壁を乗り越えた先に|四季旬菜酒場「壱」 山田 一世

現実とのギャップ

出身は松本です。学生時代は、小学1年生から野球漬けの日々でした。中学3年生の引退の頃には野球推薦で進学する高校が決まっており、高校入学式前から内定している県外の高校へ入寮し、練習も参加していました。ですが、直前で入学取り消しがあり、一転、県内の高校へ入学することとなります。その後、もちろん野球部に入部しましたが、1年生の夏に退部の決断をしました。県外の学校ではない事にモチベーションが下がってしまった事や、自分が目指したい場所とチームが目指している場所のギャップがありました。この時期はずっと悩んでいましたね。全てのことが嫌になってしまった。学校に行くことも、野球をすることも、、。野球をする為に学校へ行っていたので、難しい時期でした。
この時期に食と携わるきっかけがあります。

卒業後の進路

野球を辞めてから目的も無く学校へ行く毎日。そんな生活の中、バイトをしようと求人誌を開きました。祖母が調理師免許を持っていて、家で料理を手伝っていた経験もあり、昔から食には馴染みがありました。そんなこともあり、数ある求人の中からラーメン屋を選びます。週6、7でバイトしてましたよ。(笑)


ですが、ある時店長が急にいなくなってしまう事件が起きました。いつも通り出勤するとお店の鍵が開いていない。本部に電話したところ「今日は閉めて。」と。それからこのお店では働く事が出来なくなりました。高校生でしたが、ほぼ日中バイトをしていたので稼げないのは困る。その時ちょうど知り合いの出している居酒屋が求人を出しており、新たにバイトを始めることとなります。
高校卒業後は、飲食以外の職種を考えていましたが、飲食店の楽しさに惹かれ、バイト先を運営している会社に就職することとなります。

経営の難しさ

居酒屋では主にキッチン業務を担当していました。1つのお店でずっと働いていたわけではなく、グループ内の様々な店舗で働いていました。労働時間は長いし、給料は安いので心身共に辛い時期はありましたが、毎日成長できる場所でした。出来ない事が出来るようになる。お客様が感謝をしてくれる。それが原動力になっていました。この会社では2年ほど働き、退職を決断します。当時は「自分のお店を持ちたい。」という気持ちはありませんでした。

次に選んだ道はラーメン屋でした。北海道のラーメン屋でしたが、松本に出店する事が決まり、経験のある僕に話が舞い込んで来ました。店長業務です。本当に辛かったです。経営について意識しなければならない立場になったので、お客様に喜んでもらう事だけを考えていた以前とは全く異なる世界でした。
また、給料が出ない時期もあったので、貯めていたお金でなんとかやりくりするような状況でした。なので、酒に逃げるか、今の状況を愚痴るか。そんな状況でした。休みは無いし、給料も出ないし、挙げ句の果てに北海道へ異動になるしと、体力的にも、精神的にも大変な時期でした。
1年ほど働いていました。

先輩の姿

その後、60席ほどある豊科の居酒屋で4年弱ほどお世話になります。高校卒業後、働いていた居酒屋の店長が「自分がスタートした場所。」ということでこのお店を紹介していただきました。きっちりとした和食を出しているお店です。今までのお店は全てがマニュアル通りでしたが、このお店は何も決まっていないので、自分でお皿を選んで、盛り付け方を決めてと真逆のお店でした。今までの飲食人生の中で一番勉強しましたね。本を買って、他のお店へにも積極的に食事に行きました。今までのように全てやらせてもらえる環境では無く、技術が無ければやらせてもらえない。社長が板場をやり、先輩が揚げ場。僕は主に補助の立場でした。とにかく先輩に追いつかなければならない。この気持ちだけでした。


最後の2年ぐらいで社長が担当していた板場を任されるようになりました。自分で献立を組んで宴会をこなしてと、やれることの幅は確実に増えていきました。当時、22歳の時です。
社長の考えは「同じお客さんに、同じ料理を出すな。」ということでしたので、予約の年齢層、男女比、常連なのか新規なのか。色々なことを考えて、メニューを決めていました。しんどい時期は何度もありましたが、この経験がなければ独立の想いは絶対に生まれなかったと思います。

開店までの壁

とにかく「自分のお店を持ちたい。」という気持ちが強かったです。失敗のリスクの方が考えましたけど、失敗して借金を背負っても返せるなと。死ぬほどのリスクでは無いなと思っていました。ですが、開店まではスムーズにいかずいくつもの壁が待っていました。特に人材、店舗探し、融資の面です。人材に関しては、一緒にお店をやる予定だった人が「違う業種にいきたい。」ということで、また0から一緒にやれる人を探さなければならない状況になったこと。


店舗探しでは、以前働いていた飲食グループの1つのお店が空くとのお話をもらって、その場所で開店することを考えていました。ですが、直前になって大手他店に先に契約されてしまった。一緒にやる人もいないし、この時点で独立を諦め、前のお店に戻ることもできたのですが、それはかっこ悪い。その時に、1人でお店をやることを決めました。なので、物件も想定していた席数の半分ほどで探し始めました。
融資では、年齢の若さもあって、門前払いで話を聞いてくれない銀行もありました。商工会議所にも相談しましたが、「厳しいのではないか。」といったお話しかできませんでした。たまたま知り合いの方を通して、ある銀行の支店長とコンタクトを取れる機会を得ました。その場でアドバイスを頂き、それからやっと話が進んでいきました。
困難なことは本当に沢山ありましたが、ここまで来たら、やり切るしか無い。見返してやりたい。その気持ちだけでした。

何か変えなければ

ついにオープンです。オープンから最初の時期は、知り合いがきてくれたり、新しいお店目当てに来店されるお客さんがいたりと忙しくさせてもらっていました。ですが、ある程度の時期が経つと暇な日が出始め、大きな不安を抱える毎日でした。当初思い描いていたイメージとは全然違いました。


ですが、駅から離れた場所なのに僕がいるからきてくれたり、僕のお店が好きで来店されるお客さんもいらっしゃいました。その方達の「また来るね。」「美味しいね。」の一言があったから辛い時期も頑張れたと思っています。何かを変えなければならない中で、1年程で移転を決めます。
移転後、お客さんの層も変わりましたし、宴会も取れるようになってきました。メニューもガラッと変わりました。振り返ってみると、1年目の自分はカッコつけていた部分が多くありました。周りが老舗が多く、綺麗な料理を出しているお店が多くあったので、「負けたく無い。」という気持ちで、お客さんに向き合うというよりは、他店を気にしてメニューを作ってました。移転後は、仕入れ先を変えるようになって、食材にもよりこだわるようになりました。シンプルにお客さんのニーズと向き合うようになった結果、自分が出したいものとのギャップがあることに気づいたんです。

今、美味しいものを

大切にしていることは、自分が現場に立つことです。僕がいるから来てくれるお客さんがいる中で、その期待にはしっかり応えなければならない。お客さんの表情、会話などは現場にいないとわからないことです。自分で聞いて、自分で見ることは大切にしています。
また、シンプルに美味しいものを提供したいと思っています。日本は四季があるので、その時美味しいものを食べてもらいたい気持ちが強いです。お店のロゴにも春夏秋冬をモチーフにしたロゴを採用しています。今、旬が無くなってきている食材もあります。夏野菜でも、技術の発展で冬にも栽培できるようになったり、気温上昇によって冬の魚が春に捕れたりといったことです。今美味しいものを提供することを心掛けています。


育成にも力を注いでいます。働いてくれているスタッフが成長できる場を作りたいと思っています。自分自身が先輩に育ててもらったからこそ独立できた想いがありますし、業界をみても若い人が少ない。「自分のお店を持ちたい。」想いを持ってくれる人を1人でも増やせればと思っています。そういった熱い想いを抱えている若い人達で松本を盛り上げたいと思っています。

私のプライベート

海外に行きたいです!暖かいところが好きなので。グアムには毎年行っています。やっぱ良いですね、、。(笑)老後で良いので、暖かいところでお店を持ちたいと思っています。(笑)
野球は今でも本気でやっています。(笑)企業さんのチームが出るような高いレベルのリーグで戦っているので、いつでも本気ですね。(笑)

ルーティーンの意味|FIFTY-ONE COFFEE 佐藤 等

私のルーツ

生まれた場所は仙台です。ですが、父が転勤族だったので、ほんの少ししか仙台にはいませんでした。仙台での記憶はほとんどなく、住んだ期間が長いのは愛知県ですので、出身は愛知県と言っています。
小さい頃から野球がずっと好きで、愛知県に住んでいたこともあり、中日ファンでした。父は巨人ファンですが、、。(笑)ごく普通の学生生活を送り、高校卒業後は、環境問題に興味があったので、関東の大学に進学しました。
当時、コーヒーや食の仕事をすることは、全く頭にありませんでした。

衝撃の1杯

コーヒーに興味を持ち始めたのは、大学時代です。とんでもなく美味しいコーヒーに出会ったんです。(笑)卒論を書くために研究室にこもっていた時でした。その大変だった時期に、1つ上の先輩がコーヒーを淹れてくれ、その1杯が超美味しかった。

「これなんですか!?」と聞くと、その先輩はドリップでコーヒーを淹れてくれていたのです。衝撃を受けましたね。それまで缶コーヒーやインスタントコーヒーは飲んでいたのですが、この1杯を頂いてから、コーヒーに興味を持ち始めました。本格的なコーヒーとの出会いです。ですが、卒業後にいきなりコーヒーに関わる仕事を始めようと思ったわけではなく、趣味の1つになったような感覚でした。
卒業後は、技術系の仕事に就きます。

コーヒーを仕事に

技術系の仕事をしながらも、徐々に「コーヒーを仕事にしたい。」という想いが強くなってきた訳ではありません。きっかけは、30歳を過ぎた頃から、当時の仕事に対して「この先このままで良いのかな。」と考える時期があったことです。

今までを振り返った時に、自分に向いているか向いていないかはわからないけれども、仕事にストレスを感じている部分があって、「本当に自分がやりたいことはなんだろう。」と考え始めました。その時に、「好きなコーヒーで仕事をやりたい。」という想いが初めて出てきて、思い切って業種を変えた転職を決断しました。当時、32歳の頃だったと思います。
転職当初は「独立したい。」という想いでは無くて、「コーヒーに関わる仕事をしたい。」という想いでした。なので、3年程、自家焙煎のコーヒー店で焙煎を担当していました。なかなか焙煎の募集は無いのですが、たまたま募集を見つけることができて、「チャンスだ!」と飛び込んだことがきっかけです。

独立の道へ

働いている中で、「自分のお店を持ちたい。」「自分の味を出したい!」と感じるようになりました。欲が出て来たのかもしれません。(笑)
自営業をする決断をしたのは、このようなことを考えている時期に、親族の空き家の話があり、「このチャンスを生かしたい!」と思ったからです。その空き家は、今のお店にあたるのですが、もともと私の父の実家です。私の祖父が、この場所で八百屋をやっていたのですが、亡くなってしまい、空き家になっていました。もちろん自営業をやるリスクはありますが、会社を立てたり、人を雇うような大きなリスクではありません。自分にしか責任が来ないので、「ダメだったらしょうがない。また、違う場所で働けば良い。」と割り切って決断ができました。開き直りの面がありますね。(笑)

前にやっていた仕事と、この仕事を比べた時にどっちが幸せかを考え、自営業にして自分でやることの方が良いと考えました。当時、35、6歳の時です。もし、家族がいれば、家族の想いもあるので、好き勝手動くことはできなかったと思います。今も残念ながら一人ですけど、、。(笑)

店名の由来

僕自身、野球がすごい好きで、お店を開く時は、「野球に関する店名をつけたい。」という想いがありました。野球選手の中で1番好きなのが、イチロー選手。象徴的な背番号は「51」です。

その名前をつけて、「FIFTY-ONE COFFEE」と読んだ時にすごい語呂が良くて、「カッコ良い!」と。イチロー選手を好きになったのは、愛知に住んでいたということもあるのですが、選手としての凄さに惹かれていました。
イチロー選手はルーティーンを大切にする選手としても有名です。ルーティーンと聞くと、単純作業というイメージを持たれる方がおられると思いますが、実は逆です。自分のベースを理解しているかどうかの判断基準になるんです。ルーティーンを毎回続けることによって、何かズレが合った時に、自分でわかる。その時に、どこを修正すれば良いかを理解できる。なのでルーティーンは、とても大切なのです。パフォーマンスを最大限発揮するための目安になっているのです。

私のルーティーンは焙煎の中にあります。常に決められたルーティーン焙煎というものがあり、気候や豆の状態などで、味にズレがでる時に、「どうしたら出したい味がでるのか。」が見えてきます。なので、ルーティーンを決めるということはすごい大切で、ベースを維持するための基準になります。イチロー選手は、選手としてすごいだけでは無く、物事の考え方や会見の言葉などが自分の仕事に置き換えることができるので、それがとても勉強になっています。

余談ですが、イチロー選手のレアな試合を小さい時に見ています!松本市の松商学園とイチロー選手の母校である愛工大名電の甲子園での試合を見に行ったことがあります。当時はまだ有名ではありませんが、、、。今思えばすごい試合を見たなと。(笑)

日常の一部に

「コーヒーをお客様のライフスタイルの中で楽しんで欲しい。」という想いが強いです。なので、スペシャルティコーヒーに特化するといったことなどはせず、焙煎度合い(ロースト)や販売価格のバランスをとって幅広く展開しています。

ご来店された時に、お客様のお好みにどれか1つでも合うことを大切にしていて、バリエーション多く豆の種類を取り揃えています。お店に来れば、何か1つでも好みに合うものがある。そして、「ここのコーヒー、やっぱりうまいね!」と言っていただけることが僕にとってすごく嬉しいことです。お客様のペースで定期的に日常使いができるお店になっていきたいと思っています。気軽に入れるお店を目指しています。

私の逸品

当時、研究室で飲んだコーヒーが今でも1番好きなコーヒーです。キューバの「クリスタルマウンテン」というコーヒーです。正直、お値段の高いコーヒーです。(笑)今、色々なスペシャルティコーヒーが飲める時代になりましたが、クリスタルマウンテンが僕の中ではベストです。

大学時代の衝撃はもちろんあるのですが、色々なコーヒーを飲んできた中でもやっぱり1番美味い。不思議なんですけどね、、。(笑)当店でもクリスタルマウンテンを開店時から販売していましたが、数年前に天候不良等ですごく仕入れ価格が上がってしまって、今は販売していません。その代わりにキューバの一般品を置いています。クリスタルマウンテンの価格が落ち着いてきたら、また、復活させたい想いがあります。もう少しお手頃な価格でお客様が手に入る価格になればと思います。このコーヒーは僕の中で、特別想い入れのあるコーヒーなので、「お店を開く時に必ずキューバのコーヒーは置きたい。」と思っていました。早くクリスタルマウンテンを置くことができればと思っています。

「やりたい。」を実現する為に

まずは、妄想することが良いと思います。自分が「やりたい!」と思うことがあれば、強く妄想してみる。妄想した上で、ちょっと現実に戻って、「果たしてそれが自分に出来るのか。」と冷静に考えてみる。妄想する自分と、見つめ直す自分を作り上げて比較すると見えてくるものがあると思います。良いことばかり考えると失敗する。失敗するというか、何かあった時に修正しづらくなる。両方の視点で考えて、「いける!」と思った自分がいれば、やって良いと思います。ハッキリしなければ辞めた方が良いと思います。

勢いは必ず必要です。きっかけを逃すともう実現できないかも知れないので。ここまで考えて生まれた決断ならば、仮にうまくいかなくてもまた次に進む力が出るし、学びも大きいと思います。

これからのコト

まだ、夢物語ですが、移動販売をやりたいと思っています。お店を2週間ほど休みにして、東北に行ったり、関東に行ったりと場所を限定して、コーヒーを販売したいと思っています。映画で「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」という映画が大好きで、その影響を受けています。ちなみに妄想の中では見えています。(笑)

InstagramなどのSNSを活用して情報を発信していきながら、営業をするのも良いかなと。自分も旅しながら、営業をすると言うスタイルが面白いかなと思います。まだ、妄想段階ではありますが、オープン10年目ぐらいを1つの目安にしたいと思っています。トラック1台買ってと。頑張ります!!!

私のプライベート

当初はコーヒーが趣味でしたが今は趣味を仕事にしたため、今の趣味は「スポーツ観戦」となります。特に野球が好きでシーズンが始まるとプロ野球とメジャーリーグ双方の試合結果に一喜一憂するなど忙しくまた激熱な日々となります。(笑)
このほかにはサッカーも好きでやはり松本市のチーム「松本山雅FC」を応援しています。営業日の関係でなかなかアルウィンに行くことはできませんが「One Soul」魂で勝利を祈っています!

また相澤病院さんが当店近くにあることもあり、スピードスケートの小平選手も応援しています。
スポーツはやっぱりいいですね~!!!

最後に一言

色々なコーヒーの楽しみ方をご提案させていただきます!
ご来店お待ち申し上げます。

FIFTY-ONE COFFEE
■住所 長野県松本市深志3-8-19
■営業時間 11:00-18:00 木曜日・第3金曜日、年末年始 ※臨時休業あり
■TEL 0263-87-2537