自宅のリビングのように|cafe CREEK 平岡 尚志

音楽と過ごした日々

出身は、京都です。大学を卒業するまで住んでいました。大学時代はバンドサークルに入っていて、ハードロックをやっていました。(笑)あまり言いたく無いですけど。(笑)もちろんバンドで生活していくなんて考えもしませんでした。
卒業後の進路は、音楽関係の仕事には興味を持っていたのですが、京都の大学だったので、そう簡単にレコード会社にいけるとは思っていませんでした。銀行などの色々な業種を受けて、入社する会社も決めていましたが、たまたまご縁があり、レコード会社で働くこととなりました。
入社してからは、J-POPの制作、宣伝をしていました。
それからは、音楽業界一筋で、一昨年まで東京で働いていて、2017年の正月明けに安曇野へ引っ越して来ました。

長野に来た理由

安曇野は、学生時代から憧れの場所でした。
高校時代、作家の北杜夫を、愛読していました。旧制松本高校出身で、松本にゆかりのある方です。その頃から安曇野は「いつか暮らしてみたい場所」だったのかもしれません。

音楽関係の仕事で生きていこうと思っていたのですが、50代になって「そろそろ違った道もありかな。」と思い始めました。
かつて妻も同業だったのですが、7.8年前に転職をして、代官山のレストランで働いていたこともあり、食への興味があり、「カフェを開く。」ということを漠然と思い始めたんだと思います。
ただ、いきなりお店を開くといっても、私は、仕事関係のスキルしかないため、東京の料理の学校へ通いながら、自分もスキルアップをして、土地を探してと準備を進めていきました。

当時は、「どうしても〇〇なお店をやりたい!」といった想いはありませんでしたが、まずはカフェ形態でやりたいと思っていました。もともとリフォームが趣味だったので、そういったこだわりも含めて来てくれた人たちが、リラックスできる空間を作りたいと思っていました。
代官山に住んでいる時も、マンションの壁を壊して、自分たちで壁塗ってといったことをしていたぐらいです。(笑)


何かに特化したお店ではなく、自分たちが表現した良い雰囲気でお客様が心地よく過ごせるようにしたいと思っていました。
お店を開く前は、東京の知り合いにはすごい心配されていましたね。(笑)「あんな山奥に行ってお客さん来るの?」と。でも、自分たちなりに調べたし、「なんとかなるかな。」と思っていましたし、なにしろ、ここが気に入ったのであまり心配していませんでした。

場所に関しては、真っ先に松本か安曇野が良いなと思いました。関西の人間は、北海道や、信州は憧れがあるんですよ。(笑)両親もアルプスが好きでした。あとは、生まれが京都で、代官山に住んでいたので、「負けないくらい素敵な場所が良いな。」という想いはあって、日々北アルプスを見て暮らせる場所=信州かなと。

移住してきて戸惑いはあまり無かったです。
お店始める前は、見知らぬ土地で、はじめての自営業、「この先どうなるかな?」と考えることもありましたが、アルプス眺めていると「まあ、何とかなるか」と思うことができました。
開店前からご近所の方に親切にしていただき、開店したらどんどん知り合いができました。
唯一の夫婦の悩みは、歩いて飲みに行けないこと。(笑)
前は、いくらでも行けるお店があったので。(笑)
とても悩みです。(笑)

試行錯誤の連続

メニューの1つであるハンバーガーに関しては、開店前からある程度明確なイメージを持っていました。ハンバーガーだけは僕がレシピを決めて作っています。


20年以上前、アメリカに行った時に、ある店で食べたハンバーガーがオーガニックな素材を使っていて、とても美味しく、それよりもっと個人で作っている感じに落とし込みたいというイメージがありました。
それから、意識的にハンバーガーを食べるようにはしていて、アメリカはもちろん、フランス、イギリスでも食べてみました。
フランスでも、アメリカのスタイルがすごい流行っているのですが、フランスなので、より料理っぽくなっています。単に挟むだけではないハンバーガーでした。
このような形で、いろんな場所でハンバーガーを食べて、エッセンスを吸収していきながら、今のレシピを作りました。
最初は誰も教えてくれないので、一つ一つ試行錯誤しながらやっていきました。

今は、自分の思い通りに作ることはできていますが、多くの困難がありました。
ちっとも上手くいかないんです。(笑)、なんか一味足りないし、ソースもなかなかビシッと決まりませんでした。そんな中、大きく進んだ、1つのきっかけがありました。

知人のパートナーがロンドンで食肉を手広くやられていたことです。いろんなハンバーガー屋さんにも、お肉を卸していました。そこで、こね具合、挽き方、肉の配合などを教えてもらいました。それを参考にそれから自分で「これだ。」と思えるようなハンバーガーができるようになりました。

私のプライベート

案外インドアなんですよ。本とか映画とかを楽しんでいます。(笑)せっかく白馬の近くに暮らしているので、スキーは続けていきたいと思います。あとは、今お店に置いてある雑貨はヨーロッパに旅行に行った際に、自分達で買い付けて来たものが中心です。頑張って年に1回はヨーロッパに出かけたいと思っています。

お店を通して

「訪れた人に自宅のリビングのように過ごしてもらいたい。」
これが一番の想いです。これからもずっとこの街に住む人に愛されたいというのは、テーマとして持っていきます。その為には、新鮮な素材を使うこと、清潔にすること、お客さんが「歓迎されている」と感じられるような場所であること、を心がけて1つずつ積み重ねていくだけです。いつもそうあらねばと思っています。

是非、お店でお会いできることを楽しみにしています。お待ちしております。

Mr Sunday Trip|Sunday Life Coffee and Store 和田 幸夫

捨てられない想い

出身は松本市です。
小さい頃に長野市に引っ越してきまして、小中高と長野市の学校に行っていました。
大学卒業し、長野市で就職しましたが、何年間か経ち、「東京に出たいな。」という気持ちが出てきました。
その頃は、インテリアに興味があって東京で様々なものを見たいと思い始めた時期でした。

東京から帰ってきてすぐは、飲食とは全然畑違いの足場の仕事をやっていました。
とび職です。6〜7年やっていました。当時、30半ばを超えたぐらいです。
仕事中、足場を作っている最中も、「何か違うな。」というどこかモヤモヤした気持ちを抱いていました。

夢に近づく1つの出会い

一番最初に飲食に携わったのは、長野市のホテルの1階にある食べ飲み放題のレストランです。
友人のツテがあり、お世話になった流れです。
半分アルバイト、半分就職みたいな形でホールを担当していました。
ホテルで勤めたのは2、3年です。

ホテルに勤めている中で、1つの物件との出会いがありました。
それは、今もお店の一部になっている長野市にあるカウンターだけのお店です。
当時、このお店は夜にバーを営業している為、昼間は何も使われていませんでした。

この場所でお昼のお店をやりたいと考えましたが、1つの物件をシェアするといっても、うまくいくものでは無いと思っていました。いざ、バーのご主人に話してみると、ざっくりな方で、「家賃を折半するのであれば、昼間やって良いよ。」という話をいただきました。
すぐに自分のお店を持てなくても、お店をやりたい気持ちと、現実の収入とのバランスをとりながら、まずは自分ができるところから始めようということで、週3日からお昼の営業を始めていきました。
この形で4年やっていました。

現在は、バーのスペースを広げて、隣の物件をメイン営業をしていますが、これも、また一つの偶然がありました。
隣の物件がたまたま閉店されるということです。
「“自分のお店を持つ”という夢を実現したい」という想いと、「こんなタイミングはそうそう無
い」という想いで、お店を広げる形で営業を始めました。

Mr Sunday Trip

昔から、服やインテリアが好きでした。
入り口はこういったところにあるのですが、カフェの雰囲気や、カフェで働いている人のイメージが、自分が好きなインテリア、洋服と重なる部分がありました。
当初、洋服屋さんをやりたい気持ちもありましたが、服、インテリア、カフェが総合的にできる場所があればということで、こういった業態に落ち着いています。

なので、店内には自分の好きなインテリアや雑貨を置いています。
お店を開くにあたって、再度買ったものもありますが、ほとんどが私の家にあった家具を店内に置いています。
自分の趣味で集めていたものです。(笑)
食事を提供する食器も全て統一して、揃えるというよりは、一点物にこだわって集めています。

このお店のコンセプトは「Mr Sunday Trip」という仮想の人物が、世界中を旅して、集めてきたものを、時代を飛び越えて自分の仕事場に飾っているといったものです。
お客様には、アンティークな空間を楽しんでいただければと思っています。
当の本人はいたりいなかったりですが。(笑)
私がいない時にいるかもしれないですね。(笑)

お客様にはとにかくゆっくりしていって欲しいと思います。
あとは、私が喋り好きのもあって、会話を楽しんでいって欲しいです。(笑)
私はそんなに沢山のものを作れるわけでは無いので、お客様と話をしながらコーヒーを淹れる空間を作っています。

お店のメイン部分は中性的なイメージで作っていますが、カウンター席の方は、武骨な男の空間を作っています。
1つのお店で違った表情があります。
是非、そういったところを楽しんでいただければと思います。

この場所を通して

私自身がこの辺の地域のファンで、色んな飲食店で顔を出したり、お店の店主に「いつかお店をやりたいです。」と話したりしていました。
やりたいことを口に出していた結果、誰かしらが聞いていてくれて、人を繋げてくれたことで、今こうしてお店を開けています。
私がこういった経験をさせていただいたので、このお店を食事を食べるだけでなく、人が繋がる空間にできればと思います。

“やりたい!”を叶えるヒント

ここまで来るのに、様々な仕事を経験してきましたが、「自分でお店を持って自由に働きたい。」という気持ちは持っていました。
ですが、なかなか自分の中で最後の一歩を踏み出せなかったり、その時々で問題があったりで出来ない日々を過ごしていました。
ある時に、様々なタイミングが重なって、「今だ!」となんとなく感じる時があり、「今動かないと一生このままだな。」と思い、私は、踏み切ることができました。

何よりバランスが大切ですね。
行動した先のリスクを考えた時に、完全にそのリスクを背負って、行動する必要はないと思います。
例えば、「飲食店をやりたい」と思った時に、週2、3から始めても良いと思います。
今は、趣味から始めることもできるので、「やるか」「やらないか」ではなく、もっとグラデーション的に考える。
そして、徐々にやりたいことの比重を増やしていけば良い。
そうすれば、より自分の「やりたい」に近づけると思います。

あとは、あまり深く考えないことです。(笑)
考え出したらマイナス要素は沢山あるので、、、。
一年の短さを考えたら、本当に人生は短いです。
やる気はお金では買えないので、やる気があるうちに行動する。
これが大切だと思います。

プライベートでは

面白い空間のカフェ巡りが昔から好きでした。
時間を忘れて、様々なお店に行くことが好きですね。時間はけっこう気にしてしまいますが。(笑)海外旅行も行きたいなと思います。(笑)

最後に一言

中央通りから入ってきた、小道にお店があります!入りづらいかもしれませんが、是非一度入って来てみてください!

三代食堂である理由|三代食堂 岡部 賢二

自分がやりたいことは

出身は茨城県です。大学進学時に上京をして、4年半ぐらい東京で暮らしていました。卒業後は、茨城に戻って、栄養士の資格を取りました。
このきっかけは、大学時代のアルバイトにあります。

アルバイトは、とんかつ屋で3年働いていたのと、他には居酒屋や、ホテルで働いていました。良いバイト先であったんですけど、とんかつ屋は近所だったという理由でやっていたので、どちらかというと、何となくやっていた感じです。
とんかつ屋では、最初は皿洗いからなのですが、盛り付けや、かつ丼作りまでいろいろなことを任せてくれました。当時は、「すごい楽しい。」と感じていましたね。

大学の後半から卒業に近づくにつれて、大学では全く関係ないことを勉強していたけど、漠然と「飲食店をやりたい。」という気持ちが芽生えてきました。
そこで、食に関してちゃんと勉強したいという想いから、地元の茨城県に戻り、栄養士の専門学校に入り直しました。
結構東京嫌になっちゃって、、。(笑)
殺伐とした感じとか、疲れてしまったのもあって、田舎に帰ろうと決めました。
別に東京に居続けて、資格を取る必要はないと感じていました。

1人の上司との出会い

専門学校の卒業後は、たまたま職場が長野県に決まって、委託給食と言う形で、老人ホームであったり、学校であったり、その場所にあった給食を作る仕事をしていました。


最初の配属は、老人ホームでした。期間は、1年間です。
その後は、約二年間、池田の方にある障がい者施設で食事を作っていました。
そこで1つの出会いがありました。

私の上司は、もともと京都の割烹で修行をしていた方です。
その上司は、「給食業界はなめれられている。」と言っていて、例えば、カレーを作るにしてもレトルトを入れて、食材を入れて完成となる。料理に凝る習慣がなく、技術を向上するという姿勢が見られないんですね。
それで良いんですけど。食べる側も完成度を求めていないから。
でも、その上司はたまたま働く場所がなく、入りやすい給食業界に入ってきたのですが、技術はあるので、給食だけど、給食らしからぬ味を出すんですよね。(笑)
味付けの段階でダシの比率や、味付けの順番など細かく調整していく。
そこで基本的なことを教えてもらいました。
調理師学校時代の勉強を、上司に弟子入りする形で実践へと変えていきました。
その出会いがなければ、今どうなっていたかわからないですね、、。(笑)

オープン前に山小屋に!?

その後は、2017年4月頭ぐらいに会社を辞めさせていただきました。
前職で働いている時には、もうこの物件は決まっていたので、お店を開く準備をしていたのですが、もろもろやっているうちにお金が足りなくなってしまって、、。(笑)
車も売ったりしたんですけど、サラリーマン時代の貯金でお店を完成するには、足りない状態でした。
また、そこで1つの繋がりがありました。

ここ1年ほど「ヒーターズ」というバンドをやっていて、そのギタリストのオーナーが、山小屋を経営していました。そこから「一緒に働いてみない?」という話をもらって、昔から山には興味があったので、2017年の夏に4ヶ月ほど山小屋で働いていました。
ある程度、お店の工事を出来るところまでやって、あとは6月末から4ヶ月山に行って稼いでいました。
山での業務は、基本的に小屋番と言う受付と、料理が出来るのもあって食事提供もしていました。あとは、道直しという作業があって、登山客の方が登ると道がどんどん崩れてきて、危なくなってくるので、その道を石で固定したり、歩きづらくなってしまうのを砂利で埋めたりしていました。
雪が積もっている時は、ベンガラというチョークがあるんですけど、真っ赤な粉を撒きに行ってマーキングをしたりもします。
そのような生活を送っていました。

予期せぬ事態

山小屋に帰ってからもすぐにお店のオープンはできませんでした。
そこからさらに4ヶ月ぐらいかかってしまって、、。
そもそもここの物件の状態が借りる前はひどい状態だったんです。
大体2ヶ月間山に行く前に基礎を作って、その後、山から下ってきて4ヶ月で上やって、キッチン作ってと言う感じで。思ったより時間がかかってしまいました。

ほぼ、全て自分の手でお店を作ったのですが、みんなやろうとしないだけで出来るんです。(笑)
最初は手探りでやっていて、昔の建築誌を見て「こういう感じにしたいな。」というイメージを持ってやりましたけど、出来ましたね。(笑)
会社辞めてからは、工期が半年、山に行っている期間を含めてほぼ1年かかりました。
オープンは4月3日です。

本当は3月27日ぐらいだったのですが、あばらを折ってしまって、、。(笑)
最後の最後で怪我をしてしまって、2週間ほど延ばしてもらいました。(笑)
めっちゃ高いところならわかるんですけど、70cmぐらいの椅子から結構な勢いで落ちて、、。(笑)
死ぬかと思ったぐらい痛かったですね、、。(笑)
でも、オープニングパーティーは、予定通り開催しました。
店内をステージにして、ライブをやったりして、いろんな人が来てくれて。
結局、当日は興奮しているので痛み感じないんですよ。(笑)
それで乗り切ったのですが、オープニングパーティー終わってから病院に行ったら「やっぱ折れています」と言われて。(笑)
オープン前にものすごいださい怪我をしたという。(笑)
忘れられないです。(笑)

食堂、店名へのこだわり

小っちゃい頃から町の大衆食堂みたいなところに連れて行ってもらっていました。
その後、年を重ねていって、上京して学生をやって、そこで通っていたお店の偉大さに気づきました。
上京して茨城を離れた後に、飲食店をやりたい気持ちがあったので、いろんなお店に行きました。
その中で、昔通っていた記憶に残るようなお店を超える店が何1つ無かったんですよ。
本当に1個もないぐらい無くて。


単純に自分の舌が合っているというのもあるんですけど、何年か毎にブームがあって、料理の技術や食材とかの様々な変化があっても、人の味覚に訴えてくるその美味しさは普遍的で変わらないと思っています。
自分にとってそれが食堂で再現できればという想いがあって、自分の原体験が続けられる場所ができたらと思いました。

「三代(さんだい)食堂さんですか?」とよく聞かれるんですけど、三代(みよ)です。(笑)茨城のひたちの方だと名字でよくあって、母親の旧姓も三代(みよ)でした。
そこからきています。もう1つの理由は祖父の魚屋にあります。

私の祖父は、茨城で魚屋をやっていて、昔は築地で働いていた経験があります。
今も、お店はあるのですが、受け継いで、店主をやっていた、母親のお兄さんが10年ぐらい前に亡くなってしまって、今は、お兄さんの奥さんがお店をやっています。お兄さんには、魚のさばき方を教えてもらったり、すごい優しくしてもらった記憶が今でもあります。
店名は悩んでいて、自分の名前を冠するのには抵抗がありました。しかし、魚屋もそろそろ閉めるという話もあって、同時に自分が「継ぎたい。」という想いもありました。
字は三代(さんだい)で、魚屋ではないけれども、祖父、母、自分で三代目という意味もありますし、三代(みよ)という姓を継ぎたいという想いはすごいあって店名に込めました。

1人で来られる空間作り

自分が落ち着ける場所がすごい欲しいなという気持ちがありました。
茨城や東京にいたときになんとなく落ち着ける場所の条件が、“ちょっと暗めで”“外からあまり見えないけど、外の景色は見える”
そういうお店だと「入りやすいな。」という気持ちになって。

1番優先しているのが、お1人様、もしくは、お2人様の席が一番良い位置にあるという事です。


1人でふらっとごはんとか食べて、リラックスできる環境が良いなと思っていて、なにもしらない店に対面式のカウンターだとちょっと緊張したりするじゃないですか。
お店の人は、喋り慣れているから良いのかもしれないけど。
それを解消するためのスペースを作ってます。
1人用のカウンターは対面式ではなく、外が見える特等席。
「自分だったらどういう店に居続けたいか。」を基本のベースにはしています。

自分がやっている音楽の要素もお店に反映させています。
ミクスチャーというか、音楽だとビートルズの後に出てきたプログレシブロックという60年後期から出てきた音楽が好きで、音楽だけでなく芸術とかとかをまぜこぜにしているものです。もともと分析が好きで、音楽もいろいろ混ざっていると楽しいんですね。建築とかも昔の雑誌と今の雑誌を見比べたり。一見合わなそうなものも混ぜて、お店作りはしていました。

私のプライベート

ずっと音楽をやっているので、その繋がりが今、面白いと思っています。バンドもそうですけど、ソロでもやっていて、三軒隣の「Give me little more」が面白い外国のアーティストを呼んだり、たくさんライブもやるので、すごいインスピレーションが湧く場所になっています。
ソロの時は、結構めちゃくちゃなライブをします。(笑)エフェクターを使って、カリンバと言う民族楽器があるんですけど、どんどんループしていって、、、。
いろいろあるんですよ!(笑)ちょっと説明しづらいので会場に見に来てもらえば!(笑)

最後に一言

これから毎年店を2か月ぐらい閉めて、山小屋に行くと言うサイクルをやっていきますが、うちの店を忘れないでください!!(笑)

五感に訴える活力ベーグルを|ナチュラルベーグル歌 小熊 かずこ

飲食から離れて気付いた素直な想い

出身は埼玉です。それから東京の大学へ行ったり、東京へ住んだりといった生活をしていました。大学時代はクルクルパーでしたね。(笑)
当時は、ブラジル音楽に没頭していて、ラテン音楽を演奏するサークルに属していました。入学の時にオリエンテーションでサンバパレードで練り歩いている人がいて、その人たちが気になってしまって。(笑)
そこから部室のドアを開いたのがきっかけです。どっぷりつかって色々聞いたのと、実際にブラジルまで行ったりしました。バンドはずっと続けているので時々、ブラジル音楽を演奏したりしています。

学生時代のアルバイトは飲食をずっとやっていましたが、あまり深く考えずにアルバイトをしていました。手っ取り早いと思ってやっていたのと、あとはまかないが食べられるとか。(笑)
深い意味はなくやっていたけど、振り返るとずっと飲食が好きでやっていたと思います。オフィスで一瞬働いたことがあるんだけど、やっぱり匂いが無かったり、食器の音がしなかったり、蒸気の音がしなかったり、火の音がしなかったりとかなんかつまらなく感じて。五感に訴えてこない。だからそれがものすごいつまらない、合わないなと感じて、それから「ずっと飲食を好きで選んできたんだな。」と後から気づきました。

長野でお店を

大学卒業後は、結婚、出産があり、戻ってきた後もランチを手伝う飲食から始めました。
長野県に来るきっかけは、パン屋さんで何年か働いていた時に、移動販売のカフェを最初やろうと思っていたことです。その移動販売するための工場を探していて、どこが良いかなと探していたことがきっかけです。長野で最初からやろうという気はなかったのですが、親戚絡みの関係で、長野に縁があり、今の場所でお店をやることとなりました。外見はお店っぽくないけれど、作る場所として利用するのならば、誰か見に来るわけでもないし、問題ないのではという事で使うことになりました。
ただ、工場にするのにも改装位にお金がかかるということで、そこまでお金をかけるのならば、ここで店舗として使ってしまえばと言う発想に変わりました。

関東圏でしか暮らしたことが無く、長野で暮らすことにいろんな驚きはあったのですが、いろんなことが「良いじゃん!」と思えるようになりました。水も綺麗だし、野菜も美味しいしといったことです。当時、有機野菜などの良い野菜を遠くから取り寄せるという事をやっていて、それに対してはちょっと不自然さを感じていました。それが地元の良いものを食べることができるという自分のライフスタイルより自然な形で実現できるのではないかと思って、逆に良いじゃないと思うようになりました。

ベーグルを焼くまで

お店を始めてからは今と同じベーグル屋をずっとやっていたのですが、当時は販売だけやっていました。当時、あまりバターや乳製品を取らない生活をしていたことや、パン屋さんで働いていた時も、アレルギーで乳製品を食べれない子が増えているという実感がありました。
なので、そういった子でも誰でも食べることが出来るパンを作りたいと思っていました。当時、一緒に働いていた若い男の子たちもたくさんパンを食べていると健康診断に引っかかってしまうんです。理由は、糖分や、油脂の取りすぎです。
なので、「これを毎日食べていたら体に負担かかるよね。」と思って、毎日食べても負担が残らないものをどんどん絞っていった結果、ベーグルになりました。
ベーグルのゆでて焼くという工程が、国産小麦のモチモチとした触感と良く合うのではないかという気持ちもありました。

10年の節目を迎えて

お店は今年で10年になります。
当時小学生だった子が上京をして、お母さんがその子に「ベーグルを送ってほしい。」と言ってくれたりします。その子にとっては故郷の味ではないけど実家の近くにある懐かしい味になっているというのは、意外ですごくうれしいことですね。
自分だけでなく、お客様といった周りのことでこの月日を実感します。

この10年間は、「お客様に嘘をつかない」という事を大切にやってきました。
また、自分にも嘘をつかないという事にも繋がると思います。
嘘をつかないというのは当たり前のことなのですが、「○○産の物を使っています」といったことや、失敗して崩れてしまったら正直に伝えて、安く販売すると言ったことです。
地域のご高齢の方や、子育て世代に支持されているかなという気がしています。
無添加や、地元の野菜を使っているといったことを前に出しているので子育てに気を遣っている方に支持されているかなと感じています。

労働体系というか自分の働き方にも意識を置いてやっています。飲食店ってどうしても長時間労働になりがち。特に店主は人件費を削るために自分で働いたりとか。そこをどうにか新しいやり方でやっていきたいなと思っています。これから年を重ねていくし、自分が疲れてしまっては良くないので、もう少しゆとりのある働き方をしたいと考えた時に、「少し違うかな。」という想いがあって色々考えているところです。
なにかあるのではないかと思っていて、みんなヘトヘトになるのではなく、無理なくコンパクトに働くスタイルを構築していきたいと思っています。

私のプライベート

普通の生活が好きだなということを自覚してきています。ただ、お家の外にでて月を見ながらコーヒー飲んだり、ビール飲んだり、生活そのものを楽しむことが好きです。それは気持ちにゆとりがないと出来ないと思ったりもしています。
少しテーブルを彩良くしたり、家をきれいにするのもそうです。生活そのものを好きにすることを楽しんでいます。

最後に一言

父親だったり、母親だったり、会社員だったりいろいろあると思いますが、日々の肩書きを外して、自分の時間の為にゆっくりいらしてください!

ナチュラルベーグル歌
■住所 長野県松本市深志3-8-17
■営業時間
ベーグル販売 10:00~18:00(売切れ次第終了)
カフェ営業  10:00~17:00(16:30ラストオーダー)
定休日 月、火(不定休)
■TEl 0263-35-8876