心に響くこの一盃|岩波酒造 佐田 直久

将来の姿

出身は新潟県新潟市です。小学校低学年の時に、父親の転勤の関係で東京へ。中学校へ上がるタイミングでまた新潟へ戻って来ました。大学進学時は、特にやりたい事は無く、東京への憧れだけでした。一人暮らしの為に大学へ行ったようなもんです。学生時代はギターが好きでバンドをやっていました。フォークや歌謡曲に始まり、Kiss、ローリングストーンズなどのロックからパンクロックもやっていました。自分たちのオリジナル曲を作って渋谷の音楽ホールでライブもやりました。
音楽と並行してやっていたのは合気道です。社会に出るにあたって自分の精神面も鍛えなければならないと思い、武道を始めました。4年間部活を続けて、黒帯の2段まで取ることができました。

自分の仕事とは

就職の時期では、やりたい事、行きたい会社はありませんでした。とりあえずどこかの企業へ就職しようと思っていました。結局、地元の新潟へ帰り、金融系の会社へ就職します。当時は、特にやりがいを持って働いていたわけでは無く、お金をもらう為に働いていたような感覚です。最初の配属は、高崎店でしたが、5年目での初めての転勤が、長野県松本店でした。生まれて初めて松本にきました。松本で仕事をしながら、「なんていい所なんだ。」と思っていました。日本全国様々な場所に住んでいましたが、松本には他とは違う魅力を感じました。空が綺麗、川が綺麗、山も、花も綺麗。「ずっと住みたいな。」と強く思いました。
この会社には7年ほど働いていました。

当時、住んでいたアパートの隣人と仲良くなり一緒に遊ぶ機会が多くありました。その方は友人が多く、家に集まって食事をしたり、スポーツをやったりという場に招き入れてくれました。その当時は、お酒がそれほど好きでは無かったのに、仲間たちと話をしながら飲むお酒は「本当に美味しいな。」と感じていました。同時に、自分の姿を見ると「こんな人生で良いのかな。」と自問自答するようになりました。周りの人達は子供がいたのですが、僕ら夫婦にはなかなか子供を授かることができませんでした。その時に思ったのが、「もし子供がいて自分の仕事を聞かれたら胸を張って言える仕事ではない。」そう思いました。心から打ち込める仕事をやりたい。そう強く感じました。であれば、職人だなと。今では酒造りの仕事に就きましたが、醤油や味噌でも良かった。とにかく一つの事に一生懸命打ち込める仕事をしたかった。この気持ちに尽きます。ですが、漠然とした想いだったので、ハローワークへ行ってもなかなか仕事がない状況で、途方に暮れかけていたことがありました。

最後の望み

転職先を探していましたが、なかなか「これだ。」という仕事が見つかりませんでした。でも、その間にも家賃等の支出はある。自分の望みが叶ったわけでは無いですが、工場の仕事が決まりかけていました。ですが、心のモヤモヤは消えず、最後に一度だけとハローワークへ向かいました。そこに待っていたのは、岩波酒造の酒造りの求人でした。見た瞬間「これだ!」と。今までの酒造りは新潟の杜氏(とうじ)=越後杜氏が蔵人を連れて秋から春にかけて1年分のお酒を造るスタイルでしたが、自社社員でお酒を造ろうと方向性を変えたタイミングでした。秋から春は酒造り、その他は営業、配達といった業務内容です。最初は右も左もわからない全くの異業種で大変な時期もありました。


ですが、辞めたいと思った事は全くありません。「良い仕事を見つけることができた。」それだけでした。どの仕事だって、どの役職だって苦労があるのは当たり前。どんどん仕事を任せてもらうことが本当に嬉しかったです。ある時、1人で仕事をしているときに、涙を流したことがありました。「本当に良い仕事を見つけて良かった。」と。やりたい仕事をとことんやれるという事は本当に幸せだと思いました。そして、さらに幸せな事がありました。なんと、子宝にも恵まれたのです。

杜氏一年目

蔵人の中でも責任者を杜氏(とうじ)、その下に頭(かしら)といった役職があります。私には「やりきる。」といった強い気持ちと覚悟があったので、掃除だろうが洗濯だろうがどんな仕事でも一生懸命やっていました。この酒造りの世界では、1人前になるまでに最低15年かかると言われていました。杜氏と頭が担当者を決めていくのですが、その姿をちゃんと見ててくれていたんだと思います。ちょうど15年目に杜氏に任命されました。新潟から杜氏がくるスタイルから歴史が変わる瞬間です。大きなプレッシャーを感じました。良いお酒が造れるか不安で夜も眠れない日々でした。

1年目はとにかく怪我しない、体調を崩さない、やり切ることを目標に据えていました。無事1年間務めることができましたが、その結果、無難なお酒ができてしまった。品評会へ出品しましたが、評価はされない。他の蔵のお酒と飲み比べて「これではダメだ。」と悔しい想いを抱きました。長野県には約60の蔵があり、60の杜氏がいる。当時1年目でしたので、「自分が一番下っ端なんだ。一番下手くそなんだ。」と割り切り、誰よりも頑張らなければならないと、自分を鼓舞していました。

美味しいお酒を

「なんとか賞を取る。」と決意し2年目が始まりました。ですが、ある時「賞を取るよりも普通に飲んで美味しいお酒を造ろう。」と意識が変わり、その瞬間に心がすっと楽になりました。もし賞が取れなくても自分が全ての責任を取れば良い。それが醪(もろみ)にも伝わったのだと思います。9月の長野県清酒品評会でまさかの首席優等賞を受賞!長野県一位です。岩波酒造初の快挙でした。

恐らく長野県中の蔵が驚いたと思いますし、何より自分が一番驚きました。(笑)10月には国税局の関東信越鑑評会があり、それも長野県一位。ダブルで長野県一位です。本当に驚きました。もともと新潟の先輩が培ってきたやり方や教わったものがベースになっていて、それに私の少しの工夫、周りの努力が掴んだ賞だと思っています。

心に響くこの一盃

お酒は人の心に響くものだと思っています。飲んで心が温まる。悩んでいることが小さく思えたり、言えないことが言えたり、精神にも届くものだと思っています。この世の中は色々な人の頑張りで成り立っています。そういった人に美味しいお酒を飲んでもらって「明日も頑張ろう」と前を向いてもらう。そういった人が増えればもっと社会は良くなるのと思っています。自分にとって酒造りは一つの社会貢献です。

プライベートの私

休みの日にはギターを弾いたり、サイクリングをしています。きれな風景を撮ってSNSに上げています。以前、友人がきのこ鍋を作って振舞ってくれた時に、その美味しさにものすごく感動しました。それから山に入ってきのこを取り、食べることも趣味の一つです。
今は辞めてしまいましたが、岩波酒造に入社してから、旨い酒を造るには強く正しい精神と肉体も必要だと思い、空手を習い始め、黒帯2段までとりました。音楽を楽しむ、運動する、自然と親しむ。そういった感覚が五感を研ぎ澄まし、心に響く酒を造る事に繋がるのだと思っています。

佐田杜氏のブログで日々の酒造り様子がチェックできます!
■杜氏のブログ 心に響くこの一盃