きしめてあげなければダメだよ。」

誰に対して商売をしていくかは一番難しいところかなと思ってる。やっぱりマスに向けて商売しないと成り立たないと思っているから。でも、マスの人たち誰でもウェルカムはやりたくない。俺は俺のカッコ良いと思うことをやりつつ、その人達にもアプローチする方法を探らないといけない。例えば、「売れていないインディーズの時の方がカッコ良かったよね。」って言う人いっぱいいるじゃん。メジャーになってやめる人もいると思うけど。でも、「売れてお金稼いでなにがダメなの?」って思うの。昔のファンが離れることは残念かも知れないけど、でもあなた達よりお金くれるんだよって話で。自分のポリシーから外れたことをすることでこんなお金ってもらえるんだって。そのバランスだと思うんだよね。

でも、実際来てくれるお客さんって当初想定していた友達より、そうじゃない人達の方が圧倒的に多いのよ。このお店が好きになって来てくれる人の方が来店頻度は高いし、そういう人っていわゆるマスの人達。だけど、こういう場所に引っかかってくれる。世の中にはもっと入りやすいお店だったり、めんどくさくないお店って沢山あると思うけど。俺はルールを逸脱するとすぐ不機嫌になるから。(笑)でも、それをクリアしてくれればすごいウェルカム。

少し前に心に響いた言葉をもらって、名古屋の「EARLY BIRDS BREAKFAST」や、「Circles」っていうお店をやっている社長さんの言葉。「お店なんて入りづらくて良いんだ。だけどその門を開けて入って来た人に対しては抱きしめてあげなければダメだよ。」って。門を開けるのにすごい勇気を持って来てくれてる。「入りづらい。」ってよく言われるし、「なんのお店かわからない。」って言われる。だから一見さんってほとんど来ない。何かの情報を持っている人がやっと来るお店だと思っている。その言葉を聞いたときにハッとして。そうだなと。

飲食業を変える

飲食業って底辺だと思っていて。働きたくない職業ランキングでもコンビニ店員と並ぶぐらい。本当にそう思っていて。昔は、独立したら儲けられるという夢があったみたいだし、料理人も腐るほどいるっている感じだったみたいなのね。人の流動性は早かったと思うんだけど、地位が上がっていくと給料も貰えるし、独立すれば豊かな生活が送れる構図があったんだけど、今は違う。飲食業に人がいないし、どこも人が足りていない。


24〜27歳のときに働いていたニューヨークのお店は日払いだったんだけど、余裕があったの。週2日休めたし、1日8時間ぐらいしか働いていない。これが俺のキャリアのスタート。日本帰ってきて東京で働いたお店は、時給790円だよ。多分東京の最低賃金だと思うけど。時間もやけに長いじゃん。週1しか休めないし。ほんと嫌だったの。当時の料理長もボロボロになって働いていたし、子供が生まれたばかりだったのに子供とも会えないとか。何をしているんだろうという感じ。「早くアメリカ帰りたい。」って思ってた。毎日ね。

もっと頭使えばお金もらえるはず。でも、現状に疑問を感じない人がほとんど。思考停止しているんだと思う。飲食業の人が地位が低いままなのは嫌だし、変えたいと思っているから。自分のお店は休みはとるし。それでも稼働している時に稼げば良いから。なかなか上手くいかないけどね。ちゃんとやっていれば俺らみたいに休んでも稼げるんだよって示さないと、自分のお店を持ちたいっていう人もいなくなっちゃう。俺よく「生まれ変わったら飲食業やらない。」って言ってるんだけど、大変だもんやっぱり。日本の飲食業の人達が思考停止しているのに物申す為に俺は休む。それ言いながらも俺が稼いでなかったらカッコ悪い。カッコつけていて、稼げないのが一番カッコ悪い。休んでて火の車じゃんってなったらダメなのよ。だから店が稼働している時に、お客さんがバンバンくる、休む時は休むって状況がなければならないんだけどね。難しい。日々考えていないとね。

負けたくはないよね。少なくとも松本の店では一番でいたいし。ナンバーワンよりオンリーワンって言葉があるけど、ナンバーワンじゃないと意味ないでしょって思うから。

心に響くこの一盃|岩波酒造 佐田 直久

将来の姿

出身は新潟県新潟市です。小学校低学年の時に、父親の転勤の関係で東京へ。中学校へ上がるタイミングでまた新潟へ戻って来ました。大学進学時は、特にやりたい事は無く、東京への憧れだけでした。一人暮らしの為に大学へ行ったようなもんです。学生時代はギターが好きでバンドをやっていました。フォークや歌謡曲に始まり、Kiss、ローリングストーンズなどのロックからパンクロックもやっていました。自分たちのオリジナル曲を作って渋谷の音楽ホールでライブもやりました。
音楽と並行してやっていたのは合気道です。社会に出るにあたって自分の精神面も鍛えなければならないと思い、武道を始めました。4年間部活を続けて、黒帯の2段まで取ることができました。

自分の仕事とは

就職の時期では、やりたい事、行きたい会社はありませんでした。とりあえずどこかの企業へ就職しようと思っていました。結局、地元の新潟へ帰り、金融系の会社へ就職します。当時は、特にやりがいを持って働いていたわけでは無く、お金をもらう為に働いていたような感覚です。最初の配属は、高崎店でしたが、5年目での初めての転勤が、長野県松本店でした。生まれて初めて松本にきました。松本で仕事をしながら、「なんていい所なんだ。」と思っていました。日本全国様々な場所に住んでいましたが、松本には他とは違う魅力を感じました。空が綺麗、川が綺麗、山も、花も綺麗。「ずっと住みたいな。」と強く思いました。
この会社には7年ほど働いていました。

当時、住んでいたアパートの隣人と仲良くなり一緒に遊ぶ機会が多くありました。その方は友人が多く、家に集まって食事をしたり、スポーツをやったりという場に招き入れてくれました。その当時は、お酒がそれほど好きでは無かったのに、仲間たちと話をしながら飲むお酒は「本当に美味しいな。」と感じていました。同時に、自分の姿を見ると「こんな人生で良いのかな。」と自問自答するようになりました。周りの人達は子供がいたのですが、僕ら夫婦にはなかなか子供を授かることができませんでした。その時に思ったのが、「もし子供がいて自分の仕事を聞かれたら胸を張って言える仕事ではない。」そう思いました。心から打ち込める仕事をやりたい。そう強く感じました。であれば、職人だなと。今では酒造りの仕事に就きましたが、醤油や味噌でも良かった。とにかく一つの事に一生懸命打ち込める仕事をしたかった。この気持ちに尽きます。ですが、漠然とした想いだったので、ハローワークへ行ってもなかなか仕事がない状況で、途方に暮れかけていたことがありました。

最後の望み

転職先を探していましたが、なかなか「これだ。」という仕事が見つかりませんでした。でも、その間にも家賃等の支出はある。自分の望みが叶ったわけでは無いですが、工場の仕事が決まりかけていました。ですが、心のモヤモヤは消えず、最後に一度だけとハローワークへ向かいました。そこに待っていたのは、岩波酒造の酒造りの求人でした。見た瞬間「これだ!」と。今までの酒造りは新潟の杜氏(とうじ)=越後杜氏が蔵人を連れて秋から春にかけて1年分のお酒を造るスタイルでしたが、自社社員でお酒を造ろうと方向性を変えたタイミングでした。秋から春は酒造り、その他は営業、配達といった業務内容です。最初は右も左もわからない全くの異業種で大変な時期もありました。


ですが、辞めたいと思った事は全くありません。「良い仕事を見つけることができた。」それだけでした。どの仕事だって、どの役職だって苦労があるのは当たり前。どんどん仕事を任せてもらうことが本当に嬉しかったです。ある時、1人で仕事をしているときに、涙を流したことがありました。「本当に良い仕事を見つけて良かった。」と。やりたい仕事をとことんやれるという事は本当に幸せだと思いました。そして、さらに幸せな事がありました。なんと、子宝にも恵まれたのです。

杜氏一年目

蔵人の中でも責任者を杜氏(とうじ)、その下に頭(かしら)といった役職があります。私には「やりきる。」といった強い気持ちと覚悟があったので、掃除だろうが洗濯だろうがどんな仕事でも一生懸命やっていました。この酒造りの世界では、1人前になるまでに最低15年かかると言われていました。杜氏と頭が担当者を決めていくのですが、その姿をちゃんと見ててくれていたんだと思います。ちょうど15年目に杜氏に任命されました。新潟から杜氏がくるスタイルから歴史が変わる瞬間です。大きなプレッシャーを感じました。良いお酒が造れるか不安で夜も眠れない日々でした。

1年目はとにかく怪我しない、体調を崩さない、やり切ることを目標に据えていました。無事1年間務めることができましたが、その結果、無難なお酒ができてしまった。品評会へ出品しましたが、評価はされない。他の蔵のお酒と飲み比べて「これではダメだ。」と悔しい想いを抱きました。長野県には約60の蔵があり、60の杜氏がいる。当時1年目でしたので、「自分が一番下っ端なんだ。一番下手くそなんだ。」と割り切り、誰よりも頑張らなければならないと、自分を鼓舞していました。

美味しいお酒を

「なんとか賞を取る。」と決意し2年目が始まりました。ですが、ある時「賞を取るよりも普通に飲んで美味しいお酒を造ろう。」と意識が変わり、その瞬間に心がすっと楽になりました。もし賞が取れなくても自分が全ての責任を取れば良い。それが醪(もろみ)にも伝わったのだと思います。9月の長野県清酒品評会でまさかの首席優等賞を受賞!長野県一位です。岩波酒造初の快挙でした。

恐らく長野県中の蔵が驚いたと思いますし、何より自分が一番驚きました。(笑)10月には国税局の関東信越鑑評会があり、それも長野県一位。ダブルで長野県一位です。本当に驚きました。もともと新潟の先輩が培ってきたやり方や教わったものがベースになっていて、それに私の少しの工夫、周りの努力が掴んだ賞だと思っています。

心に響くこの一盃

お酒は人の心に響くものだと思っています。飲んで心が温まる。悩んでいることが小さく思えたり、言えないことが言えたり、精神にも届くものだと思っています。この世の中は色々な人の頑張りで成り立っています。そういった人に美味しいお酒を飲んでもらって「明日も頑張ろう」と前を向いてもらう。そういった人が増えればもっと社会は良くなるのと思っています。自分にとって酒造りは一つの社会貢献です。

プライベートの私

休みの日にはギターを弾いたり、サイクリングをしています。きれな風景を撮ってSNSに上げています。以前、友人がきのこ鍋を作って振舞ってくれた時に、その美味しさにものすごく感動しました。それから山に入ってきのこを取り、食べることも趣味の一つです。
今は辞めてしまいましたが、岩波酒造に入社してから、旨い酒を造るには強く正しい精神と肉体も必要だと思い、空手を習い始め、黒帯2段までとりました。音楽を楽しむ、運動する、自然と親しむ。そういった感覚が五感を研ぎ澄まし、心に響く酒を造る事に繋がるのだと思っています。

佐田杜氏のブログで日々の酒造り様子がチェックできます!
■杜氏のブログ 心に響くこの一盃